監督語り【イングマール・ベルイマン】スウェーデンの世界的巨匠の人物・映画を大解説!

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館理人
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イングマール・ベルイマン監督についてちょっと知っていると、それだけで不思議と映画ツウ感爆上がりです、イメージ的に。

館理人
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とっても興味深い監督です。監督した映画も素晴らしい。その証拠に、世界の映像作家が彼から影響を受けています。

館理人
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そんな巨匠、ベルイマン監督をレビューにて解説です!

館理人
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まずは、どれだけスゴい巨匠かをみてみましょう!

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リスペクトされる多才な映像作家

著名な監督たちがファンを公言

「すべての作品を観ている」と語るのはスティーブン・スピルバーグ監督。マーティン・スコセッシ監督は「1950〜60年代に映画を撮りたいと志す青年だったら、影響を受けない訳にはいかない」と熱弁。スタンリー・キューブリック監督やアンドレイ・タルコフスキー監督もファンを公言しています。

ベルイマン監督作『第七の封印』を「最も好きで、最も影響を受けた映画」と語るのはウディ・アレン監督。この映画で登場する死神へのオマージュとして、白い布を頭から被ったキャラを、自身の監督作『ウディ・アレンの愛と死』(1975年)に登場させました。

パク・チャヌク監督も、同じく『第七の封印』にオマージュ。老医師の回想シーンで、彼自身が老いた姿のまま時制を超えて青年時代の光景に登場する印象深い手法を、パク・チャヌク監督は自身の映画『オールド・ボーイ』(2003年)に引用。主人公が、現在の姿のまま過去に起きた出来事を垣間見る場面の基になっています。

ウエス・クレイブン監督はデビュー作のスプラッタ『鮮血の美学』(1972年)で。ストーリーが、ベルイマン監督作『処女の泉』を元ネタにしています。愛する娘と、彼女の友人を殺された男の壮絶な復讐譚を、残酷描写満載で描きました。

世界三大映画監督と称される

カンヌ国際映画祭で2度パルムドールを得たビレ・アウグスト監督がベルイマンを黒澤明、フェデリコ・フェリーニに並ぶ三大監督と評価。20世紀最大の巨匠と称されることも!

舞台も手がける多彩な才能

映画監督だけでなく舞台演出家としても一流。1960年にストックホルムの王立劇場の主任演出家に着任。1982年の映画監督引退宣言後は、スウェーデン王立劇場で舞台演劇に専念しました。

館理人
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ベルイマン監督は、どのくらいの時代に活躍した監督なのでしょうか? プロフィールはこちら。

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イングマール・ベルイマン監督 プロフィール

(1918年7月14日〜2007年7月30日)
スウェーデン生まれ。
1945年、『危機』で映画監督としてデビュー。
映画賞を受賞多数、アカデミー賞にノミネート(受賞含む)された作品に『野いちご』(1957年)、『処女の泉』(1960年)、『鏡の中にある如く』(1961年)、『叫びとささやき』(1972年)、『鏡の中の女』(1976年)、『秋のソナタ』(1978年)、『ファニーとアレクサンデル』(1982年)。
1991年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。
2003年、20年ぶりの監督作『サラバンド』は初のデジタルHD撮影で、これが遺作となった。
89歳で死去。

館理人
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ではいよいよ! レビューをどうぞ!

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ベルイマンの映画世界に触れる意味、大解説

実体験を取り入れ人間の本質に迫った重厚な題材を映像化

(轟夕起夫)

 映画とは、光と影が織り成すものであり、決して手にはつかめぬ虚構の代物だ。なのに、一度見ただけで生涯、心の中にすみついてしまう不思議な生き物でもある。

 イングマール・ベルイマン監督はその映画と格闘し、モンスター級の不思議な生き物を次々と観客に差し出して、インターナショナルな賞賛を得てきた。しかもそれは、時代を超えて、我々の胸に迫ってくる。なぜか? 自分がひとりの弱い人間、であることを真正面から見つめ、身にしみた実感を類いまれなるイマジネーションで作品化してきたからだ。

館理人
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ちょ、ちょ、あの!

館理人
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わかりづらいです。そもそもマニアックな感じのする監督名です(個人的感想です)。具体的な解説で願いします。

 ベルイマンは、のべ5回結婚しており、夫婦生活を営みながらも大抵、愛人と呼ばれる存在がいた。

館理人
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プライベートすぎますが…。人間臭さに近親感が出てきました、続けてください。

 撮影中に主演女優とデキてしまうこともあって、それだけ魅力的な男であるとも言えるが、裏を返せば欲望に左右される、人間的にとても弱い人物だったのだ。

館理人
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今ならかなりタタかれそうです。

 妻や愛人たちと交わしたあれやこれや、背筋がゾっとする経験を積極的に自作の中へと取り込んだ。この食えないスタイル、誰かを思い出さないだろうか…そう、ウディ・アレンである。彼らは共にみずからの人生を、作劇のためのサンプルにしてしまうツワモノなのである。

