6年育てた息子は他人の子だった。是枝裕和監督映画のおすすめ『そして父になる』の衝撃

スポンサーリンク

福山雅治とリリー・フランキーが問いかける家族とは

Photo by Michał Parzuchowski on Unsplash

 第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した、是枝裕和監督による作品。「6年間育てた息子は他人の子どもだった」

一一血のつながりとは何か、家族とは何かを観た者に問いかける。家族の選択を描く、衝撃の感動作。

   ・   ・   ・

 始めに断わっておくと、筆者は2児の父親である。長男は中学2年で、次男は小学校の5年生。

「お前の個人情報、家族構成なんてドーでもいいョ」という声が心中に広がりもするのだが、是枝裕和監督の『そして父になる』について記すには一応そのあたり、明かしておいたほうがいいように思う。

館理人
館理人

『そして父になる』は2013年9月にハリウッドのドリームワークスでリメイクされることが決定したというニュースが出ました。続報があまり出てきませんが、それだけ高く評価されている作品です。

 今年の5月、第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞に輝いたので、物語のアウトラインはすでにご存知のことだろう。

 学歴、仕事、良き家庭……どこをとっても申し分のないビジネスマンがいる。

 ところがある日、6歳を迎える息子が「出生時に病院内で取り違えられた他人の子だった」との事実を知らされ、そこから深い苦悩と葛藤の日々が始まる。

 主演は福山雅治。初の父親役で、「血の繋がり」か、それとも「共に過ごしてきた時間か」と究極の選択を前に胸掻きむしられる難役でもある。

 一足先に公開された子ども嫌いの天才物理学者・湯川学に扮し、10歳の少年との忘れ難いエピソードを刻んだ映画『真夏の方程式』も良かったが、こちらはまた全く違うアプローチで観る者を惹きつける。

館理人
館理人

東野圭吾の小説が原作です。

 つまり福山、尾野真千子による「野々村家」と、同じ境遇に襲われたリリー・フランキー、真木よう子による「斎木家」の懊悩のドラマが展開していき、彼は当事者として「父性」と向き合って、一層のたうち回ることになる役を全うしたのだ。

「野々宮家」は都心の高層マンションに住んでおり、しがない電気屋の「斎木家」は町の平屋。

 この対局的なプロットは、1988年のフランス映画『人生は長く静かな河』を思い出させもするが、福山扮する男の内面の激しい振幅を喩えるには、黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)を挙げるほうがいいような気も。

 自分の息子の身代わりに、お抱え運転手のひとり息子が間違えられて誘拐……心身共に引き裂かれ、ダブルバインド状況に陥るという三船敏郎が体現していたあの成功者の不条理な人生を、福山の父親役も体験することになるわけだ。

 また、映画のクレジットには参考文献として奥野修司の「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」(文春文庫)が明記されているのだが、これは1971年沖縄の病院での看護婦のミスが6年後、関係者に発覚した表題の事件のルポ。

 事実の重みを知った上で、さらに、自身も父親である是枝監督の実感が重ねられ、どの人物の気持ちも痛いほどに伝わってくる。

 親と子、それぞれの立場に正当性があり、感情の導線が複雑に組み合わせって、エモーションの対位法を際立たせている。

 だからなのか、本作の音楽にはアリアと30の変奏曲から成る、高度な対位法を用いたバッハの名高い「ゴルトベルク変奏曲」が選ばれた(グレン・グールドの1981年再録音版)。

 静寂な調べと是枝監督のデーモニッシュな姿勢も対位的である。デーモニッシュとは愛と煩悩をめぐる厳しい問い掛けのこと。

 観ながら思った。「俺は本当に、父親になっているのだろうか?」と。だが、結論などない。どこまで行っても。

 本作でも描かれているとおり我々にはただ、「究極の選択」だけが許されているのだ。

轟

ケトル2013年8月号掲載記事を改訂!