多くの映画監督がチャンスを求め掴んだ日活ロマンポルノ。どんな監督たち? どんな挑戦? あの時代の日本映画の潮流とともに大解説!

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日活のR18映画レーベル、ロマンポルノ(発足時の表記はロマン・ポルノ)数多くの有能な監督たち(新人も含む)が関わって、作品を発表していきました。大前提として「何度かセックス描写を入れる」という枠組みの中、そこは比較的、自由に表現ができる場であり、撮影現場を実践的に学んで、チャンスを掴める場でもありましたーー。

館理人
館理人

映画監督の挑戦からロマンポルノを語ります! 監督ごとのおすすめロマンポルノ映画もご紹介!

期間限定

  1. 映画監督たちのロマンポルノ
      1. 日活の起死回生策
      2. ロマンポルノから躍進した監督たち
      3. 日本映画を担う異才たちの登場
  2. 小沼勝がロマンポルノで示した鬼才
      1. 映倫との戦いの連続
      2. ドキュメンタリーカメラが捉えた小沼監督
      3. 生身のアクション映画
  3. 監督別!監督作を一気チェック
      1. [金子修介] サブカル世代の星
      2. [根岸吉太郎] 気まぐれ本格派
      3. [石井隆] 雨と夜と血のスタイリスト
      4. [中原俊] 映像言語に長けた技のデパート
      5. [周防正行] 日本一募作なヒットメーカー
      6. [那須博之] 永遠の”ビーバップ”熱血野郎
      7. [神代辰巳] ロマンポルノの絶対的エース
      8. [藤田敏八] 青春映画マスター
      9. [長谷川和彦] 監督作2本で映画史に屹立
      10. [崔洋一][相米慎二] 1本ずつ参加!
    1. 特別解説❶ [田中登] 70年代ロマンポルノの旗手・めくるめく映像曼荼羅
    2. 特別解説❷〜主演女優別作品紹介 [小沼勝] 創世記から最後までのロマンポルノ史!
        1. ・谷ナオミ 出演作
          1. 『濡れた壺』(1976年)
          2. 『花と蛇』(1974年)
        2. ・谷ナオミ+東てる美 出演作
          1. 『生贄夫人』(1974年)
        3. ・田中真理 出演作
        4. 『ラブハンター 熱い肌』(1972年)
        5. ・山科ゆり 出演作
          1. 『昼下がりの情事 古都曼荼羅』(1973年)
        6. ・飛島裕子 出演作
          1. 『夢野久作の少女地獄』(1977年)
        7. ・小川亜佐美 出演作
          1. 『OL官能日記 あァ!私の中で』(1972年)
        8. ・小川 恵 出演作
          1. 『さすらいの恋人 眩〈めまい〉暈』(1978年)
        9. ・鹿沼えり 出演作
          1. 『時には娼婦のように』(1978年)
        10. ・風祭ゆき 出演作
          1. 『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980年)
        11. ・木築沙絵子 出演作
          1. 『箱の中の女 処女いけにえ』(1985年)
        12. 柳美希 出演作
          1. 『ベッド・イン』(1986年)

映画監督たちのロマンポルノ

 これから「日活ロマンポルノの旅」をしたいと思う。さてさて。ロマンポルノを撮っていたのはどんな監督たちなのか?

日活の起死回生策

 石原裕次郎と浅丘ルリ子をシンボルに、無国籍かつ豊穣な“ロマン&アクション”の王国であった日活映画。だがその華麗なる世界も1960年代後半、興行的には瓦解の一途を辿り、1970年を迎える頃には息も絶えだえになっていた。

 日本映画全体が斜陽化し、とりわけ日活(と大映)は死に体であったのだ。

 ついに1971年、日活は起死回生の経営転換に打って出る。ロマンポルノという新路線、すなわちセックス描写を中心とした劇映画で勝負に出たのである。

 1971年11月、『団地妻 昼下りの情事』『色暦大奥秘話』の2本立てが記念すべき最初のラインナップ。

 ところで『団地妻〜』を監督した西村昭五郎は、ロマンポルノ最多演出を誇ったツワモノだが、そもそもは1963年、『競輪上人行状記』でデビュー。これは人間悲喜劇の傑作で、さらに裕次郎主演の『波止場の鷹』(1968年)も撮っていたが波に乗れず、このロマンポルノ路線で新たな才能を開花させたのだ。