館理人
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ウディ・アレンは監督作に『マジック・イン・ムーンライト』など。アカデミー賞ではノミネート数なんと24!(2020年現在。監督賞、作品賞、脚本賞、主演男優賞)
私生活では、パートナーだった女優ミア・ファローの養女と結婚するなど、裁判沙汰もろもろゴタゴタ多いヒトです。

 また、牧師の子として生まれたベルイマンは、幼少の頃から父に教会に連れられ、壁や天井のキリスト教的なイコン(図像)を目にしていた。『第七の封印』はもちろんのこと、初のオリジナル脚本を演出した『牢獄』(1949年) や「神の沈黙三部作」など至るところで人間と宗教の問題を扱っている。

 当然、権威的だった父親と、愛に飢えていた母親との関係も映画で描いている(『第七の封印』の騎士の妻、『野いちご』の老人の亡き妻、『処女の泉』のヒロインの名は母親と同じカーリン!)。

 自分の心の底を巧みに、作品化してきた全身映画作家ベルイマン。『野いちご』の冒頭のシュールな夢も、実際に見た夢が基だ。

 シンプルなアプローチだが、その象徴性、メタファー表現の飛躍には驚かされる。夢や幻想は、現実を浸食していく。同様の恐怖を扱った『狼の時刻』に影響を受けて『シャイニング』をつくったスタンリー・キューブリックは若き頃、ベルイマンにこんなファンレターを送った。

「あなたの映画は常に、私の心を揺さぶった。作品の世界観をつくり上げる巧みさ、鋭い演出、安易な結末の回避完璧なほど人間の本質に迫る人物描写において、あなたは誰よりも卓越している」

 ヌーヴェル・ヴァーグが才能を世界に紹介!

「ベルイマンが大きな名声を博するようになったのは、我々が彼の2、3本の映画を讃め上げた後のことなのです」

 “我々”とは、1950年代後半に批評家から実作に打って出て、世界中を席巻した映画運動、ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)のメンバーのこと。すなわち、この文を書いたジャン=リュック・ゴダールを代表とするフランスの監督たちだ。

 ゴダールはとりわけ『夏の遊び』を絶賛したのだが、これはベルイマンの淡い恋、16歳のひと夏の思い出を基にしたみずみずしい青春映画。

 また、ヌーヴェル・ヴァーグの先駆けとされる『不良少女モニカ』は、原題を直訳すると『モニカとの夏』。野外ロケで即興演出を多用し、10代の若者の無軌道な生態をリアルに描いた本作は、30代のベルイマンが今夏の開放感に身を任せて撮った。

 ゴダールらは同じ野外ロケ&即興演出をベースにして、大人社会や既成の価値観をひっくり返す長編映画でデビューした。

『不良少女モニカ』のヒロインはカメラ目線で、スクリーンの向こう側の観客に挑発的な視線を投げかけたが、ゴダールは『勝手にしやがれ』(1960年)で、またフランソワ・トリュフォーは『大人は判ってくれない』(1959年)でこの手法を使っている(後者には『不良少女モニカ』のスチール写真を主人公に盗ませる場面も!)。

 エリック・ロメールは、『第七の封印』を「現存する最も美しい映画のひとつ」と激賞。ベルイマンは彼らの“精神的な父”だったのだ。

遺作まで貫かれた映像テクニック

 多彩なテーマに取り組んだベルイマンは、同時に、いろいろな映像スタイルに挑戦してきた。まず、単にテクニックではなく、内容に応じて使用法を変えてみせたフラッシュ・バック。初期は『愛欲の港』のように物語を補佐する回想だったが、現在と過去が並列される『渇望』、ヒロインの意識の流れを感じさせる『夏の遊び』へと進化していった。

『愛のレッスン』では2人の回想者で複雑さを増し、『野いちご』に至っては夢想と過去と現実が交錯、孤独な老人の生涯を走馬灯のごとく甦らせた。抑圧された記憶を明らかにしながら生と死、人生の意味について映像的に思索したのだった。

 シュールな表現主義にも影響されていたベルイマン。『闇の中の音楽』(1948年)では射撃訓練中、事故で失明した兵士の苦しみを彼の見る夢魔で表現した。時計や人形などをシンボリックに活用、多くの作品で精神分析的な幻想シーンを用意し、のちにデビッド・リンチに影響を与えたのも納得である。

館理人
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デビッド・リンチ監督作に『ツイン・ピークス』など!

 一転して『シークレット・オブ・ウーマン』では5分25秒、ほとんどカットなしの長回し撮影を敢行。これはアルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』(1948年)に感化されてのこと。

 また1960年代末、『夜の儀式』を皮切りに、オリジナル脚本でTVドラマに挑戦したのも見逃せない。『ある結婚の風景』でもお馴染みだが、全体を一幕ごとに区切って物語る断章形式を採用する舞台演出家としての血は、後年の室内劇への傾倒へたどりつく。デジタルHDで撮影を行なった遺作『サラバンド』まで、実験的姿勢を決して失わなかった。

ミューズたちとの親密な関係

 天使か悪魔か、それとも男の正体を映し出す合わせ鏡か。ベルイマンが、映画でも実人生でも愛し、そして闘いつづけた女性たち。最初と2番目の妻がバレリーナだったため、『渇望』のヒロインは元バレリーナという設定。しかも描いたのは倦怠期の夫婦で、2番目の妻と別れた事情が影を落としている。

 夫の浮気を題材にした『愛のレッスン』は、3番目の妻との離婚の裏話がネタ元。原因となった愛人は『不良少女モニカ』の主演、ハリエット・アンデルセンである!

