蔵出しインタビュー【加藤武】デビューから金田一シリーズ出演までのこと、日活映画のこと…名キャラクター誕生の裏話!

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館理人
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名バイプレーヤー加藤武の2013年のインタビュー記事を蔵出しです! 

日活100周年の年、旧作のあれこれがDVD化されたタイミングでのインタビューです。日活で監督デビューした今村昌平とは、俳優・小沢昭一ふくめ、大学から活動を共にしていた盟友。デビューから、日活映画出演作について、さらには当たり役となった金田一映画の等々力警部のことまで、あれこれ裏話を語っていただいています。

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プロフィール

加藤武・かとうたけし(1929年〜2015年)

東京都生。1952年、文学座に入団。親友・北村和夫らと共に杉村春子の指導を受ける。57年以降は邦画各社を股にかけ、巨匠・名匠の作品で名脇役として活躍。市川崑監督の金田一シリーズにおける等々力警部役は当たり役となった。のちに文学座代表。

日活出演作に『愛のお荷物』(1955年)、『豚と軍艦』(1960年)、『競輪上人行状記』(1963年)、『月曜日のユカ』(1964年)、『喜劇・いじわる大障害』など。同時期の出演作はほかに、『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)、『キューポラのある街』(1962年)、『仁義なき戦い 代理戦争』 (1973年)など。

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インタビュー

みんな麻布中学の同級生だった

ーー加藤さんも葬儀屋役でお出になられていますが、盟友・小沢昭一さんが主演の『競輪上人行状記』(1963年)が、ついにDVD化されました!

加藤 これは傑作だ。私は2月に新文芸坐(※東京の名画座)で久々に観直したんだけど、胸に沁みたなあ〜。監督は西村昭五郎で、彼のデビュー作。日活がロマンポルノ路線になってからは、SM映画ばかり撮ってたようだけどね……。もっといろんな題材をやってほしかった。脚本は今村昌平と大西信行。大西は劇作家、演芸研究家で今も現役の脚本家だ(※2016年に逝去)。同級生なんだよ、麻布中学時代の。大西と小沢昭一と俺はその後、早稲田大学も一緒に行き、そこにイマヘイ(※監督の今村昌平)がやってきた。とまあ、そういう仲だ。

ーーいやはや、強力な顔ぶれです!

加藤 そうだね。で、イマヘイが監督になって、その息がみんなにかかるようになる。あいつ、カリスマ性があったからなあ。何かやるっていうと手伝わなきゃいけない気になったよ。私は『果しなき欲望』(1958年)や『豚と軍艦』(1961年)なんかに出たんだけど、小沢は終生、イマヘイのことを支えていたよね。

館理人
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『果しなき欲望』は長門裕之主演のサスペンスドラマです。

館理人
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『豚と軍艦』も長門裕之主演。戦後の横須賀を生きるチンピラをコミカルに描いています。

ーーさて『競輪上人行状記』ですけど、競輪場の場所、覚えておられますか?

加藤 どこだったかな……。小沢は競馬、麻雀も好きでやってたけど、私は博奕関係は全くダメなんだよ〜。博才がないの。だから、この映画のときも言われる通りにやっていただけだった。

ーー加藤さんの役は、悪意はないんですが、小沢さん扮する僧侶を競輪地獄に引きずり込んでしまいます。

加藤 お経をあげてる最中に、配当金のことを伝えに来て、耳元で「当たりました」って。あれ、可笑しかったねえ。インチキな葬儀屋の役で。

ーーハンチングがお似合いでした。

加藤 なぜか被せられたんだよ。私に似合うって。それにしても小沢のラストの弁舌……あれ、見事だったなあ〜。滔々と競輪予想をし、そこに説法を交ぜていく。スゴかった。彼の得意なところだよね。つまり放浪芸研究の成果ですよ。ある時期から小沢は大道芸探究にのめりこんで、全国を回って調べ尽くした。今はほとんど消滅してしまった芸をね。著作、レコード、研究書もたくさん出してる。だから口上なんか上手いの。それを全部、あのシーンで活かしてた。しかも、ワンキャメラだよ。カットを割らないで、バーっとズームバックしていく。えらい迫力があった。