 ちなみにロマンポルノのエース、神代辰巳も1968年、『かぶりつき人生』でデビュー済みであった。つまり、路線変更以前に昇進していた監督たちが、ロマンポルノに挑んでいたのだ。

 それは1966年、小林旭主演の『俺にさわると危ないぜ』でデビューした長谷部安春、それから1967年、『非行少年 陽の出の叫び』を発表していた藤田敏八にも当てはまることだ。

 宍戸錠と藤竜也共演の『みな殺しの拳銃』(1967年)や『縄張はもらった』(1968年)で注目され、続く『野良猫ロック』シリーズで、演出を分けた藤田とともに日活ニューアクションの旗手と目されていた長谷部安春。その志向は1980年代、TV&映画『あぶない刑事』シリーズへと継承されたのだが、1972年に『戦国ロック 疾風の女たち』でロマンポルノに参入したあとも彼は『犯す!』『暴行切り裂きジャック』などアクション・ポルノを連発。

 1970年に渡哲也主演の『斬り込み』でデビューを飾った澤田幸弘もまた純然たるアクション派で、1972年の『セックス・ハンター 濡れた標的』でロマンポルノに合流しつつも、並行して松田優作主演の『あばよダチ公』(1974年)や、『俺達に墓はない』(1979年)を放ったのは当然の流れであった。

ロマンポルノから躍進した監督たち

 しかし一方、ロマンポルノ路線で監督になり、躍進した人たちもたくさんいた。その先鋒が曽根中生である。1971年、『色暦女浮世絵師』で監督デビュー。

「セックスを起爆剤にして新しい映画表現ができる」と宣言し、『(秘)女郎市場』『わたしのセックス白書 絶頂度』『天使のはらわた 赤い教室』などロマンポルノの地平を広げる傑作を次々とものしていった。

 アナーキーな戯作者ぶりは『嗚呼!! 花の応援団』シリーズ (1976年〜77年)や『唐獅子株式会社』(1983年)にも活かされ、『スーパーGUNレディ ワニ分署』(1979年)ではバイオレンス演出も光った。

 耽美派にして腰の入ったドラマ性では1972年、『花弁のしずく』でデビューした田中登。以後1978年まで『女猫たちの夜』『(秘)色情めす市場』『実録阿部定』『人妻集団暴行致死事件』といった卓越した作品がひしめき、フリーになってからは、『丑三つの村』(1983年)を世に問うた。

 1972年デビュー組でいえば『白い指の戯れ』の監督、村川透も外せない! 彼はのちに松田優作と出会い、『遊戯』シリーズから『野獣死すべし』(1980年)まで名コンビを組んだ。

日本映画を担う異才たちの登場

 ロマンポルノは現在の日本映画を担う異才たちの育成に多大なる貢献をした。ロマンポルノから出自し、越境したそのほかの監督たちも、急ぎ足で記しておこう。

 豊川悦司主演『男たちの書いた絵』(1996年)の伊藤秀裕は1979年に『 団地妻 肉欲の陶酔で、『人魚伝説』(1984年)や『死霊の罠』(1988年)の池田敏春は1980年の『スケバンマフィア 肉刑』で、さらに『女がいちばん似合う職業』(1991年)の黒沢直輔は1980年、『ズームイン 暴行団地』でそれぞれデビュー。

 また番外として、『カリスマ』(1999年)の黒沢清は1984年、『女子大生 恥ずかしゼミナール』を撮るもオクラ入りの処遇にあい、追加撮影後『ドレミファ娘の血は騒ぐ』と題名を改め、別配給でこれを公開したという経験を持つ。

 そして1988年ロマンポルノ最後のカップリング『ベッド・パートナー』『ラブ・ゲームは終わらない』。前者の後藤大輔『SASORI IN USA』(1997年)、後者の金澤克次『極道三国史』シリーズ(1996年〜99年)で知られるだろう。

