加藤泰監督の映画は面白いです! それはもう、すっごく!! 情感が豊かで今もなおエンタメ一級品。
富司純子さんは、加藤泰監督の数々の大ヒット作に主演しています。
2016年のインタビューです。同年、東京国立近代美術館フィルムセンターで、「生誕100年 映画監督 加藤泰」として44作品の特集上映が開催されました。
このタイミングで、富司純子さんが、加藤泰監督との映画作りを振り返ってくださり、記事になったものです。
加藤泰監督の映画について知れる貴重なお話! 蔵出ししてお届けです!
富司純子プロフィール
1945年12月1日生まれ。父は東映のプロデューサー、俊藤浩滋。 マキノ雅弘がスカウトし、藤純子と命名。『八州遊侠伝 男の盃』(1963年)でスクリーンデビュー。68年から主演した『緋牡丹博徒』シリーズは大ヒットするが、人気絶頂の72年、引退を表明。89年に富司純子の芸名で『あ・うん』にて本格的に女優業復帰。2018年の『散り椿』までで 112本の映画に出演している。
加藤泰監督との仕事
1964年『車夫遊侠伝 喧嘩辰』
1964年『幕末残酷物語』
1965年『明治侠客伝 三代目襲名』
1969年『緋牡丹博徒 花札勝負』
1970年『緋牡丹博徒 お竜参上』
1971年『緋牡丹博徒 お命戴きます』
インタビュー
(取材・文 轟夕起夫)
ローアングル
1963年、富司さんは17歳のときにマキノ雅弘監督に“藤純子”と命名され、『八州遊俠伝 男の盃』でスクリーンデビュー。翌1964年、数えて11作目となる (純情ラブストーリーの名篇)『車夫遊侠伝 喧嘩辰』で加藤泰組に初参加した。
富司 内田良平さんが主演、桜町弘子さんがヒロインで、まだ新人同様のわたしはその妹分の芸者役でしたね。恋人役の河原崎長一郎さんとの、生まれて初めてのキスシーンがあったりしまして、個人的にも思い出深い作品。ワンカットワンカットを大切に、加藤さんは時間をかけてお撮りになられる方でした。
本番までのリハーサルが、とても長かった。マドロスパイプを口にくわえ、ニコニコと微笑みながらテストを繰り返すんです。それからローアングルがお好きでこだわりがあって、大阪の堺ロケのとき、アスファルトの公道にも穴を掘って1日がかりでカメラを据えたんですよ。どの作品も「これを撮りたい」となったら監督は、がんと動かない(笑)。
俳優以上にスタッフは大変です。でも完成作は毎回見事な“画”に仕上がっている。だから、どんなに苦労をしても報われるんです。
お気に入りの女優、藤純子
富司さんのおっしゃる通り、加藤泰といえばロー・ポジションからのアングルがトレードマークで、それを基調に、縦の構図の中で役者を動かしていく長回し、ワイドスクリーンを重層的に活用した画面設計などの特徴的なスタイルが熱烈なファンを生んでいった。
富司 そういえば、この映画では助監督を“コーブンさん”が務められていて、現場でわたしのことを懸命にフォローしてくださいましたね。
思わず口をついて出た愛称“コーブンさん”とは加藤泰組の精鋭、惜しくも2014年に亡くなられた鈴木則文監督のこと。本作では脚本も執筆している(加藤と共同)。
マキノ組の一員でもあり、新人の頃から富司さんをよく知るひとりで「とっておきの秘密兵器」と加藤監督に推薦し、演出した結果、関西弁のエロキューションが抜群で、いきなり「お気に入りの女優」となった。
マキノ組=マキノ雅弘監督映画のひとつに『次郎長三国志』シリーズがあります。こちらに関連記事があります!
