小西康陽さんが、市川崑監督映画の魅力を熱く語った、ロングインタビュー記事を復刻しま〜す。
市川崑監督が手掛けたPVがありますが、それは唯一! 小西康陽さんの楽曲でした。
小西さんは市川崑監督映画『新撰組』の主題歌を手掛けるなど、市川監督が深く信頼したアーティストのひとり。
そんな小西さんが市川作品への想いを語ってくださった記事です。
インタビューは、市川崑監督が亡くなった数ヶ月後、2008年に雑誌・映画秘宝の記事のために行われたものです。
小西康陽プロフィール
こにし・やすはる
1959年 北海道札幌市生。
音楽家。
1984年から2001年までピチカート・ファイヴのリーダーをつとめる。
2009年レーベル「READYMADE V.I.C.」を設立、2011年「PIZZICATO ONE」プロジェクト立ち上げ。
野宮真貴、クレイジーケンバンド、和田アキ子、かまやつひろしらのプロデュース、リミックス、DJ、楽曲提供など多方面でマルチに活躍。
小西康陽、市川崑を語る
(取材・文 轟夕起夫)
市川監督唯一のPV演出
──小西さんが、市川崑監督に最後にお会いになったのはいつでしたか?
小西 2003年かな。その年の夏に僕、『ソバアンビエント』っていうコンピレーションアルバムに参加して、石坂浩ニさんと緒川たまきさん、おふたりの朗読を入れた曲(=「ちりぬるを」)を作ったんです。
で、そのPVの演出を市川監督にお願いしたら、何とOKしていただけたんですよ! そんなこんなで、市川組の大忘年会にも招いていただきまして。
──市川監督にとっては最初で最後のPV演出でしたね。
小西 PVでは、南平台のご自宅でも何ショットか撮ったんだよなあ。お会いしたのはその前だと、たぶん、2002年の『黒い十人の女』のTV版、セルフリメイクのとき。
──小西さんが本人役で特別出演されていますね。
小西 そうです(笑)。
──ピチカート・ファイヴを解散された後でしたね。出演されたのは、オリジナルの映画版では、クレイジー・キャッツがTV局に登場するシーンでした。クレイジー・キャッツが、小西さん率いる“THE GROOVE ROOM ORCHESTRA”に変わり、野本かりあさんがボーカルを担当して。
小西 僕は他の仕事があったので、自分の出演場面だけ撮ってすぐに帰っちゃったんですけど、残ったバンドの人たちに聞いたら、今のTVスタジオを “御自分の画”にしようと、相当凝って、粘って撮影されていたそうです。
映画『黒い十人の女』との出会い
──ここで話は遡りますが、その映画版『黒い十人の女』(1961年)と運命の邂逅を果たしたのが1983年、京橋(東京都中央区)のフィルムセンター(現:国立映画アーカイブ)ですよね。
フィルムセンター(東京国立近代美術館フィルムセンター)は、2018年4月に東京国立近代美術館より独立し、新しい組織「国立映画アーカイブ」となりました。日本で唯一の国立映画専門機関で、上映会もしています。
『黒い十人の女』は、1997年にリバイバル上映され、2002年に市川監督自身によるセルフリメイクでテレビドラマにもなりましたが、こういった再ブレイクのきっかけは、小西康陽さんらの熱心な評価活動だったのでした!
ちなみに2011年には劇団ナイロン100℃が舞台化。
2016年には船越英一郎主演で連続テレビドラマ化されました。
小西 フィルムセンターは毎年“逝ける映画人を偲んで”という企画をやるんだけど、奥さんで脚本家の和田夏十さんの追悼で、市川作品が2本かかったんです。当時は僕、仕事もなく暇で、映画ばかり観ていたときで、毎日通ってジャック・タチの『トラフィック』に感動したり、その流れで市川監督の『鍵』(1959年)とも出会って。まずこれが相当ヘンな映画だと思った(笑)。
あの頃、一番好きだった映画監督がケン・ラッセルで、何か同じ匂いを感じたんです。
明らかに作為があって、監督かキャメラマンか脚本家の仕業か、それが知りたくて翌日も観に行ったんですよ。で、かかったのが『黒い十人の女』。完全にやられました。この2本で火がついて、ちょうど、池袋文芸地下(映画館)で特集が始まり、毎日2本立てで1週間ほど通いつめたんですが、そうしたら文芸地下の売店に、黒字で『罠』って書いてある小冊子が並んでいたんですよね。
──市川崑研究の雄、森遊机さんが大学時代に自主制作した伝説のパンフ!
小西 そう。それを買って読んでまた熱中して。文芸地下の特集で大方の代表作を観たら、題材は違っても、自分が求めているケレンのワザはすべてに認めることができた。ただ、思えば僕が初めて出会った市川崑作品って、子供の頃に何気なく観ていたTVシリーズ、『木枯し紋次郎』のタイトル映像だったのかも。あれもとてもヘンなカットつなぎだったでしょ(笑)。上条恒彦さんの主題歌も大好きでした。
──1984年にはピチカート・ファイヴを結成され、1986年にはYOUNG ODEON名義で、『黒い十人の女』という曲を発表されていますね。
小西 うん、あれは完全にインスパイアードミュージックですね。
市川崑の変わらない美意識
──1980年代は毎年のように市川監督の新作も公開されていました。
小西 観ていました。『細雪』(1983年)、『おはん』(1984年)、『ビルマの竪琴』(1985年)、『鹿鳴館』(1986年)、『映画女優』(1987年)、『竹取物語』(1987年)…。やっぱりね、『細雪』は最高の映画です。『おはん』も好きだし、『ビルマの竪琴』はここだけの話、リメイクのほうが気に入ってる。『映画女優』はラスト、なぜか大泣きしてしまった……市川崑の“変わらない美意識”に感動したんです。
『映画女優』は吉永小百合主演映画!