 1988年終焉までの17年間、プログラム・ピクチャーとして多彩な作家と玉石混合の映画を量産してきたロマンポルノ。実のところこの路線を長年支えてきたのは、1971年に『花芯の誘い』でデビューし、SM物から末期のキネコ方式“ロマンX”まで撮り続けた小沼勝のような、ロマンポルノに己を捧げた偉大なアルチザンたちである。小沼監督については、別項として次に記そう。

小沼勝がロマンポルノで示した鬼才

 小沼勝は1960年代、助監督として日活アクションを支えていた。当時「監督になった折には、どうやって暴力への起点を作ろうか」などと考えていたという。

 だが1971年、すでに述べたように経営不振から日活はロマンポルノ路線に転回する。もう少しで監督昇進という端境期だった。それでも小沼氏はひるまず、新たな世界へと飛び込んだ。同年1月20日に『団地妻 昼下りの情事』『色暦大奥秘話』の2本立てが最初のラインナップを飾り、第2週目の2月8日には記念すべき監督デビュー作『花芯の誘い』が公開された。

映倫との戦いの連続

 当時の雑誌「映画芸術」(No.287)をひもといてみると、小沼氏のこんなエッセイが載っている。引用しよう。

「ヤクザが(略)女をいじめる場面があったが、この鈴と口唇の葛藤を超クローズアップで撮影した。女か怖がって逃れようとするのを無理やり押えつけ鈴を鳴らしながら(略)口唇を何回かこすっている内にしだいにおかしくなって、意志に反して口唇は鈴を求めて動き、舌を出し、ついには自ら口を開いて鈴にしゃぶりつく、という一分半位のショットである。これは切られない自信があったが、映倫はワイセツに感ずるから丸々はずすようにと主張した」

 製作費750万円で60〜70分の上映時間。10分間にー回セックスシーンがあればあとは何をやってもいい。日活ロマンポルノはこの条件を逆手に革新的な映画を量産した。しかし初期は常にかような、映倫との闘いの連続でもあった。

 それに対し寺山修司などは果敢にこう援護した。

「スクリーンの中で殺人事件が描かれる場合には、スクリーンの中の刑事がそれを取締まる。(略)ところが、スクリーンやテレビ画面の中で(略)入浴したり、夫と妻が夫婦生活を営んだりすると、たちまち逮捕されたり、フィルムごと押収されたり、裁判にかけられたりするのはなぜだろうか?」(読売・7・6)と。

ドキュメンタリーカメラが捉えた小沼監督

 2001年、中田秀夫監督が師匠・小沼勝の世界を果敢に探求したドキュメンタリー映画『サディスティック&マゾヒスティック』を作った際に、小沼監督への取材の機会を得た。最初は緊張した。なぜならば劇中、インタビューを受けている関係者が「吸血鬼みたいな人」「あの人の目って 青いんですよ」と答えていたからだ。

 実際のご本人はといえば……もちろんそんなことはなく、フランクで、とても紳士的な方であった。が、それでも時折、その目に吸い込まれそうになったのは確かだ。何だか、こちらの心の中をすべて読まれているような圧倒的な眼力があるのだ。

『サディスティック&マゾヒスティック』は、この眼力に魅入られた人々のドキュメントともいえる。

館理人
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『サディスティック&マゾヒスティック』の監督は『リング』『スマホを落としただけなのに』シリーズの中田秀夫。助監督として参加した『箱の中の女 処女いけにえ』の撮影現場を振り返り、さらに関係者インタビュー、小沼映画の名シーンを豊富に盛り込んで、師匠と仰ぐ彼とロマンポルノにオマージュを捧げた作品となっています。

 ちなみに小沼監督にこのドキュメンタリーの感想を訊くと、即座にこう返ってきた。
「冗談でさ、中田には 俺の暗部を洗いざらいブチまけてくれよ、って言ったんだけどね。やっぱりそんなものは俺、どこにもないんだよねえ」

