俳優語り!和製ドラキュラを違和感なく出現させた怪優【岸田 森】

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館理人
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俳優・岸田森を語れば、あれこれの出演作が見たくなる! 

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樹木希林さんと一時夫婦だったことがある岸田森さん。女優の岸田今日子さんは従姉の関係!なんだかこの事実だけで凄みがあります。

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岸田森さんを語ったレビューがあります。さささ、どうぞ!

岸田森プロフィール

きしだ・しん
1939年10月17日 – 1982年12月28日
岡本喜八、実相寺昭雄、神代辰巳、西村潔、工藤栄一などの監督作品の常連。
主な出演映画に『斬る』『座頭市と用心棒』『呪いの館 血を吸う眼』『歌麿 夢と知りせば』『黒薔薇昇天』『蘇える金狼』など。『南極物語』(1983年)が遺作となる。

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全身で怪演、作品に付加価値を与え続けてきた男。この人が出ているだけでイッツ・オーライ!

(轟夕起夫)

 この人が出ているだけでイッツ・オーライ! 内容的に面白かろうが失敗していようが、そんなことはもう関係なし。

 岸田森。作品に付加価値を与え続けてきた男。彼は毎回、メーキャップと衣装と演技プランには凝りに凝った。

 ほぼ必ず、喜怒哀楽を滲ませた“決め”の表情(得意の死に顔も含め!)を披露し、それは明らかにやり過ぎなはずなのに、眺めていると胸熱くなり、心がときめいた。

 一言でいえば、ちょっと人間離れした存在。何しろ和製ドラキュラである。「日本のクリストファー・リー」なのである。

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クリストファー・リーは『吸血鬼ドラキュラ』ほか、多数のドラキュラ映画でドラキュラ伯爵を演じました。

『スター・ウォーズ』シリーズではドゥークー伯爵、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズではサルマンを演じています。

『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』『呪いの館 血を吸う眼』『血を吸う薔薇』と続いた東宝の山本迪夫監督の「血を吸う」シリーズ3部作(1970〜74年/ただし出演したのは第2作と第3作)。

 眼が光るコンタクトレンズをつけ、作品を重ねるごとにメイクを研究、改善し、日本の土壌にはありえないキャラクターを彼は異和感なく現出させた。

 が、映画の仕事では圧倒的に助演が多かった。

『放浪記』『狙撃』(1968年)、『弾痕』(1969年)、『白昼の襲撃』(1970年)……『斬る』(1968年)で浪人組の隊長役に抜擢され、以後、盟友・岡本喜八監督作品の常連になり、『座頭市と用心棒』(1970年)では公儀隠密の九頭竜に。

 これが主演の勝新太郎と三船敏郎を凌駕するほどのカッコ良さ!

 もうひとり、実相寺昭雄監督とも昵懇で、時には主役を張り、『曼陀羅』 (1971年)、『哥』(1972年)、『あさき夢みし』 (1974年)、『歌麿 夢と知りせば』(1977年)等を残した。

 他に円谷プロ、勝プロ作品、角川映画と縁が深く、変わりだねでは神代辰巳監督の日活ロマンポルノ、『黒薔薇昇天』(1975年)のエロ事師、ブルーフィルム作りにのめりこむ監督役も名演だった。

 TVドラマならばまずはこれか。怪異な現象の裏に隠された、人間の心の闇に迫る『怪奇大作戦』(1968年)。

 役名は特別科学捜査研究所=通称 SRI の一員・牧史郎だ。それから『帰ってきたウルトラマン』(1971〜72年)の元天才レーサーで自動車修理工オーナー・坂田健。

 『傷だらけの天使』では綾部探偵事務所の部下・辰巳五郎。『斬り抜ける』(ともに 1974〜75年)の槍の名手・森伝八郎。『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)の長官・嵐山大三郎……いずれも役名がすぐに出てきてしまう!

 ところで、彼のドラキュラ熱はいつまでも冷めなかった。1976年には TBS『日曜☆特バン戦慄!! ドラキュラは今でも生きている!!』の取材班として、ドラキュラ伝説にまつわるルーマニアのトランシルバニア地方へ。

 ドラキュラ城をはじめ、幽閉されていたブラン城を訪ねた。

1979年、大林宣彦監督の『金田一耕助の冒険』にゲスト出演。検問で止められたリムジンの中で、花嫁の血を吸っているというセルフ・パロディをやってのけ、1981年は TVバラエティ『もんもんドラエティ』のドラキュラー家の父親。

 趣味の蝶の収集同様、好きなことにはトコトンのめりこんだ。

 残念ながら早世してしまったが、言うまでもなく、後進の俳優に多大な影響を与えたマスターであった。

 ショーケン(萩原健一)も松田優作も水谷豊も、彼と出会っていなかったら、いったいどうなっていたのであろうか?

轟

映画秘宝2011年11月号掲載記事を改訂!

館理人
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