大川橋蔵のチャレンジを汲んで
新選組内部の抗争を描いた次の映画、『幕末残酷物語』(1964年)で富司さんは、組織の犠牲となってゆく剣士(大川橋蔵)をひたむきに愛するヒロイン役に。
富司 当時、大川橋蔵さんは東映時代劇のトップスターだったのですが、新基軸にチャレンジするお気持ちがおありだったのでしょう。あの綺麗な橋蔵さんがびっくりするほど汚れた扮装で現場に現れた。その挑戦する気持ちを加藤監督も汲んで、「なんとか新しい橋蔵さんを!」と取り組まれた映画です。あんなにも凄惨でリアルな集団劇、殺伐とした新選組像はそれまでなかったと思いますね。
わたし自身、衝撃を受けました。できるかぎり順撮りをしてくださったので自然に演じられましたが、『喧嘩辰』もそうでしたけど絵コンテを事前に、緻密にお描きになられるんですよね。実にお上手で、どういうシチュエーションの芝居……どんな表情をお望みなのかが一目瞭然で分かる。もちろん、ご自分の目指すイメージに近づくまで妥協せず、延々と撮影を粘られるのですが。
女性を愛おしく描く
続いて1965年、任侠映画、のみならず恋愛映画史上にも燦然と輝く傑作『明治侠客伝 三代目襲名』に出演。主役の鶴田浩二の相手役として、喜怒哀楽をぶつけ、一途な思いを貫き、悲恋に生きる切なく美しい(加藤泰好みの)ヒロイン像を完成させる。
富司 わたしにとっても、とても大切な作品! 鶴田さん扮する侠客の浅次郎に川べりで、親の死に目に会わせてくれたせめてものお礼をしようと故郷の桃を2つ手渡すシーンや、身請けされ、絶望の淵の中、訪ねてきた渡世人役の藤山寛美さんに対し、胸に赤いトマトを抱えて言葉を紡ぐ場面、情感が溢れていましたよね。加藤さんはいつも、女性を愛おしく描いてくださいました。たとえ遊女であっても、体は汚れていても心は清らかな、そういう女性が監督、お好きだったのではないでしょうか。
同時録音
1966〜68年、加藤泰は松竹に招かれて数作を発表したのち、1969年、古巣の東映京都で富司さんと4年ぶりの再会を果たす。富司さんは(鈴木則文が生みの親である)『緋牡丹博徒』シリーズの女博徒、矢野竜子こと緋牡丹お竜役で“時代の寵児”になっていた。加藤監督は第3作『緋牡丹博徒 花札勝負』を皮切りに、6、7作も手がけ、その美学を最大限に開花させたのだった。
鈴木則文監督の代表作に『トラック野郎』シリーズがあります。関連記事はこちらです!
富司 御一緒するのは久しぶりでしたが、何も変わっていませんでした。主役も脇役もなく、出演者全員に愛情を注いでスクリーンに映しだされる。『花札勝負』ではとくに、胴師役の汐路章さんとその妻で“ニセお竜”を演じられた沢淑子さんが魅力的で、お二人は加藤さんの映画に必要不可欠な名バイプレーヤーでした。リアル志向なのも相変わらずで、アフレコを嫌い、シンクロ(同時録音)にこだわられる。「音に匂いがするんだ」とおっしゃっていましたね。
でもスタッフは本当に大変。名古屋ロケの狭い路地での撮影、午後3時になったら近くのお風呂屋さんが開いたのか、桶の音が聴こえてきて、すかさず「止めてこーい!」って(笑)。
入念なリハーサル
大切な場面はやはり念入りにリハーサルを繰り返されます。雨の中、鉄橋の下で高倉健さん扮する渡世人と出会い、道を教え、番傘を貸そうと手渡して、傘を握る手が一瞬、かすかに触れ合うシーンがありましたよね。ここも繰り返しテストをしましたし、いざ本番となっても映りこむ汽車の蒸気がうまくいかず、再三やり直したのを覚えています。
加藤泰は叔父にあたる山中貞雄、そして時代劇の父と呼ばれる巨匠・伊藤大輔をとりわけ敬愛していた。東映入社前、大映京都の名作の一本、阪東妻三郎主演、伊藤大輔監督の『王将』(1948年)では助監督についていて(クレジットは本名の加藤泰通)、通天閣の見える裏長屋のセットで鞴(ふいご)を操演し、(美術の西岡善信と)背景の汽車の白煙を出すのに苦労したというキャリアを持つ。『花札勝負』の汽車の蒸気は『王将』、ひいては伊藤大輔監督へのオマージュなのだ。