 しかし『サディスティック&マゾヒスティック』には、小沼監督と谷さんが並んで『生贄夫人を観直すという凄いシチュエーションがある。鑑賞後、最初は1秒はあった擬似の排便シーンが映倫で4コマに切られたと述懐し、「何となく美人っていうのはアレが太くていい色してんじゃないかってさ。それを撮りたかったわけですよ。ケツの穴が小さくないっていうか」と彼女を前に言ってのける小沼監督は、無邪気にして悪魔的だ。

 ここをおさえただけでも中田監督には拍手を送りたい。

生身のアクション映画

 今もなおロマンポルノをめぐる特集上映やイベントが度々組まれており、近年はそのスポットライトの中心に小沼勝が存在していることも多くなった。あらためて観直してみると、日活ロマンポルノ史からひときわ浮き上がっている氏の特異性が見えてくるのが興味深い。

 つまり肉体が、高度経済成長と革命幻想の「鎧」であり得た1960年代から、それらが空転し意味を失い、即物的な裸体となった1970年代へ。まるで軌を一にするように、ハダカで抱きあい、掴みあい、犯しあい、殺しあう生身のアクション映画、日活ロマンポルノは始まった。

 だが、小沼勝の作品群は、いったんハダカにひんむきつつ、そこにレザー、刺青、箱、ピアスなど、さまざまなものをコスチュームとしてまとわせた。

 その最大の衣装が縄だ。肉体への華麗なる装飾性。音楽で言えばさながら、神々しくて壮大なプログレッシヴ・ロックと呼ばれた様式の冒険のごとくーー。

『サディスティック&マゾヒスティック』には1999年夏、初の一般映画『NAGISA/なぎさ』に取り組んだ小沼監督の撮影現場が登場する。

 2000年に公開されたこの「ひと夏の少女の物語」は、相変わらず小沼的なプログレ精神健在の素晴らしい作品であった!

 ロマンポルノ以前と以後を同等に語ること。小沼勝のように正当に再評価せねばならぬ監督たちをスクリーンに引き戻すこと。それを求めて「ロマンポルノの旅」は、まだまだ続く。

(轟夕起夫)

監督別!監督作を一気チェック

館理人
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羅列してみれば、錚々たる監督陣! こちらでは監督別に監督作をいくつかピックアップして見どころをご紹介。

館理人
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なお田中登監督と小沼勝監督については別立てでお届け。小沼勝監督の項はロマンポルノ女優図鑑としてもお楽しみください!

[金子修介] サブカル世代の星

 監督デビューは1984年『宇能鴻一郎の濡れて打つ』。受け皿の広いコメディ感覚で才を見せ、一方で美少女フェチぶりも発揮。趣味性とエンタメ性を常に両立させるそのセンスは『1999年の夏休み』『ガメラ』シリーズ、『クロスファイア』『デスノート』シリーズと一貫している。

[根岸吉太郎] 気まぐれ本格派

 1978年 『オリオンの殺意・情事の方程式』で監督デビューした時は弱冠27才。1982年『キャバレー日記』以降、『探偵物語』『ひとひらの雪』『課長・島耕作』とメジャー化。『20世紀ノスタルジア』ではなぜか役者として広末涼子と共演。のちに自作『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』で再会!

[石井隆] 雨と夜と血のスタイリスト

劇画家として活躍、1979年より自作『天使のはらわた』シリーズ等の脚本を手がける。1988年、ロマンポルノの末期に 『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督デビュー。男と女のその鮮烈熾烈な世界は、ロマンポルノ以降の『死んでもいい』から『ヌードの夜』『フリーズ・ミー』『フィギュアなあなた』『甘い鞭』、そして今(2020年7月現在)のところの最新作『GONIN サーガ』と、この人の真骨頂だ。

[中原俊] 映像言語に長けた技のデパート

 1982年、都会のキャリアウーマンの日常をライトに描いた秀作『犯され志願』で監督デビュー。『奴隷契約書 鞭とハイヒール』『3年目の浮気』『イヴちゃんの花びら』などあらゆるジャンルをこなしたのち、1986年、小泉今日子主演の『ボクの女に手を出すな』に抜擢。1990年『櫻の園』、1991年『12人の優しい日本人』で群像演出の粋を極め、1999年『コキーユ/貝殻』では“男泣き必至”の同窓会恋愛映画を創出! 2010年、リメイク版企画「ロマンポルノ・リターンズ」で『団地妻 昼下がりの情事』を担当。