 彼女はベルイマン映画のミューズとなったが、最後にその座についたのは『仮面ペルソナ』で初登場したリブ・ウルマン。『ある結婚の風景』『秋のソナタ』といった傑作を残した。

 結婚はしなかったが、公私共によきパートナーとして愛憎を超越した深い関係を築いた。ミューズは、他にもビビ・アンデショーン、グンネル・リンドブロム、イングリッド・チューリンらがいるが、共通点があるのをご存知だろうか。

 例えば『女はそれを待っている』 (1958年) の産院で顔を合わせた妊婦たち、『叫びとささやき』の3姉妹、『秋のソナタ』の母娘…。彼女たちは、外見は美しいが心の内にモンスターを飼っている女性を演じていた。

 さて、ベルイマンが込めたセンシティブな意図、つまりは色調やサウンド、“ルック”の全てをオリジナルに近い形で今日再現したのがデジタル・リマスター版。ベルイマン作品の真の姿を収めたブルーレイ&DVDを観ること、それは映画ファンにとって至上の喜びになるはずだ。

館理人
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個々の作品について、いくつかをチョイス、改めて紹介です!

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ベルイマン作品ピックアップ紹介!

『第七の封印』(1957年)

騎士と死神のチェス勝負を通じ神の存在を問う哲学的物語

第10回カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞したベルイマンの代表作。舞台は中世のヨーロッパ。マックス・フォン・シドー扮する十字軍の遠征から帰還した騎士が、彼を狙う無気味な死神、と自身の命を懸けてチェス勝負に挑む。神の不在、というベルイマン作品における永遠のテーマが内包されており、ペストがまん延するダークで終末的な世界観、クライマックスの舞踏シーンに代表される詩的な映像が衝撃的な一作だ。

『野いちご』 (1957年)

心象風景の演出が印象深い老医師のロード・ムービー

名誉博士号を授与されることになった老医師が、息子の嫁と車で旅をしながら、みずからの人生をかえりみる。針のない時計、霊柩車といった死を暗示するアイテムが散見する悪夢や、過去と現在が混在する回想シーンなど、心象風景を現わす画期的な映像表現が、人の老いや家族への愛をテーマにした普遍的な物語を彩る。第8回ベルリン国際映画祭金熊賞を獲得。タルコフスキーがオールタイム・ベストの一本に選出した。

『処女の泉』(1960年 )

『羅生門』から着想を得た娘の死に苦しむ父の復讐劇

第33回アカデミー賞外国語映画賞受賞作。娘を陵辱し惨殺した若者たちへの父親の復讐が、神の存在を感じさせる魂を浄化する光景で締めくくられる。黒澤明監督の『羅生門』(1950年)にインスパイアされたベルイマンが信仰か、復讐か、という究極の選択を突きつけられる父親の姿を通じて、見る者の倫理観を問う。光と影のコントラストが印象深い映像は、ベルイマン作品の要である撮影監督スベン・ニクベストによるもの。

『夏の遊び』 (1951年)

ゴダールが激賞したひと夏の悲しい恋模様

 ベルイマンが学生時代に書いた短編小説「マリー」をみずから脚色、恋人との関係に思い悩むプリマバレリーナの過去の苦い恋の記憶を、繊細なタッチで描く青春ドラマ。後年のトレードマークとなるフラッシュバックが巧妙。ジャン=リュック・ゴダール監督がカイエ・デュ・シネマ誌に寄稿した批評の中で「映画の中で最も美しい映画だという以外にことばをもたない映画だ」と絶賛した。

『夏の夜は三たび微笑む』(1955年)

入り乱れる恋の行方を軽妙なタッチで語る喜劇

 弁護士や女優など、多様な階級や地位の男女たちの思惑が錯綜し、みごとなオチがつくロマンティック・コメディ。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』をほうふつとさせる恋のさや当てが、北欧の白夜、のどかな風景の中で繰り広げられる。重苦しいテーマを得意とするベルイマンには珍しい軽妙なタッチのコスチューム劇だ。第9回カンヌ国際映画祭で特設された詩的ユーモア賞を受賞した。

『冬の光』(1963年)

美しき光の描写が彩る生涯のテーマ神の沈黙

 漁村にある教会の牧師が、中国の核開発の一報に憂いた信者が自殺したことを知り、神への信仰を揺らがせてしまう。信仰心と神の不在を問題にし、父親が厳格なプロテスタントの牧師であったベルイマンの心情をつづる「神の沈黙三部作」の一編にあたり、『鏡の中にある如く』(1961年)と『沈黙』(1963年)の間に位置する。セットの教会内部に差し込む雄弁な光が、神がかったように美しい。

轟

DVD&ブルーレイでーた2015年1月号掲載記事を改訂!