愛川欽也さんのインタビュー記事を復刻します!
愛川欽也さんは2015年、80歳でお亡くなりになりました。その1ヶ月前までテレビ番組「出没!アド街ック天国」の司会をされており、生涯現役で走り続けた方でした。
このインタビューは、初の自伝的青春小説「泳ぎたくない川」が出版された、2004年に行われたものです。
俳優であり、TVタレントであり、司会者であり…多才な愛川さんの、ジャーナリストな一面がかいまみられるインタビュー記事です!
愛川欽也 インタビュー
(取材•文 轟夕起夫)
愛川欽也という名前から、人は何を思い浮かべるのか。愛称キンキン。ベテラン俳優にして息の長いタレント。ジャック・レモンの名吹き替え。映画『さよならモロッコ』で初監督並びに主演、音楽ほか一人5役にチャレンジした男。『トラック野郎』シリーズの当たり役やもめのジョナサン。初の自伝的青春小説「泳ぎたくない川」の作者──。しかしあなたは本当のキンキンをまだ知らないでいる。
ジャーナリズムへの挑戦
オープニングはネルソン・リドル楽団演奏の『ルート66』のテーマ曲。「愛川欽也パックイン・ジャーナル」(朝日ニュースター/CS、ケーブルテレビ)は、このジャジーな名ナンバーと共に幕を開ける。
毎週土曜、愛川キャスターと気鋭のジャーナリスト、評論家らパネリストが、政治、経済、あらゆる出来事をナマで丁々発止と語り合う。1週間のニュースの裏側を誰にでもわかるように解説し、自衛隊イラク派遣や年金問題などにも深く切り込む地上波では見ることのできない貴重な番組だ。
愛川 もう6年目に入ったのかな。番組の反響が広がっているのは出演者、スタッフともども、みんなで感じていますよ。最初に僕が「パックイン・ジャーナル」を企画した動機は、新聞や地上波のテレビの報じるニュースに対し、もっとその先を知りたいって思いがあったからなんですね。ほら、僕って好奇心旺盛だから(笑)。
もっとひとつひとつを掘り下げてほしいんだけど、新聞も地上波のテレビもそれをやってくれない。特に政治家にとって都合の悪い情報が出てこないんだよねえ。しかも、物事を深く掘り下げるのって、難くすることではない。むしろわかりやすくすることですよ。僕の番組は物事を噛み砕いて良い面悪い面、全部出した上で賛成反対と言い合おうと。そう心がけています。
かつては深夜ラジオの先駆「パックイン・ミュージック」、はたまた伝説のワイドショー、水曜イレブンこと「11PM」のパーソナリティでもあった。その「11PM」の最終回で愛川さんは「テレビでものを言う司会者という立場の者は、常に時の政権に対して野党的でなければいけないと思う」と語った。出版された自伝的小説「泳ぎたくない川」(文藝春秋刊)を読むと、そんな愛川さんの原風景が見える。
愛川欽也の原風景
愛川 自伝的とはいえ、実名で登場しているのは、僕のお袋と、中学のときの担任、岡田隆吉先生の二人だけなんですよ。僕の精神史の原点は少年期の戦争体験にあるんですね。僕とお袋にとって、戦争時代はやっぱり何もいい思い出はなかった。まだ子供だった僕は疎開先を転々としながら終戦を迎えたんです。
やっとのことで東京に戻ってきても住む場所を失い、大宮に移って中学に入って、そこで岡田先生と出会った。もう亡くなられましたが先生は、戦時中は二等兵でいちばん位が低く、上官に毎日殴られ、逃げるようにして日本に帰ってきた方だった。
それで僕らに戦後、民主主義の話をしてくれたんですよ。そのとき「国の、社会の理想で民主主義に勝るものはないな」って身に染みて思ったんだ。あれから僕の生活はめちゃくちゃ変わったけど、あえていえば、魂はずーっと変わっていない。中学で学んだ座標軸でもって世界を眺め続けているんです。
「ルート66」
「パックイン・ジャーナル」のオープニングに、「ルート66」が使われているのには理由がある。1960年代初頭、ロスからシカゴまで二人の大学生が旅する人気TVシリーズ「ルート66」で、愛川さんはマーティン・ミルナー扮するトッド・スタイルス役の吹き替えを担当した。
