コメディもうまい妻夫木聡と松山ケンイチのガチ硬派映画『マイ・バック・ページ』

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館理人
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2011年の映画『マイ・バック・ページ』のレビュー!

館理人
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原作ノンフィクションの映画化です。

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妻夫木聡と松山ケンイチ、コメディもうまいふたりの役者の、ガチ硬派演技での共演作です。

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取材源秘匿というジャーナリストの原則に直面する週刊誌編集記者と活動家のノンフィクション

Photo by Chandler Cruttenden on Unsplash

 告白すれば、観た後にボロ泣き……しかも恥ずかしながら、作った人たちの目の前で!

 いきさつはこうだ。試写室を出ると、山下敦弘監督と脚本の向井康介の両氏が来ていた。一言挨拶し、感想を述べようと思った。そうしたらグググと込みあげてきて、止められず、もうダメだった。何とも締まりのない姿を見せちまったものだが仕方ない。それが筆者なりの、そのときの率直な“挨拶”であった。

 にしてもなぜ、あそこまで、感極まってしまったのだろうか。

 1988年に刊行された原作は古本屋で手に入れ、ずいぶん前に読んでいた。痛々しくも哀切な青春の追憶の記録『マイ・バック・ページ』。

 書いたのは川本三郎氏である。文芸・映画評論を中心に、翻訳、エッセイなど多岐にわたって健筆をふるわれ続けている大家。その川本氏の若き日の葛藤と挫折の物語——朝日新聞社に入社後、週刊誌編集記者だった1969〜1972年、自らの“ジャーナリスト時代”を振り返ったノンフィクションだ。

 映画では“沢田”という名前になったが、妻夫木聡がこれを演じている。全国の怒れる若者たちの学園闘争、反戦運動が最終局面を迎えようとしていた中、沢田は、取材を通じてひとりの熱き活動家と出会う。

館理人
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妻夫木聡の近作に『決算!忠臣蔵』!

2020年2月21日公開作に『RED』、同年3月20日公開『一度死んでみた』も!

 過激派らしきこの謎めいた若者に扮したのは松山ケンイチ。「日本映画を代表するアクター同士の競演!」なんて書くと“いかにも”な惹句になるが、本作に関しては衒いなくそう記せる。それくらい素晴らしいのである。

館理人
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松山ケンイチの近作は『聖☆おにいさん 第III紀』

『聖☆おにいさん』公式HPより

 年齢や立場は違っても、同時代の空気を吸い、ある種のシンパシーを抱くようになる沢田と活動家。だが、しかし、やがて、両者のあいだを分かつ決定的な出来事が起こってしまう。埼玉県の朝霞駐屯地での自衛官殺害事件。活動家は首謀者であるらしい。沢田は“取材源秘匿”というジャーナリストの原則に直面する。

 原作には、この殺害事件の現場の詳細は書かれていない。当たり前だ。それは当事者にしか分からないことだからだ。ところがそこに、映画は踏み込んでゆく。1976年生まれの監督と1977年生まれの脚本家は実証的かつ想像力を広げ、作品の肝となるシーンを描きあげた。

 単に「客観視できる立場」ゆえに、ではなく二人とも腹を括って挑んだからこそ成しえたのだと思う。そういう意志を感じさせるオリジナルな場面は他にも多々あり、とりわけ事件から8年後、沢田の姿を追った1979年のエピローグ部分には、ギュっと胸を衝かれた。

 何と表現したらよいだろうか。それまで仮死状態であった者が忘れていた呼吸の仕方を思いだし、一気に息を吸いこんで吐き出したかのような、そんな身体的な感覚を追体験させられた。

 だから筆者は泣いた。ほとんど接点のない、言ってしまえば“遠い話”なのに。観ながら、自らの悔恨の日々、マイ・バック・ページを振り返っていた。

 むろん「あのとき、本当はどうすべきだったのか」と考えてもどうなるわけではない。それは、ノスタルジーと紙一重だ。が、過去と対話し、何とか生き延びている者は何度でもそうやって“呼吸の仕方”を思いだすのである。

轟

ケトル2011年春号掲載記事を改訂!