スタンリー・ドーネン監督って誰? 有名なのは『雨に唄えば』。オードリー・ヘプバーン映画も撮っているミュージカル映画の巨匠です!
思わず目を奪われる色彩感覚
(文・轟夕起夫)
今回ふと気になって、オードリー・ヘプバーンと一番仕事をした監督というのを調べてみたのだが、するとひとりはウィリアム・ワイラーで、もうひとりはこのスタンリー・ドーネンであった(ともに3回担当)。
『ローマの休日』のワイラーはまあ分かるけど、ドーネンって誰? とは言うなかれ。
何てったってジーン・ケリーとの名コンビ作『踊る大紐育』や『雨に唄えば』『いつも上天気』ほか、数々のミュージカル映画の巨匠である。
でも、そんなお方がヘプバーン映画と相性が良かったとは……。
その3本とは『パリの恋人』『シャレード』『いつも2人で』。
ミュージカルにサスペンス物にラブ・コメディ。1950〜60年代後半にかけて、作劇スタイルの変化を反映させつつも、どれも軽妙洒脱なドーネン監督のセンスほとばしる「ヘプバーンのための映画」に仕上がっていた。
そもそも、アヴァンギャルドな実験精神に溢れた人だったんである。振付け師から演出家へと進出した1949年の『踊る大紐育』では(共同監督ジーン・ケリーのアイデアにせよ) スタジオを飛び出して、ロケ中心の画期的なミュージカルを成功させ、かと思えば1951年『恋愛準決勝戦』ではセットとカメラを回転させて、ダンス王フレッド・アステアをなんと壁から天井までグルリと一周踊らせてしまったのだ!
もはや『雨に唄えば』のアーティスティックなソング&ダンシングは言うまでもなく、アクロバティックな群舞シーン満載の『掠奪された七人の花嫁』に、鬼才ボブ・フォッシーを振付けに迎えた『パジャマ・ゲーム』や『くたばれ! ヤンキース』など、彼の1950年代ミュージカルはつねに視覚的な驚きに満ちていた。
そして、ヘプバーンに対して、そのケレン味が最初に活かされたのが『パリの恋人』だったというわけ。
まるでチューブから絵の具が押し出されたかのようなカラフルな色彩感覚に、今も目を奪われること必至である。
スタンリー・ドーネン 概要
1924年4月13日〜2019年2月21日
米・サウスキャロライナ州コロンビア生まれ。
7歳からダンスレッスンを受ける。
MGM入社後、振付け師として多数の映画を手懸けた後、『踊る大紐育てる』(1949年)で監督デビュー。
1960年代以後は『シャレード』(1963年)のような洒脱なサスペンスや、軽いタッチだが深遠なテーマが込められたラブコメディ『いつも2人で』(1966年)などで本領を発揮。
雑誌1997年2月号掲載記事を改訂、再録