蔵出しインタビュー【撮影監督・町田博が見た、監督・相米慎二】

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館理人
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2011年のインタビュー記事の復刻です! 撮影監督の町田博さんに、亡き相米慎二監督について語っていただいたものになります。

町田博プロフィール

まちだ・ひろし
1954年福岡県生。
77年、東北新社技術部に入社、CMカメラマンとしてSMAPが出演した「ドラゴンクエスト」をはじめ多くのCM撮影で活躍、94年に川島透監督の『押織と旅する男』ではじめて映画の撮影監督をつとめる。
他の主な映画作品に石井克人監督作『鮫肌男と桃尻女』(99年)、相米慎二監督作『風花』 (00年)、 杉森秀則監督作『水の女』(02年)、根岸吉太郎監督作『雪に願うこと』 (05年)、石井克人監督『スマグラー』(11年)など。2016年の小栗康平監督作『Foujita』 では、日本映画批評家大賞最優秀撮影賞 。

館理人
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では!インタビュー記事をどうぞ!

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インタビュー

(取材・文 轟夕起夫)

──晩年の相米監督と密な時間を過ごされた町田さんですが、初仕事は1994年、IPQセフィーロのCMの撮影。これはどのようなキッカケで?

CM

町田 僕は東北新社に所属しているんですが、会社が日産自動車のCMを担当していまして、当時たまたま相米組の撮影前に急にカメラマンが不在になり、社内カメラマンとして代理でやらさせてもらったのが最初ですね。

──出演者は、藤谷美和子さんと中井貴一さん。相米監督は映画『東京上空いらっしゃいませ』『お引越し』で中井貴一さんとはすでに組まれていましたね。

町田 現場では「貴一くん」と、そう呼んでいました。撮影当日、「初めまして」と相米さんに挨拶したのを覚えています。それくらい急だったんですね。撮影の1週間ほど前に参加し、借りた家具屋がロケセットで、相米さん、藤谷さんと中井さんに「家具売り場は広いんだから、好きに動いていいよ」って。もちろん、相米作品はどれも観ていましたし、あらかじめ長回し、ワンシーン・ワンカットのイメージもあったんですが、実際に体験すると面食らいましたねえ。照明のセッティングは追いつかないし、役者さんの芝居はゆうに3分を越え、「これ、どうやってつないだら30 秒の作品になるんだろう」と、撮りながら思ってました。

──それで、完成作は?

町田 編集で多少アップが挿入されていましたが、ほぼワンカットでしたね。基本、商品に関しては僕らにお任せという感じで、役者をどう動かすか、芝居にだけ集中していました。僕は人見知りするほうなんですが、相米さんもそうで、お互い気まずかったんですけど、その撮影が終わった夜に馴染みの店に連れていってくれて、結局、7軒ハシゴしてました。それで距離が一気に縮まって、以後月に4、5回はお会いして飲んでましたね。

映画『ポッキー坂恋物語 かわいいひと』

──96年から始まるグリコポッキーの連作 CMも話題を集めました!

町田 印象深かったのは、どこかの講堂のステージの上に鳥羽潤くんが立ち、吉川ひなのちゃんが下にいるという想定だったんですけど、相米さんのリハーサル中、いきなりひなのちゃんが体育館の2階に上がって叫び始めたんですよ。「じゃあそこで」って相米さん、面白がっちゃって。やっぱり照明のセッティングが追いつかない(笑)。

──CMがキッカケで、98年、オムニバス映画『ポッキー坂恋物語 かわいいひと』を製作。相米さんが総監督という立場で、撮影は町田さん、相米組の助監督の方々が独り立ちしました。

町田 そうですね、村本天志さん、冨樫森さん、前田哲さんが監督に。相米さんは一応全部任せているんですけど、現場に必ず顔を出し、芝居付けている彼らに「違うんじゃないの」って。むろん、撮影が始まったら何も言いませんでしたが。あと、台本から逸れると「お前らはまだ早い」と。台本をいかにちゃんと撮るか、まずはそこからだろうって怒ってました。相米さん自身はいつも変える人なのにね(笑)。

館理人
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村本天志(村本大志)監督作に『扉は閉ざされたまま』など。

冨樫森監督作に『非・バランス』など。

前田哲監督作に『こんな夜更にバナナかよ』などがあります。

映画『風花』

──01年、映画の遺作となる『風花』でもタッグを組まれましたね。

町田 まず「台本を1回読むのと100回読むの、どっちがいいでしょうか」と相米さんに訊いたんです。そうしたら「ホンなんて1回読めばいいんじゃないか」と言ったあと、すぐに「でも町田は100回読んだほうがいいよ」って。

──相米監督から具体的な指示は?

町田 まったくおっしゃいませんでしたね。ただし何かが違うと「町田、それでいいのか?」って。そういう言い方をされるんです。役者さんにもよく「それで本当にいいのか?」って。いいのかって訊かれて「はい」とはなかなか言えず、現場では模索の日々でしたね。

──『風花』の前に、CMを一緒に撮りながら、「いつか映画をやろうな」なんて声をかけられたことは?