[周防正行] 日本一募作なヒットメーカー

立教大在学中にピンクの世界に飛び込み、助監督修行。卒業後の1984年、カルト・ピンク『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー。同年にロマンポルノ『スキャンティドール 脱ぎたての香り』の脚本を担当。1989年『ファンシイダンス』を皮切りに『シコふんじゃった。』『Shal we ダンス?』と大ブレイク。近作に『舞妓はレディ』『カツベン!』がある。

[那須博之] 永遠の”ビーバップ”熱血野郎

1982年『ワイセツ家族 母と娘』で監督デビュー。続く『セーラー服 百合族』シリーズや『美少女プロレス 失神10秒前』で好評を得る。1985年フリーになり、東映で『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズを連打。大ヒットさせ、男を上げる。1991年の『地獄堂霊界通信』以後、雌伏期に入るが、モー娘。の『走る! ピンチランナー』で復活。晩年は『デビルマン』『真説タイガーマスク』も。

[神代辰巳] ロマンポルノの絶対的エース

 1972年『濡れた唇』を皮切りに『恋人たちは濡れた』『四畳半襖の裏張り』『赫い髪の女など、男と女の心と粘膜の関係を、独特の“軟体”タッチで綴ってきたロマンポルノの雄。同時に彼は萩原健一とのコンビ作『青春の蹉跌』『アフリカの光』『もどり川』『恋文』などでその方法論をさらに深化させた。

[藤田敏八] 青春映画マスター

 藤田敏八は1972年『八月はエロスの匂い』でロマンポルノ参入。一方で桃井かおり主演の『赤い鳥逃げた?』や秋吉久美子3部作『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』といった青春映画のマスターピースを撮りあげた。ヒット作はほかに、『スローなブギにしてくれ』『海燕ジョーの奇跡』など。

[長谷川和彦] 監督作2本で映画史に屹立

神代辰巳、藤田敏八の助監督後、曽根中生の『性盗ねずみ小僧』と、澤田幸弘の『濡れた荒野を走れ』の脚本を書いた長谷川和彦は、1976年に監督になり、水谷豊と『青春の殺人者』、沢田研二とは『太陽を盗んだ男』を発表。

[崔洋一][相米慎二] 1本ずつ参加!

『月はどっちに出ている』『血と骨』で知られる崔洋一は1983年『性的犯罪』『セーラー服と機関銃』『あ、春』などの相米慎二は1985年『ラブホテル』と、それぞれロマンポルノを1本だけ残している。いずれも力作ぞろい。

特別解説❶ [田中登] 70年代ロマンポルノの旗手・めくるめく映像曼荼羅

単刀直入にいえば、1970年代日活ロマンポルノの旗手であった。『花弁のしずく』(1972年)でデビュー。作家的特徴は、耽美にしてめくるめく映像曼荼羅。『牝猫たちの夜』 (1972年)の落下するビニール傘、ビル街のシャッターが呼吸するかのように一斉に開いていくラストの鮮烈。美人姉妹のフォトジェニックな世界がグロテスクに反転してゆく『夜汽車の女』(1972年)。全編を彩る様式美、死神おせん(中川梨絵、最高!)のツンデレぶりに陶酔させられる『(秘)女郎責め地獄』(1973年)。

 そして大阪は釜ヶ崎を舞台にしたヒロイン・芹明香 in ワンダーランドな『(秘)色情めす市場』(1974年)の神々しさ(宮下順子と萩原朔美のダッチワイフ自爆シーンも名場面)。その宮下順子主演で阿部定事件を描き、『愛のコリーダ』より早かった『実録阿部定』(1975年)。

 東映に招聘されて、高倉健、菅原文太競演の『神戸国際ギャング』(1975年)を撮り、『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』(1976年)ではパトカーで連行される安藤昇にふてぶしくも千摺りをさせた。

 日活に戻って、『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(1976年)のまさかの人間椅子エピソード、逆さ吊りされた女優が本当にオチかけた『発禁本「美人乱舞」より責める!』(1977年)、『人妻集団暴行致死事件』(1978年)の妻を集団レイプで殺された夫(室田日出男)の“哀しみの儀式”は涙また涙、石井隆原作・脚本の『天使のはらわた 名美』(1979年)の死体置き場の恐怖も忘れがたし!