ーーカメラマンは名手・永塚一栄さんですね。あのラストは泣けます。

加藤 そうそうそう。不思議なもんだな。当時は友達として「あれくらいは当たり前」だと思った。そんなに感銘は受けなかった。だけど今になって観ると、小沢が亡くなったからではなく、1本の映画として深く胸の奥に迫ってきた。

ーーここ数年、この作品の評価はグイグイと上がってきています。

加藤 そうだろ。新文芸坐、超満員だったよ。2本立てで小沢の主演作『大当り百発百中』(1961年/春原政久監督)もやったんだけど、こっちも観たら、私も出てて、わやくちゃで面白かった。追悼のトークショーをやったら、入れなかったお客さん、みんな廊下に並んでてさ、私は声が大きいから、外まで聞こえていたらしい(笑)。聞こえて良かったって感謝されたよ。

ーー西村監督は粘る人でしたか?

加藤 そうね。かなり粘っていたねえ。第1作だし。そういえばこの間、大西に会ったんだ。『競輪上人行状記』の評判を伝えたらすごく喜んでたね。

ーー現在、大西さんが台本を書かれた『大岡越前』……東山(紀之)さんが主役のドラマがNHK BSプレミアムで放送されていますね。

加藤 そうなんだよ。私は大岡越前の女房の、結婚する前の親父。大西は今もいい仕事をしてるよ。『競輪上人行状記』の原作は寺内大吉っていう実際に和尚だった人だね。

ーー映画では寺内さん、ラスト近くにチラリと顔を出されますね。

加藤 洒落でワンシーンだけ。

川島雄三の思い出

ーー小沢さんは“声の仕事”でも記憶されますが、加藤さんも声のお仕事をたくさんされていますね。

加藤 まあねえ、小沢との縁というか、でも小沢には敵わないよ。

ーーいやいや、近々では2012年、舞台版『十三人の刺客』でナレーションを担当されていました。

加藤 やったやった。あれも面白かったね。演出がマキノノゾミさん。文学座で毎年、『殿様と私』っていう舞台で旅しているんだけど、これを書き下ろしたのがマキノさんで。今年(※2013年)も10月から3カ月、旅をするんだよ。今年でやっと打ち上げなんだが、その縁でマキノさんに「語りをやってほしい」とお願いされ、で、相務めさせていただいたわけだ。

ーー言うまでもなく、加藤さんは映画界でも素晴らしいナレーション仕事を残されています。たとえば川島雄三監督の『愛のお荷物』(1955年)、そして『幕末太陽傳』(1957年)。

館理人
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『愛のお荷物』は出演:山村聰、轟夕起子、三橋達也ほか。コメディドラマです。

館理人
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『幕末太陽傳』は品川宿の遊郭に居残った男が巻き起こすコメディドラマ。出演:フランキー堺、左幸子、南田洋子。

加藤 そんなにあったか(笑)。川島さんもスゴい監督だった。イマヘイと名コンビで、イマヘイの師匠だね。小沢も私もみんな川島組育ちだ。川島さんは洒落者で、なんでも知っている人だった。我々のセンスにぴったり合う人で、何本か出させてもらったけど、『青べか物語』(1962年)が好きだったな。舞台は今のディズニーランドのある浦安だった。当時は独特の雰囲気を漂わせた漁師町で、そこの漁師の役をやらせてもらった。

ーー小沢さんと加藤さんは、川島監督とはツーカーの仲でしたか?

加藤 もうツーカーもいいとこ。悪いこともたくさんした(笑)。そこに西村晃やら殿山泰司も入ってくるし、悪いのがみーんな集まってきた(笑)。

ーー憧れですけどね、男としてカッコいい役者さんばかり。

加藤 光栄だねえ。西村晃は映画『十三人の刺客』(1963年/工藤栄一監督)にいい役で出てたな。あの映画はスゴいね。なぜかというと、東映という会社はかつてスターシステムの権化だった。『十三人の刺客』には片岡千恵蔵にアラカン……嵐寛寿郎が出てるんだけど、役柄的には序列がない。あれは素晴らしかったね。東映の階級制を打破した時代劇だった。

