蔵出しインタビュー・監督【小沼勝】ロマンポルノの巨匠から映画を学ぶ!

Photo by Denise Jans on Unsplash

館理人
館理人

ロマンポルノは、R-18の映画で日活のレーベル。アダルトビデオとは別くくりの、年齢制限のある一般邦画として分類される映画です。

ロマンポルノについてはこちらで紹介しています。

館理人
館理人

さまざまな監督がロマンポルノ映画を撮りましたが、なかでも「歩くロマンポルノ史」と呼ばれるほどの巨匠! 小沼勝監督のインタビュー記事を復刻いたします!

ロマンポルノでの仕事について語っていただいています。

館理人
館理人

小沼監督がロマンポルノで重要な監督であることは、こちらの記事で紹介しています!

館理人
館理人

では! インタビューをお楽しみください。

プロフィール

【小沼勝】
映画監督。1937年生まれ。1961年、日活入社。1971年『花芯の誘い』でデビュー。その創世期から最後まで撮り続け、残したロマンポルノ作品は総計47本。他にも第51回ベルリン国際映画祭キンダーフィルムフェスト部門グランプリの『NAGISA』(2000年)や『女はバス停で服を着替えた』(2002年)など、作品多数。

「映画の原型はアクションです」

(取材・文 轟夕起夫)

鷹匠のドキュメントを観てSMの世界を理解しました

──小沼監督といえば、セックスシーンをもグラフィカルに切り取るその「画づくり」。『ラブハンター 熱い肌』(1972年)や『昼下りの情事 古都曼陀羅』(1973年)など、初期の頃から才気走っていました!

小沼 いやあ、それはね、僕が若かったからだと思いますよ。男と女の関係とかよくわかんなくて、それで感覚的に切り取ろうとかしたんじゃないかな(笑)。

──またまたご謙遜を。1974年には名コンビとなる谷ナオミさんと『花と蛇』を撮られ、SM路線の口火も切られましたね。

小沼 日活は、ピンク映画で活躍していた谷さんにずっとラブコールを送っていて、団鬼六さん原作の『花と蛇』でようやくそれが実現したんです。僕としてはどんな題材でも試みとしてやってみようと。ところがね、原作を何回読んでもよく理解できないんだ(笑)。しかも長編の大河ドラマで、とてもそのままは映画化できないぞと悩んでね。

──で、打開策は?

小沼 監督は原作よりも脚本を信じて作るんです。シナリオライターの田中陽造さんが僕にもわかるように料理してくれましたよ。それと、偶然ですがNHKで鷹匠のドキュメントをやっていたんですね。野生の鷹に餌付けしていくわけですけど、気位が高くてまったく口にせず、何羽も死んでいく。思わず鷹の気持ちになって、やっと食ったときは感動しましたよ。ところが一度食いつくと、鷹は完全に調教されてしまう。鷹匠の手のひらにも乗るし、ロープを結んで物を投げれば取りに行きもする。なるほどこれがSMか! と理解したんですね(笑)。

出ていった女がもう一回戻ってくる。そこに僕は感動する

──つまりはSMも、精神と肉体の織りなすアクション映画のようなものだと!

小沼 そう。谷さんに限らず、セックスシーンっていうのはアクションだし、アクションこそが映画の原形なんだと感じていましたから。ダラダラと台詞で説明するのは、映画的じゃあないですよね。

──女性に対し、小沼監督には先ほどの鷹匠みたいな感覚はないんですか(笑)。

小沼 そりゃあ女性には、自分の言うなりになってもらいたいし、閉じこめてもおきたいけど、そうしたらプイっと出ていかれたりするでしょ(笑)。 だから『団鬼六〈黒い鬼火〉より 貴婦人縛り壷』 (1977年)のときに僕は、脱出に成功したヒロインがラスト、さんざん責め苦を味わされた男のもとにあえて戻ってくるという展開にした。それもまた女の愛なんだってね。脚本家のいどあきおさんには「甘いぞ!」って怒られましたが。でもね、僕が一番感動するのは、出ていった女がもう一回戻ってきて、男が「おかえり」って迎えることなんだ。そんなの、現実の世界ではありえないからこそね。ま、これは男の夢だね(笑)。

