渡辺謙・佐藤浩市版リメイク『許されざる者』が背負う、許されざる何かとは

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東日本大震災による福島第一原発事故を描く映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が3月6日公開となります。

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おふたりの共演は、さかのぼれば『許されざる者』にありました。

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おふたりの『許されざる者』は、イーストウッド監督主演の同名ハリウッド映画のリメイクです。

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ということで『許されざる者』の評論を復刻です!

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黄昏の風景から、「業」を背負ったダークナイトへ

イーストウッド監督版はウエスタン

 観終わって、何とも釈然としない気持ちになった。砂を噛むがごとき、苦々しい感触が胸の奥に広がった。

 いや、無論それは、オリジナル版の時でもそうだったのだ。

 あの第65回米アカデミー賞にて作品賞をはじめ4部門に輝いた監督、主演クリント・イーストウッドの代表作(の一本)。はたまた、法や正義を楯にとり、無闇に力を行使することの欺瞞を描き続けるイーストウッドの真骨頂。

 『許されざる者』(1992年)とは観る者に爽快感など与えず、しかしその禍々しさのためにいつまでも心の中に沈殿し続ける、異形の映画だ。

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イーストウッド版は西部劇。アカデミー賞作品賞を受賞しました。

 オリジナル版(以降、便宜上“イーストウッド版”と呼ぶ)と同じく1880年を舞台に選んでいるが、アダプテーション=脚色も手がけた李相日監督は北海道という土地柄を活かして、先住民と日本政府の蝦夷開拓史の上に『許されざる者』の物語を再構築した。

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許されざる者』(2013年)

李相日監督版は蝦夷開拓

 ヒグマの生息地でもある大雪山の麓、大自然のど真ん中。取材でロケ地に足を運ぶ機会があったが、物の怪が出てきそうな未開の地と、そこに建てられた巨大なセットに圧倒された。

 完成作ではラスト、渡辺謙扮する主人公の釜田十兵衛はさながら、日頃、命のやりとりをしているであろう野生動物たちと、ほとんど同化してしまったように見えた。

 先んじて自警団思想の正当性に疑義を挟んだウィリアム・A・ウェルマン監督の西部劇『牛泥棒』(1943年)に強くインスパイアされているイーストウッド版は、「許されざる者とは一体誰なのか?」という問いを突きつけてくる。

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『牛泥棒』はヘンリー・フォンダ主演作です。

 考えてみれば李監督は前作『悪人』(2010年)で、「悪人とは誰のことなのか?」をテーマの正面に据えていた。だから『許されざる者』に挑んだのは、ひとつの道理ではある。

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『悪人』の主演は妻夫木聡、深津絵里。原作は吉田修一の小説です。

 光と闇を作りだすシンボルであった『悪人』の灯台が、李相日版『許されざる者』では釜田十兵衛に姿を変えたのだ。

 幕末、徳川幕府の命(めい)に従い、幾多の志士たちを斬りまくって“人斬り十兵衛”と恐れられた過去を持ち、二度と刀は持たぬと決めたが禁を破り、それを手にする男。

渡辺謙と俳優イーストウッドの共通点

 渡辺謙のキャリアは、俳優イーストウッドの歩みにも似て(世間一般には)最初にTVドラマでスターになり、しかもかたや西部劇、こなたは時代劇を生涯のジャンルとし、このジャンル内でもヒーローのみならず清濁入り混じった役柄を引き受けて重層的なイメージを獲得してきた。

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大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年)は渡辺謙主演。伊達政宗を演じました。

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イーストウッド主演の西部劇『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン』(1966年)はドル箱三部作とも呼ばれ、大ヒットしました。

 だから共に、『許されざる者』の主人公を演じることができるのだが、李監督と渡辺謙は本作で、ヒーローかアンチヒーローか、だけではなく、十兵衛の中にあるものを「音符として奏でない」、つまり感情としてあまり表現しない芝居を狙っていたそう。

 確かに結果、十兵衛のその佇まい、背中、沈黙を通してイーストウッド版にも比肩する、強くも弱くもあり、美しくも醜くもある人間の姿をスクリーンに刻みつけることに成功した。

日本版のオリジナリティ

  が、不満がないわけではない。特に女たちの扱いだ。

 戸長と警察署長を兼任する、大石一蔵(佐藤浩市)が恐怖政治を敷き統治している町の酒場の女郎数名。なかでも、無惨にも客に顔を切り刻まれる若い女郎なつめ(忽那汐里)の存在を、イーストウッド版以上に際立たせようとしているのだがもうひとつ前景化してこない。

「仇を討ってほしい」と復讐のため、賞金を集める女郎仲間も物語を駆動する軸となるのだが、こちらも怒りの強度が足りない。イーストウッド版でもそんなに描きこまれてはいないのだが、女たちの怨念の深度が違うのだ。

 その賞金首を討ち取ろうと町に入る十兵衛のかつての仲間、馬場金吾(柄本明)と新参者の沢田五郎(柳楽優弥)。五郎はアイヌ出身の青年で、蝦夷開拓ならではのキャラクター、いわば『七人の侍』(1954年)における菊千代的な中間者であるが、この中間者たる面白さが十全に出ているかといえば、疑問だ。

 断っておくが、どちらも役者が悪いのではない。むしろ、忽那汐里も柳楽優弥も好演している。オリジナリティ部分の踏み込みの甘さは、アダプテーション=脚色者の“任”であろう。

 しかし、西部劇から近代の劇へ、武器が銃から刀になったのは功を奏している。

 人と人との距離が近くなり、斬りつけ殺めることの痛み、加害者としての感触は銃よりも強くなった。

 十兵衛は長年、刀から離れて生きてきたものの、再び手にすることになるが、李監督と渡辺謙は当初、大刀か小刀か、どっちを持つべきか迷ったという。大刀にすれば過去に戻ってしまうことへの逡巡が見えなくなる。

 最終的には自分の刀ではなく、たまさか誰かから奪い取った刀がそのまま、手入れもせず錆びたまま残っていた、とのシチュエーションになった。

 十兵衛がかつて人を殺めてしまった呪縛から逃れたことはない。彼は刀に執着はしていない。それはよく観れば、クライマックスの戦いでも綴られている“基本線”だ。

比較される宿命

 こうしてたびたび、イーストウッド版と比較してしまったが、仕方ない。宿命である。だが、大いに比べていいと思う。それだけの作品に仕上がっているがゆえに。

 ラスト、イーストウッド版は砂を噛むがごとき、苦々しい感触が胸の奥に広がるが、監督自ら作曲したナンバー、アコースティックギターの調べに包まれ、黄昏の情景で終わっていく。

 李相日版は(岩代太郎の音楽とあいまって)、あたかも深い「業」を背負ったひとりの“ダークナイト”が今、そこに誕生したかのような印象を与えるだろう。

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様々な映画音楽を手がける岩代太郎、『Fukushima 50』でも音楽を担当です。

 勢い、作られるはずのない続篇、シリーズ化を夢想させるが、その後日譚は、観る者が実人生の中で引き受けることになる。十兵衛だけでなく、人は皆、“許されざる何か”を背負っているのだから――。

作品データ ●監督:李相日●出演:渡辺謙、佐藤浩市、柄本明、他●2013年●日本

轟

キネマ旬報2013年9月下旬号掲載記事を改訂!

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『許されざる者』のイーストウッド版と李相日版、ともに扱いのある動画配信サービスは、アマゾンプライムとTSUTAYA TVなど!(2010年1月現在)

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