ーー集団抗争劇の先駆作です。

加藤 うん。私は同じ頃、『新選組血風録 近藤勇』(1963年/小沢茂弘監督)ってえのに出た。市川歌右衛門の主演で、土方歳三役でね、それが最初の東映出演じゃないかな。歌右衛門さんの横に並ぶと早く撮影が終わっちゃうんだ。カメラが率先して歌右衛門さんを撮るから。午前中で終わっちゃう。当然、歌右衛門さんと対面する役だと、延々待たされるわけだ。

「月曜日のユカ』では本当に海に落ちた

ーー後に加藤さんは1973〜74年、集団抗争劇の発展形とも言える『仁義なき戦い』シリーズ2作(『代理戦争』『頂上作戦』)に出られましたね。

加藤 もう、往年のスターシステムは壊れていたよ。というか、怖かったな、みんなガラが悪くて本物のヤクザみたいで(笑)。私の役は卑怯者の打本昇。あれも面白かったね。カッコ良くもなんともない。グジュグジュとグチと文句ばっかり言ってる親分役でね。金子信雄さんの姑息な山守組長とともに。でもあれが本当の人間の姿じゃないかな。生き延びていくには、カッコなんかつけてはいられない。

ーーごもっともで。打本は“男の教科書”だと思います! 1960年代、加藤さんは東宝では黒澤組の常連でありましたが、一方、日活映画に数多く出演されています。息の長い人気作といえば加賀まりこ主演、中平康監督の『月曜日のユカ』(1964年)。ヒロインをかこっているパパ役で、ラストは海に落とされちゃうんですよね。

館理人
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『月曜日のユカ』はヒロイン役に加賀まりこ!

加藤 あれ、寒い季節に本当に落ちたんだよ。怖かった。着の身着のままで落ちるっていうのはね。

ーー今村門下生では、磯見忠彦監督のデビュー作『経営学入門より ネオン太平記』(1968年)にも助演!

加藤 『ネオン太平記』ね。チラっと出てる。キャバレーのホステスに下着を売りに来るオカマ役だ。ごつい格好で「まあ〜、イヤだわ〜」なんてオネエ言葉を使うんだよな。小指を立てて電話をかけながら、コードをいじったりして芸がこまかい(笑)。

ーーあれはご自身で考えて?

加藤 そうだね。去年再見したが面白かったね。ラピュタ阿佐ヶ谷(※東京の名画座)での西村晃の特集で。主役は小沢だ。大阪のアルサロ(=アルバイトサロン)、キャバレーの店長役。磯見はイマヘイの助監督だった。ロマンポルノを数本撮って、早くに映画界から足を洗っちゃったんだ。

ーー吉永小百合主演、浦山桐郎監督の『キューポラのある街』(1962年)も忘れてはいけませんね。

加藤 浦山ねえ。彼もイマヘイの一番弟子だ。寡作だったけどスゲえヤツだったなあ。死んで分かるんだよね。虎は死して皮を残す、じゃないけれど。

ーー先生役は加藤さん自身、大学卒業後、一時教職に就かれた経験があってのキャスティングでしょうか。

加藤 そうだろうね。まあ、振り返ればイマヘイとか浦山は日活の厄介者だった。儲からない映画を粘り続けて撮る監督で。浦山の『私が棄てた女』(1969年)なんて完成まで何年かかったか。しかも、浅丘ルリ子をスッピンで出したりしてね。そりゃあ撮影所は嫌がるよ。でも結果的にはいい映画に仕上がった。だからね、儲けるだけではなく、そういう監督もいて、相まっていたんだよな。

ーー斜陽とは言われていても、日活もまだ企業として体力があったと。

加藤 あったんだよ。ジリ貧だったんだろうけど、撮影所は活気があった

監督の父親のカオで人気落語家が総出演!

ーーそんな斜陽期、ロマンポルノ体制へと移るギリギリ前に公開された、藤浦敦監督のデビュー作『喜劇 いじわる大障害』(1971年)もこのたびDVD化されました。

加藤 へえー。これがまた可笑しいんだよ。藤浦っていうのが変わった男で、親父はやっちゃ場……京橋の青果市場のボスだったんだ。名前は藤浦富太郎。名人・三遊亭圓朝の名跡を預かっていた。歌舞伎、寄席に通じ、その世界で尊敬されていて、彼の息子が藤浦敦。これが何というか、どうしようもない男でね(笑)。会えば「おう、兄弟」って間柄なんだけど。親父は政界にも顔が広いし、日活の社長とも知り合いで、本人はすんなり入っちゃったんだな。助監督のクセにえばって仕事もロクにしないで撮影所の食堂で油を売っていて、歌舞伎役者の声色なんかをやったりしてた。喜んで聞いてるのは私と小沢昭一だけだ(笑)。親父の七光りだから、ふんぞり返っていた。