町田 実は僕から一方的に「やらせてください」とは言っていました。最初に一緒にお酒を飲んだときから……。

──そうだったんですね! 『風花』の主演のひとり、浅野忠信さんと町田さんは前作『鮫肌男と桃尻女』(石井克人監督)でも組まれていました。

町田 相米さんに呼んでもらえたのはそれもあったと思いますね。ヒロインである小泉今日子さんともCMを何本かやらさせてもらっていて、お2人を知っていたのが大きかったのかも。

──『風花』の冒頭は桜の木の下、泥酔して寝ている浅野さんと小泉さんをクレーン撮影で捉える長回し。

町田 あのとき、小泉さんはいきなりリハーサルとは違う動きをされたんですよね。で、たしか3、4回リテイクしたのかな。でもやっぱり「1回目がいい」ってことになった。実は1回目はクレーンが桜の木にひっかかったり、ヘンにカメラが揺れたりして技術的には問題があったんですが、「そんなの、気にならないよ」って話になった。相米さんの持論は、多少カメラがブレていてもフォーカスが甘くても、観ている人たちは気にしていない。役者から伝わって来るもっと大事なものがあれば、そっちを絶対みんなは観ていると。

──相米監督、そのシーンで実際、小泉さんにお酒を飲ませたそうですね。

町田 飲ませてましたねえ。小泉さんは相米監督とは初めてだし、役柄自体、子供から引き離された母親、しかも風俗嬢という難しい役で、とても緊張なさっていた。相米さんは男優以上に女優さんに対しては厳しかったですからね。厳しいというか、女優ってやっぱりどうしても“作ってくる”ところがあって、相米さんはそれを嫌ってました。できるだけ自然な小泉さんを出したいと。まあ、お酒を飲ませるというのも、その一環だったと思うんです。

NHK『朗読紀行にっぽんの名作 森敦「月山」』

──『風花』公開直後、01年2月にNHKで放映され、柄本明さんが出演された『朗読紀行にっぽんの名作 森敦「月山」』も担当、これが相米監督の本当の最後の作品になりました。

町田 相米さんと山形をロケハンしたんですよ。あまり観る機会がありませんが、素晴らしい作品だと思います。

──きっと、いろいろあるでしょうけれど、相米さんからかけられた言葉でしかと胸に刻まれているものは?

町田 うーん……薄暮狙いのお芝居があったんですね。昼くらいからずーっとリハーサルして、ワンシーン・ワンカットなのでそれに合わせて、照明も準備して、テストを重ねて行くうちに、いい感じの時間帯になったので、相米さんに「今ちょうどいいのでそろそろ本番に行きましょうか」って言ったら、「何言ってるんだ、芝居ができてないじゃないか。回せないよ」って。「今やらないと夜になってしまいますけど」と言葉を返すと、「馬鹿野郎、それを何とかするのが撮影と照明の力だろ」っておっしゃった。僕らにもいかんともし難い、どうしようもない状況はあるんですけど、でもそれを聞いて“ああ、そうか”と。要するに「役者が映画を作る」んですね。つまり監督とは“役者が本当に持っているものを引き出す”役で、スタッフはそれを映す役なんだと。だから役者が持っているものを出せないうちに、カメラを回すというのはありえない。相米さんは常に「役者ありき」でしたね。これは自分の後輩には必ず伝えているエピソードです。

現場スタッフ・役者

──そういうふうに現場を統括していく監督、今では稀少ですね。

町田 でしょうねえ。まず役者さんには「自分で考えなさい」と。「言われた通りのことならば誰でもできる」と。考え抜いて、肉体を動かすことによって自分のお芝居が生まれてくる。それをとても大事になさる方でした。CMもそうなんですけど、何回もリハーサルをやっていくうちに、そのキャラクターができてくる。例えばポッキーのCMでひなのちゃんも最初は、ただの明るいコだったんですけど「あ、こういう女のコなんだ」とキャラクターができてくる感じが、スタッフみんなにも見えたんです。映画も同じで、1回目のテストと本番とでまったく違った人間になっている。どんどん小泉さんが変わっていくのが面白かったですね。

──『風花』の終盤の雪山シーン、さぞかし苛酷な現場だったでしょうね。

町田 でもね、「相米さんのためならば」と一体感が生まれていました。スタッフの頑張りはスゴかった。「相米さんのためなら死んでもいい」って気持ちのスタッフが何人もいましたね。

──やはり、町田さんもそのひとり?

町田 気持ち的にはそうですね。本当に魅力的な人でしたから。“どこにそんな魅力が?”と問われるとなかなか言葉では上手く表現できないんですけど、やっぱり出来上がった作品が雄弁にそれを語ってくれていると思います。

轟

映画秘宝2011年12月号掲載記事を改訂!

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