シリーズ6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』(1970年)は『花札勝負』の続篇で、窮地を助けた少女の後日譚が描かれる。
長回し
富司 前作でお竜は、少女のもとを去り、その世話を全うしなかったのではないか、とおっしゃった。純粋ですよねえ。加藤さんらしいです。手術で目の見えるようになった、成長した少女とお竜が再会し、目をふさいで両手で顔を触らせる長回しのシーン。これも忘れられません。何回やってもOKが出なかったんです。何でだろうと思っていたら、画面のずーっと奥に映っていた方のお芝居が気に入らないって。本当に頑固です(笑)。
雪の今戸橋での別れ、渡世人役の菅原文太さんに手渡した蜜柑がこぼれ落ちて、雪の上をコロコロと転がるあのシーンも、蜜柑の転がり方が難しく、何度も何度もやりました。
抒情に満ちた今戸橋のセットは、名コンビの美術監督・井川徳道の匠の仕事。橋とは此岸から彼岸へのかけ橋。その下を水が流れ、上を人が流れる。出会いと別離、それが加藤泰映画の世界だ。
気の抜けない足さばき
シリーズ7作目『緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971年)。富司さんはラストの立ち回りで、加藤監督に自らアプローチをした。
富司 玉かんざしを抜いて投げて、片側だけ髪の毛がほどけ落ちるようにしたいと言いましたところ、採用していただきました。加藤さんは頑固ではありましたが、まわりの意見やアイディアを取り入れる方でもありました。お竜は博徒で侠客ですが、壮絶な生き方の中に女の色香を少し出したかったんですね。
『緋牡丹博徒』シリーズでは立ち回りのとき、着物の裾から覗いて見える赤い蹴出しの色にわたしはとてもこだわっていました。ちらっと見えるところに色っぽさが生まれる。足さばきをだらしなくしないよう毎回気を付けました。しかも加藤さんの場合、ローアングルですから、足さばきがよく見える。素足なので、つま先まで気を抜けませんでした。
藤純子の引退、富司純子として復帰
人気絶頂のさなか、“藤純子”は1972年に結婚し、引退して惜しまれながら銀幕を去った。それから17年の月日が流れ、1989年、降旗康男監督の『あ・うん』で“富司純子”としてリスタートを切ったのは御存知の通り。実はその間に、加藤監督から熱烈なオファーがあったという。
富司 ある日、脚本が届いたんです。『白蛇伝』..…白蛇の化身で人間界に現れ、恋に落ちるヒロインの役で、ありがたかったです。ただ、わたしは自分から「引退します」と言って辞めた身。ですので意を決してお断りしました。「たいそう残念がってらした」と後から聞きましたけど、それほどまでに心を寄せてくだすって、監督の気持ちを察すると、悪いことをしたなぁ…と、今でも思っております」
惜しくも1985年に加藤泰監督は逝去した。企画が実現しなかったことは、残念至極である。が、しかし! 富司さんのこの心情、ここで吐露していただけた“想い”だけで、加藤泰ファンは十分なのではないだろうか。
キネマ旬報2016年8月上旬号掲載記事を改訂!
加藤泰×富司純子が鑑賞できる動画配信サービス
※いずれも2020年8月現在の取り扱い状況です。
まずはU-NEXT。『車夫遊侠伝 喧嘩辰』
『明治侠客伝 三代目襲名』と、『緋牡丹博徒』シリーズ3本、計5本が見放題タイトルにラインナップされています。
TSUTAYA TVでは、『緋牡丹博徒』シリーズの計3作が見放題タイトルに!
Amazonプライムビデオでは同じく『緋牡丹博徒』シリーズの計3作がレンタル作品としてラインナップされています。
加藤泰映画の関連記事、こちらにもあります。