俳優語り【金子信雄】悪役のメソッドを浸透させた、究極のラスボス

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少し口元を曲げ、苦虫をつぶしたような顔で「わしゃあのぉー」のメソッド

 いまや金子信雄といえば、そのパブリックイメージは、『仁義なき戦い』シリーズの自己保身に長けた、狡猾な組長“山守義雄”ということになるのであろう。

 少し口元を曲げ、苦虫をつぶしたような顔で「わしゃあのぉー」とやや甲高い声でやれば、誰でも金子信雄、いや、山守組長的な人物になれるわけである。

 そのメソッドの浸透力は、一時、ヒーロー並みだった。

 若い頃から後年の悪役人生の萌芽はあって、黒澤明監督の『生きる』(1952年)では末期胃ガンになった主人公 (志村喬)に対し、リアクションの薄い、思いやりのなさげな息子役で登場。

 木下惠介監督の『女の園』(1954年)では名門女子大学の寮の補導監役で、生徒指導として学生の私生活にまで厳しい干渉を加えるイヤな奴。

 まあ、おびただしい日活アクション、とりわけ『渡り鳥』シリーズでの悪役が“金子信雄なるもの”を作っていったわけだが、日活映画の中で鈴木清順監督には、「峠を渡る若い風」の旅芸人や『百万ドルを叩き出せ』(ともに1961年)のボクシングトレーナー、『野獣の青春』のアル中のヤクザ、『探偵事務所 23・くたばれ悪党ども』(ともに1963年)のトボけた警部などなど、一癖ある役柄を任された。

館理人
館理人

小林旭主演の『ギターを持った渡り鳥』がヒットし、以降8作の『渡り鳥』シリーズが作られました。

 また、東映の長谷部安人監督の『集団奉行所破り』 (1964年)では、悪徳奉行に復讐するため、集団で奉行所を襲う元海賊の首領に。

 マキノ雅弘監督の『日本任侠伝 斬り込み」(1967年)では善玉のテキ屋…と、時にはイイもんも。

 文学座がそのキャリアのスタートで、根は“舞台人”であり、新演劇人クラブ・マールイを結成、松田優作が在籍していたことでも知られる。

 それにしても神代辰巳監督が『地獄』(1979年)で、金子信雄を閻魔大王役に選んだのは、鋭いパロディ精神だったのか? あるいはある種の冗談だったのか?  ……謎だ。

轟

映画秘宝2010年11月号掲載記事を改訂!

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