読む映画リバイバル/森繁久彌映画をふりかえる〜ギラつきのない、灰汁を抜いた芝居へ

(2010年1月号、森繁久彌特集より)

 東宝の“顔”であった森繁久彌が、「社長学ABC」「続 社長学ABC」で「社長」シリーズにピリオドを打ち、本格的に70年代に入ると、それまでとはまた少し趣の違う“森繁ワールド”が広がってくる。端的に言えば、「夫婦善哉」や「猫と庄造と二人のをんな」で体現したダメ男を、さらにダメにしたような初老の男、そういったキャラクターを好んで演じるようになるのだ。まるで67年から始まったライフワークのミュージカル、『屋根の上のヴァイオリン弾き』の父性の塊、デヴィエ役とは差別化をはかるがごとく。

 その代表例が松竹映画、「喜劇 女は男のふるさとョ」から始まる森﨑東監督の“女”シリーズ4作でのストリッパー斡旋所“新宿芸能社”のオヤジ役だった。名は金沢といい、踊り子たちには「おとーさ〜ん」と呼ばれている。おカミさんは中村メイコ、左幸子、市原悦子と代わったが、森繁久彌だけは不動。助平でしみったれてて情けなくて、でも人情味があって、男の本質そのもの。いや、人間そのもの。ギラつきのない、灰汁を抜いた芝居は、流石なかなか出来るものではない。森﨑監督とは「街の灯」もあるが、松竹映画では「男はつらいよ 純情篇」へのゲスト出演も忘れ難い。渥美清にとっては若き頃から尊敬していた名優とのサシの競演。飄々かつシミジミと短い時間を二人は過ごすのだが、至芸対至芸という意味では、とても凄みを感じるシーンになっている。

 至芸対至芸をもうひとつ。勝新太郎との競演だ。東宝・勝プロ配給、頑固な老十手持ちを演じた「座頭市御用旅」ではまだ序の口、いや、そこでもぶつぶつ独りつぶやいたり、森繁久彌は我流を貫いているのだが、TVシリーズ 『新・座頭市3』の『渡世人の詩』前後編、監督は勝新太郎。これはスゴイ。森繁久彌扮する老侠客と酒を酌み交わす市ッつあん、「ぼうふらの唄」を所望する。「ぼうふらが 人を刺すよな 蚊になるまでは 泥水のみのみ 浮き沈み」。勝新太郎対談集『泥水のみのみ浮き沈み』を読むと、とんでもないエロ噺が満載なのだが、森繁久彌が勝新の演技に心酔しているのがよく分かる(その逆も)。互いの芝居の根底にあるものが同じで、「セリフは頭で覚えるのではなく、飲め」「本当はクソにして出しちゃえ」「全部、捨てちゃえ、セリフ。そうすると、グーっと引いてね、おまえさんの全身が撮れる」。

 シビれる。が、この芸談、参考になる人は少ない。誰にでもマネできるものはない。アドリブとリズムの人、森繁久彌、天晴れ。

 認知症の老人役に憑依した「恍惚の人」については別稿に譲るが、郷ひろみと共演、盟友・久世光彦監督の「夢一族 ザ・らいばる」で84歳の結婚詐欺師を演じ、また、それより前に結婚詐欺師役をあてがわれ、それが何と“森繁久彌”をカタる男というNHKドラマ「赤サギ」など、70年代の映画、TVドラマの森繁久彌は、他の時代よりは華々しくはないが、とってもいかがわしい魅力に満ちている。

[キネマ旬報掲載]