 さらに松竹にて津山30人殺しを題材にした『丑三つの村』(1983年)、TV ドラマも多数あり(2002年、火曜サス枠、ビートたけし主演の『鬼畜』もそう)。ちなみに田中登監督、明治大学文学部フランス文学専攻仕込み、自らの映画作りを「優美なる死骸遊び」と語ったことも。

特別解説❷〜主演女優別作品紹介 [小沼勝] 創世記から最後までのロマンポルノ史!

小沼勝。創世記から最後まで、撮って撮って撮り続け、残した総計47本! 歩くロマンポルノ史と言われる所以です。

・谷ナオミ 出演作
『濡れた壺』(1976年)

これぞ小沼勝の真骨頂のエロス劇
(脚本:宮下教雄)
さて質問。人間の器官で一番イヤらしいのはどこか? 答え。目だ。実は外にさらけだされ、しかも性器以上にエロエロ光線を発射しているのがこの場所なのだ。ナオミさまの濡れた壺にマネキンの指を這わせ、パンティーを剥がして見つめて、こう呟く男。「まるで、夕立ちにあったようだぜ」。くう~。

『花と蛇』(1974年)

花と蛇が棲むオンナ、それがSMの女王の証
(脚本:田中陽造 原作:団鬼六)
ずばり、谷ナオミ奥さまの決め台詞はこれだ。「男ってカワイイわねェ」。降参。責められれば責められるほどに輝いてしまうという3段逆スライド方式の快楽装置。SM趣味の老社長が、部下に自分の妻への飼育係を命じるが、最後に勝つのはナ・オ・ミ。そんな話が、時に荘厳、時にコメディタッチで展開するなんて、贅沢すぎ!

・谷ナオミ+東てる美 出演作
『生贄夫人』(1974年)

恋人の前で浣腸される東てる美のベストアクト
(脚本:田中陽造)
サド夫により廃屋に監禁され、恥辱を受けまくるナオミさま。ま、それは基本。問題は、サド夫のエジキになる心中未遂カップルだ。死のうとしてたのに叩き起こされ、気がつけば縄化粧。ナオミさまのこの一言が重い。「どうして死んでしまわなかったの…これから生き恥をさらすことになるというのに」。う〜む。

・田中真理 出演作
『ラブハンター 熱い肌』(1972年)

タイトルバックも流麗なセクシャル・アート
(脚本:萩冬彦)
不能の夫にはサディスティックに責められ、不倫現場を目撃された野郎ともE気持ち。2人の男にたぶらかされつつジツを取るブルジョワ妻の見本・田中真理壌のスゴさよ! 巨大な絵画、白いブーツ、レイアウト感覚あふれる、裸体アクション・ペインティング。この段階でS&Mの倒錯世界は十分すぎるほど濃厚。黒皮フェチも要チェキだ。

・山科ゆり 出演作
『昼下がりの情事 古都曼荼羅』(1973年)

穴の向こうは不思議なまんだらけ
(脚本:中島丈博)
京都の料亭で画家の養女とお見合いをする銀行員(風間杜夫)。が、その肉体はすでに義父の手で汚されていた。女は言う「パパ、ピンポンしてェ!」。だからって卓球をおねだりしてるワケではない。想像せよ、古都のたたずまいの中の、シュール&ラヴ&ポップ。

・飛島裕子 出演作
『夢野久作の少女地獄』(1977年)

ドグラマグラな世界に少女二人、背を向けて
(脚本:いどあきお)
何と夢野久作のカルト小説を映画化。名門女子学院で火星さんとあだ名される歌江と、レズ関係にあるアイ子。しかし、好色な校長が歌江を妊娠させてしまう。膨らみつつあるお腹。白い大きな風船……破裂を予期させるスリリングな球体のイメージ。無垢なる少女性が怪奇幻想となり炸裂する、デストロイにしてジェノサイドな終末映画!