ーー『喜劇 いじわる大障害』は出演者の顔ぶれがスゴいですね。

加藤 親父のカオで当時の人気落語家が総出演している。立川談志も出てるからねえ。監督デビュー作だから、私とか小沢、北村和夫もみんなお車代だけで出たんだな。藤浦はロマンポルノになっても監督してたけど、落語ネタのポルノばかり作ってたな。名前が“敦”だから“トンちゃん”って仲間内では呼んでいた。ヤツは今でも元気だよ。ちゃんと三遊亭圓朝一門の名跡も預かっている。

ーーところで、海外TVドラマの吹替えでも日活と縁がありまして、NHKで放送された『警部マクロード』 (1974〜75年)。マクロード役のデニス・ウィーバーが宍戸錠さんで、その上司を演じたJ・D・キャノンが加藤さんでした。

加藤 そうだったね。あれも面白い仕事だった。私は日活で錠さんのアクション映画にも出てる。『ノサップの銃』(1961年)って作品で、根室まで行ってロケしたよ。

ーーあと、錠さんとは他にも『大平原の男』(1961年)や『赤い荒野』(1961年)などで共演されています。

加藤 錠さんはまだまだ元気だよね(※注:インタビューは2013年)。でも周りを見渡すとずいぶんと仲間が亡くなったな。特にイマヘイや北村和夫、小沢が逝っちゃったのは寂しい……話題を変えよう。この間、石原まき子さんがご丁寧に『黒部の太陽』(1968年/熊井啓監督)のブルーレイを送ってくださった。それと『富士山頂』(1970年/村野鐵太郎監督)も合わせて。『黒部の太陽』には佐野周二さん、滝沢修さん、宇野重吉さん、志村喬さん、辰巳柳太郎さん……と素晴らしい俳優陣が出ている。もちろん、石原裕次郎、三船敏郎という不世出の2大スターの姿も懐かしかった。

ーープライベートで裕次郎さんとは?

加藤 親しかったよ。俺のことをなぜがブーさんって呼んでたな。洒落で。“武”を“ブー”っておならみたいに呼んだんだな。彼の作品にもけっこう出てる。ナイスガイだったね。三船さんには、黒澤組でお世話になった。『黒部の太陽』には思い出がたっぷりあるんだよ。

「よし、わかった!」は安売りしないよ(笑)

ーーでは最後に、これで締め括りを! 市川崑監督との『金田一耕助』シリーズ、並びにあの名物警部役について。

加藤 最初は『犬神家の一族』(1976年)だね。2006年のセルフリメイク版にも同じ役で出ていたのは、石坂浩二と私と大滝秀治さんだけか。

ーーシリーズ終了以降も、市川監督とは『幸福』(1981年)、『天河伝説殺人事件』(1991年)、『八つ墓村』(1996年)などで、作品や役名は違っても、ほぼ同じ警部キャラで出られていました。

加藤 崑さんがえらく、あの役を気に入っちゃったんだ。

ーーTVドラマでも『金田一耕助』シリーズ(1990〜98年)は作られ、加藤さんは磯川警部を演じられましたが。

加藤 金田一を片岡鶴太郎がやったんだっけ。あのシリーズではお馴染みの「よし、分かった!」とは言わなかった。安売りをしたくなかったんだ。だって監督が崑さんじゃないし、金田一役が鶴太郎なんだもん(笑)。彼には悪いけど、私はそういうところは尊重したいんだ。新聞だけのコマーシャルという企画もあったな。金田一と等々カ警部が出るという。新聞の1面だけの広告。それも出演を断わった。妙な意地があってね。当たったから調子に乗って稼ぐ、っていうのがイヤなんだ。崑さんが俺のために作ってくれた大切な役だと思ったから、義理を立てた。まあ、仕方ないよ。昔っから私はそういう性分なんだから。

(取材・文 轟夕起夫)

轟

映画秘宝2013年7月号掲載記事を改訂!

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