復刻インタビュー【俳優・浜田光夫】が語る【監督・中平康】吉永小百合との青春コンビ3本を回顧

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館理人
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浜田光夫さんに、中平康監督との仕事を回顧していただいたインタビュー記事を復刻です! こちら、2003年に雑誌掲載のため行われたインタビューとなります。

館理人
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テンポ感のある中平映画、ファンは多いですね!

館理人
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浜田光夫さんは吉永小百合さんとのコンビで出演した青春映画が次々ヒット。そのうちの3本が中平康監督作でした。

中平康 プロフィール

なかひら・こう
1926年1月3日〜1978年9月11日
東京生まれ。
1948年、東京大学を中退し松竹入社。1954年に日活へ転職。その間、川島雄三、佐々木康、木下惠介、大庭秀雄、原研吉、渋谷実、黒澤明、新藤兼人、田坂具隆、西河克己、滝沢英輔、山村聡等の助監督を経て、監督作『狂った果実』(1956年)がヒット。
他の代表作に『誘惑』『あした晴れるか』『あいつと私』『泥だらけの純情』『月曜日のユカ』『砂の上の植物群』『黒い賭博師 悪魔の左手』など多数。『変奏曲』が(映画における)遺作となった。

浜田光夫 プロフィール

1943年10月1日、東京生まれ。
高校生の時に『ガラスの中の少女』のオーディションを受け、吉永小百合と初共演。同年、日活に入社。
1961年に芸名を浜田光夫に。『青い山脈』『キューポラのある街』『泥だらけの純情』『愛と死をみつめて』といったコンビ作で、吉永小百合と共にトップスターへ。吉永とのコンビを組んだ映画は44作品を数える。
近年は舞台を中心に、テレビドラマ「ウルトラマンガイア」「美空ひばり誕生物語」や、映画『借王-シャッキング-』『1リットルの涙』なども。

館理人
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浜田光夫さんの書籍『青春 浜田光夫「キューポラのある街」あれから50年』(2012年)も!

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ではインタビュー、どうぞ〜

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浜田光夫、監督・中平康を語る

(取材・文 轟夕起夫)

 1960年代、吉永小百合さんと“純愛コンビ”を組み、日活青春映画を牽引した浜田光夫氏は1963年の1年間に3本の中平康作品に主演。その1本『泥だらけの純情』はチンピラと無垢な令嬢の悲恋を描きながら、当時の東京を活写するいまや神話的な映画となった。

 

 ここでは『泥だらけの純情』はもちろんのこと、残りの『俺の背中に陽が当る』『光る海』にも言及、知られざる中平映画の演出について語っていただいた。

『泥だらけの純情』は吉永小百合さんとのコンビの集大成

──『泥だらけの純情』は、有名なバターピーナッツを分け合う東横線での場面をはじめ、名シーンの連続ですね。

浜田 しがないチンピラと大使の令嬢との恋ね。あれ、モデルがいるらしいですよ。まあ、吉永さんと数多くの共演作がある中で、『泥だらけの純情』ほど二人がピッタリといった作品もないですね。純愛コンビの集大成じゃないかって気がします。あの東横線のときはロケで。夜の10時頃だったかな。その前に二人して道玄坂を降りていくシーンがあるんだけど、パパパっとほとんど盗み撮りでしたよ。

──一転、アパートで「王将」を唄うシーンは長回しでジックリと撮られています。

浜田 そうなんです。本当は1番を唄ったら終わりと言われてたんだけど、監督からカットの声がかからなくてね。僕もビックリしたけど、吉永さんもビックリされたでしょうね。