・小川亜佐美 出演作
『OL官能日記 あァ!私の中で』(1972年)

日本映画タイトル史上ベスト10モノの大傑作
(脚本/宮下毅雄)
父と二人暮らしのOL。身持ちが固そうでいて実は課長と不倫関係に。よくある話だ。だが、ひよこ売りの青年との“てんやわんや”なエピソードは、めったに出会えないワン&オンリーのリリカルさ。最後、彼女は走る。いや映画自体が疾走する。カルメン・マキの名曲「私は風」に乗って。怒涛の女泣き映画。OL並びにOL好きは必見。

・小川 恵 出演作
『さすらいの恋人 眩〈めまい〉暈』(1978年)

中島みゆきの「わかれうた」が絶妙の大傑作
(脚本:大工原正泰)
男と女が出会い、いつしかセックスを覗き見させる仕事を引き受ける。しかし二人を狙う謎の集団が。恋人たちの明日はどっちだ? いまや、森本レオをさらに貧弱にしたような名バイプレーヤー北見敏之と、aikoをさらに貧弱にしたようなコケティッシュ爆弾・小川恵。このカップルの運命に、涙腺が……。

・鹿沼えり 出演作
『時には娼婦のように』(1978年)

黒沢年男のあのヒット曲が元ネタ
(脚本:なかにし礼)
原案・脚本、音楽、主演は作詞家であり直木賞作家のなかにし礼。エロ本の翻訳家を演じているんだがその生活の乱れぶり、虚無感の深さといったら「甘えんなァ!」もの。が、彼のベストセラー本「兄弟」を読んでから観ると事情がよ〜くわかる。本人が提案した心臓疾患キャラに、難病モノ嫌いの小沼監督は大いに苦戦したとか。

・風祭ゆき 出演作
『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』(1980年)

女は神輿だ、そ〜れそれそれお祭りだぁ
(脚本:小水一男)
ランニング中の若者グループがすれ違いざま、奥さまに襲いかかったぁ! これは淫夢か現実か。そこから始まるのは、まるで男湯に女がひとり間違えて入ってしまったかのような「ワッショイワッショイ」なセックスとんまつり。それも夫の眼の前で、今…。スペルマが、観ているこっちにまでビュンと飛んできそうな3D体験を堪能あれ。

・木築沙絵子 出演作
『箱の中の女 処女いけにえ』(1985年)

名台詞は「勃起してるじゃねえかあ〜」
(脚本:ガイラ)
隆盛するアダルトビデオに対抗して、スタートした“ロマンX”第1弾にエース小沼が登板。ビデオ撮影、前貼りなしの監禁モノである。地下室で、下水道で、海辺でギリギリまでヒロインを追い込んでいくさまはほとんどホラーの域。なんとムゴいと見るか、なんとエロいと見るかは人それぞれ。実話の映画化!

柳美希 出演作
『ベッド・イン』(1986年)

ゴダールを語り、愛を語り、人生を語る逸品
(脚本:荒井晴彦)
OLと妻子ある男との、納得づくの恋愛遊戯のその果ては? 雨だ。ヒロインのもとに悲しみの、通り雨が降る。やまだ紫の漫画「ゆるりうす色」を脚本化したのは、全共闘世代と女性心理を知り尽くした荒井晴彦。ただしラストは、絶望の淵に追い込む荒井脚本と、ヒロインを次の生活に踏み出させようとする小沼演出とで激論になったとか。

(轟夕起夫)

轟

ビデオボーイ2001年号掲載記事を改訂!(特別解説❷[田中登]の項のみQJ2006年12月発売号掲載記事)

館理人
館理人

小沼勝監督の著書、「わが人生わが日活ロマンポルノ」もおすすめです!

館理人
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ロマンポルノを動画配信で観るなら、視聴可能なタイトルが多いアマゾンプライムビデオや、U-NEXTの利用がおすすめですが(2020年7月現在)、さらに豊富なタイトルがチェックできる宅配DVDレンタルサービスってのも便利です!