しかも「ルート66」とは1926年に開通し、アメリカのマザーロード(母なる道)と呼ばれ、自由と民主主義の象徴とも言われている道。だがそのアメリカの、今日の迷走ぶりはどうだろう。しかし愛川さんはこう言う。
愛川 もちろんね、理想の国家なんてものがあるのかっていったら、実はないんですよね。崩壊してしまったかつてのソ連、現在のアメリカを見てもよくわかる。でも「ないからこのままでいいんだ」っていうんじゃなくて、民主主義という理想像があるのなら、それに一歩でも近づいていくことが、少しでも先に生まれた者の責任かなあと思ってるんですよ。
舞台俳優としての活動
ここ数年、愛川さんはいままでにも増して俳優活動に打ち込んでいる。友人の奈良岡朋子氏に自ら声をかけ、劇団民藝の舞台に立ったのを皮切りに、2001年11月には若手の役者育成を目的とした「キンキン塾」を主宰。
テレビ番組のレギュラーと並行して戯曲を書き、『港の見える街』(2002年)ほか作・演出も手がける精力さである。また映画にも、向井寛監督の『同窓會』に出演。名古屋中日劇場の『大安吉日物語』(小林俊一演出)も控える。
愛川 「パックイン・ジャーナル」をやりながら、いつも実感しているのは、僕自身はジャーナリストでも評論家でもないってこと。昭和9年東京生まれで、役者である僕が、それまでの経験を土台に司会をやらせてもらってるんだなって。「泳ぎたくない川」にも書きましたけど、舞台俳優になりたくて17才のとき俳優座の養成所に入って、僕のキャリアは始まったんです。でもラジオやテレビ、本業から離れて随分と回り道をしちゃったんだ(笑)。その青春の思いをいま埋めたいと思う。そう多くはない人生の残りの時間、芝居に打ち込みたいって気持ちなんですよ。
ナショナリズムとの対峙
そうは言っても、民主主義の申し子である愛川さん、どんなときも野党的な姿勢は崩さない。
愛川 いまね、ケーブルテレビを見ている人が約50%を超えたそうです。僕はね、テレビの試験放送のときから仕事で関わっているから、役者であって同時に、テレビ屋なんだよね。その僕が、10年以上も前から、日本も視聴の仕方がケーブルテレビ中心になっていくよと言ってきた。でも地上波の連中は「そんなに多くのケーブルの番組、誰が見るんですか?」って耳を貸さなかった。
なんでだろう、そうか、僕はハタと思った。日本は「上から与えられたものを受け入れろ」って歴史なんだ。それが長い間染み付いているんですよ。自分で選択するという感覚が、日本人はどこか欠けている気がする。
また一方、ケーブルテレビを見ている人が50%を超えたとなると、今度はケーブル局が権威を持ち始めるという問題も出てくるよね。どうも僕は、そういう物の見方をしてしまうんですよ。この間まで盛り上がっていたオリンピックなんかも、ナショナリズムの謳歌のためにあるみたいで好きじゃないんですよね。ちょっとひねくれてるのかな(笑)。
しばし間があき、言葉が続く。
愛川 いや、口ではひねくれてるなんて言ったけど、実はそんなこと、心の中では全然感じてはいないんだ(笑)。常に物事に真正面に対峙してると思っています。
愛川さんは矜持をもって、いまもルート66を走っている。
愛川欽也 プロフィール
あいかわ・きんや
俳優、声優、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ、作家、ディレクター、
1934年(昭和9年)6月25日生まれ。
1953年に俳優座養成所で学び、俳優座スタジオ劇団三期会の創立に参加。以後ラジオ、テレビ、映画など多方面で活躍中。
主な映画出演『さよならモロッコ』(1974年、監督他も)、『トラック野郎』シリーズ(1975~79年)、『新宿馬鹿物語』『いつかA列車に乗って』(2003年)、『この胸いっぱいの愛を』(2005年)など。
レギュラー番組に「なるほど!ザ・ワールド」「出没!アド街ック天国」「愛川欽也パックイン・ジャーナル」など。
2015年(平成27年)4月15日死去。
キネマ旬報2004年10月上旬号掲載記事を復刻です
愛川欽也さんの出世作、映画『トラック野郎』シリーズについては、こんな記事もありますよ!