──吉永さんの役が令嬢ゆえに、村田英雄のヒット曲も知らないという設定で。

浜田 こんな歌が流行ってるんだよってね。普通はワンコーラスですよ。アカペラで唄うわけだから。それをドンと引きの画で、3番まで長回しで撮ってしまった。あのときは僕、威勢のいい歌を悲しく唄った。普通なら目頭が熱くなっているあたりを、ポンとアップで撮るはずなんですが、監督、それをいらないと思ったんだね。ワンテイクでOKでしたよ。で、編集せずにこれを全部つないでくれた。そういうトコもあったんです。絵コンテ作って、さあこれやりましょうって監督じゃなかったから。その場の雰囲気を見て、ここは大事だぞというときは長回しもする。それも中平さんのリズムだったんです。僕のチンピラ演技の雰囲気を気に入ってくれたんでしょう、自由にやらせてもらえました。

『俺の背中に陽が当る』は当初は石原裕次郎さんの企画

──続く『俺の背中に陽が当る』は、珍しく吉永さんが助演でした。

浜田 あれは当初、石原裕次郎さんの企画で、ボツになっていた作品。それを僕の主演でやったわけです。裕次郎さんぐらいの体格だと大柄な相手を鷲掴みにして投げ倒したりしてもサマになる。僕がそれやったら不自然ですよと提言してね。監督もそうだな、お前がやっちゃオカシイなって。それでピストルを手にアクションをやることになったんです。後にも先にもあんなにピストルを撃ったことないですよ。

──監督がこだわっていたシーンは?

浜田 う〜ん、ギャングがね、僕の相棒役の腕に火の点いた煙草を押しつけるシーンがあって、そこ、僕はやめましょうよ、って言ったんです。でも監督は、やるって聞かない。それで今でいうバンドエイドみたいなものを何枚か貼って撮影した。監督は、ジュジュっていう、つけたときの音と煙が出るの撮りたいって。そういうところにこだわる人でしたね。

『光る海』のテンポは中平監督の真骨頂

──3本目の『光る海』はやたらとセリフが多いですね。

浜田 多い多い。覚えるのが大変でね。つまるとダメだ、滑舌をよくして歯切れよくどんどんセリフを言えって。他の映画に比べて異常にテンポ早い。監督のデビュー作『狂った果実』でもわかるとおり、あのテンポが中平監督の真骨頂ですよ。

中平監督とお酒

──プライベートでのお付き合いは?

浜田 ほとんどなかったんですが、たった一度だけ、『泥だらけの純情』のときに、監督から誘われて酒を呑みに行きました。でもね、胸襟開いて話すわけではなかったなあ。現場でもそういうところはあった。自分だけの世界を持っていて、どこか、お前たちにこんな話をしても……ってイラだっている感じが。それを自分の中に押さえ込んでいたから、最後、お酒に走っちゃったんじゃないかなって気がするんですけどね。

中平監督のこだわり

──最後に、秘蔵のエピソードなどありましたらぜひ!

浜田 そうそう『泥だらけの純情』で、逃げ場がなくなって、吉永さんともども情婦のところに「匿ってくれ」って行くシーンがあったでしょ。匿う前に「バカにしないでよ」ってバシっと僕の顔を叩く。この女性が監督の知人でね。銀座の方で。素人さんだから、バシっと叩くだけで20回近くもNGが出てね。5回目を超えたあたりから口の中が切れて血が出てきちゃって。ちょっと監督勘弁してくれよ〜ってシーンがありました(笑)。

──中平監督は、その知人の方を、女優にしようとしていたんでしょうか。

浜田 いやそうじゃなくて、この役は彼女しかできないと思ったんじゃないでしょうか。そんな甘ったるい人ではなかったから。既成の女優から引っ張りだそうとしても、あの独特の雰囲気は出ないわけですよ。そこまで徹底して狙っていた。『光る海』は卒業式のシーンから始まるんですが、校長先生の役を映画監督の山本嘉次郎さんがやってらしたんですね。この使い方もスゴイと思った。たったワンシーンですよ。でもどうしても起用したいって言うのね。中平監督なりのこだわりっていうのは、そういう風に随所にあるんですよ。

轟

キネマ旬報2003年10月上旬号掲載記事を改訂!

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