カッコよく、オトシマエをつけないのが日活ロマンポルノ

──それにしても『生贄夫人』(1974年)や『濡れた壷』(1976年)、『花芯の刺青 熟れた壷』(1976年)など、谷ナオミさんとのコンビ作は本当に傑作ぞろいですね。

小沼 谷さんとの現場はラクでしたよ。ピンク映画で演技の経験をしてるし、劇団の座長もやっていたので、みんなをまとめてもくれる。それからスタッフの力ですね。『生贄夫人』の舞台となった廃屋なんて、あれだけのセットを組むのは大変なこと。きれいなマンションのセットより手間がかかる。照明さんにしろカメラマンさんにしろ、スゴい力量だったよね。

──ロマンポルノも後期になると、『縄と乳房』(1983年)なんてメタSMみたいで男と女、人生の虚実が染み入る内容でした!!

小沼 さすがにその頃には、だいぶ男と女のこともわかってきたんですよ(笑)。ヒロインが新人の松川ナミさんで、谷さんに肉迫するには、ある程度SMも本物に近いところまでいかないと、って意気込みでしたね。よく頑張ってくれましたよ。

──ところで小沼監督の作品では、登場人物が死なずに終わることが多いですね。

小沼 あ、それね、脚本では死んでる設定なんですよ(笑)。ずいぶんラストシーンで僕は、死者を救いましたね。カッコよく死んだりするのは、それまでの日活アクションでやり尽くされてましたから。ロマンポルノはカッコよく、オトシマエをつけるものではないんじゃないかって。『女教師 少年狩り』(1975年)のラストも脚本では、少年が女教師を刺すはずだったんだけど、かなり変えてしまいましたね。

期間限定

映画は、面白ければどんなことをやってもいいと思う

──あと、劇中に挿入される歌のセンスが素晴らしいですね。『OL官能日記 あァ!私の中で』(1977年)にはカルメン・マキの「私は風」が、『さすらいの恋人 眩暈めまい』(1978年) には中島みゆきの「わかれうた」が印象的に流れてきます。

小沼 単に音楽に頼ってるんですよ。カルメン・マキのときは撮る前から決めてたのかな。小川亜佐美さんのデビュー作だったので、演技的に弱い部分を補おうとね。結局、映画っていうのは、面白ければどんなことをやってもいいんですよ。たとえばね、小説の一行を映像化しようとして、役者で演じてみても超えられないんだったら、僕は小説の活字をそのまま映そうと思う。面白くなるんだったら音楽にも頼るし、なんでもする。そういう考え方です。

──まさにプロ! どんな題材でも、そうやって映画にできちゃいますか?

小沼 視点の問題ですね。たとえば催眠術を題材にした脚本があって、催眠術をかける人、かけられる人を描いても面白くはないですよね。まずは「観客にも催眠術がかかるようなものはできないか」って考える。考えて、それができなきゃ映画にはしません(笑)。大震災モノなんかだったら、たとえ製作費がなくてもね、登場人物にトイレの中でそれを体験させ、地震の大きさを感じさせる映画を撮る自信はある。ま、そういうことですよ。

──特集上映では、ロマンポルノと初めて出会う若い人たち、しかも女性にも注目され盛況です。

小沼 当時は徹底して“男の目”で作っていたんですがね。それと、いわゆる女性の自立みたいなのはダサい女がやることだ、って感覚が世の中にありました。でも当然、あの頃とは時代もずいぶんと変わりましたし、いろんな方に観てもらえれば嬉しいですよね。

轟

ビデオボーイ掲載記事を改訂!

館理人
館理人

ロマンポルノを鑑賞するためのサービスについて、関連記事はこちらです!