──あのラスト、画面が唐突にブラックアウトして、終わってしまう……。
小西 観る者を突き放すようにね。
『竹取物語』につては、こちらにレビューもあります!
『ビルマの竪琴』は1956年版と、セルフリメイクした1985年版があります。
1956年版の出演は、安井昌二、三國連太郎、浜村純、内藤武敏、西村晃、ほか。
1985年版の出演は、石坂浩二、中井貴一、川谷拓三、渡辺篤史、小林稔侍、菅原文太、ほか。
──市川映画のラストには、小西さんの言う「Happy Sad」、この語感が似合います。そういえば『古都』のラストもスーっと終わりつつ余韻を残す。
小西 あの映画も大好き! 反物をハサミでシューっと切り、効果音が入るカットや、京都のイノダコーヒ(コーヒー) 本店のショットとか、好きな市川崑的演出が多すぎて、肝心のストーリーをよく思い出せない(笑)。
──『黒い十人の女』は1997年、ピチカート・ファイヴにより“リ・プレゼンツ”され、その魅力が再発見されました。併映は1966年のCM、加賀まりこさん出演の『ホワイト・ライオン』。
スチールだけで写真集が作れる画力
小西 市川監督の映像って、1カットごと完成していて、しかも編集でカットを自在に積み重ね、目の愉楽を味わわせてくれる。スチールからしてすごくイイんですよね。一度、大映で見せてもらう機会があって、スチールだけで写真集が作れると思った。
──画がピタっと決まっている。アニメーター出身の経歴も大きいですかね。
小西 でしょうね。漫画的な顔が好きな気がする。僕は毎回、伊藤雄之助や浜村純がどこにでてくるのか、楽しみでした、この2人は好きだったなぁ。
──ところで、市川監督、ピチカートのライブにも足を運ばれていたそうですね。御本人から感想などは?
小西 怖くて訊けないですよ(笑)。
──2000年に小西さんが『新選組』の主題歌を担当される前からライブに?
『新選組』は実写アニメーションというか動く漫画というか。レビューがこちらにあります。
市川崑作品とピチカート・ファイヴの関係
小西 だと思います。いや、ピチカートの話なんてどうでもいい(笑)。
──いやいや! 市川崑作品とピチカート・ファイヴの関係ということで。『黒い十人の女』の公開時のマキシシングル「PORNO 3003」には岸田今日子さんによるナレーションバージョンがあったり、ラストアルバム『さ・え・らジャポン』のジャケットでは、映画『東京オリンピック』のポスターにオマージュを捧げていたり……。
『東京オリンピック』は1964年東京オリンピックの公式記録映画です。
小西 自分にとっての“東京”の原イメージが、映画『東京オリンピック』なんですね。市川監督にはお願いして、わざわざ“日の丸”のデザインの中の文字も書いていただきました。
──2003年に出版された『レディメイド・マガジン第2号』の「美しいにっぽんの男たち」という日本映画の男優特集、その題字も市川監督でしたね。
小西 特徴ある字体……大好きでした。
『新選組』の主題歌
──話を音楽に移しますが、『新選組』でお仕事されたときの経緯は?
小西 突然、「僕、音楽のことはわからないから任せた」って頼まれたんです。タイトルとオープニングの映像が出来ていて、テーマソングだけ作ったんですが、完成作で自分の名前をクレジットに見つけた瞬間、“人生、上がり”かと思った(笑)。市川監督に初めてお会いした日が、いつだったのか正確には思い出せないんだけど、森遊机さんの紹介で、ある土曜日の午後に市川監督の南平台の家に行って、お話を伺ったときか、その『新選組』(2000年)のときなんですね。「音楽のことは何にもわからない」というのはわりと正直に、謙遜ではなかった。で、「わからないから逆に、(協力監督した)『子猫物語』(1986年)のときも、坂本龍一くんにすごいダメ出ししたんだよ」って(笑)。
市川崑映画の音楽センス
──市川映画の音楽で好きなものは?
小西 大野雄二さんの『犬神家の一族』(1976年)のテーマ音楽はピッタリでしたね。
あと、浅丘ルリ子さんが主演した『愛ふたたび』(1971年)。市川映画のイメージを端的に音楽にするとあれだって感じがする。ソフトロック好きな人は絶対気に入ります。『病院坂の首縊りの家』(1979年)で桜田淳子が「ペーパームーン」を歌うのもイイし、映画としても傑作の『雪之丞変化』(1963年)にジャズが使われるところも。
たとえば、『悪魔の手毬唄』(1977年)では村井邦彦さんを起用されたり、時代と関係なく御自分の世界を追求されている部分と、上手い具合にトレンドを取り入れている部分がありますよね。
つまり、スタイルを選んでいない。双方を自由に行ったり来たりしていて、それは長く第一線で仕事をし、たくさんの上質な作品を残す人のお手本だと思う。
──セルフリメイクの多い監督でもありましたが、そのあたりは?
小西 僕もセルフリメイクをやろうかなあ(笑)。でも絶対、「前のほうが良かった」って言われるよね。自分の中で、どうしても気に入らない箇所、当時は技術が未熟で出来なかったことを直したい気持ちはよく分かる。今後、市川監督亡き後は、僕はそのスピリットを継いでいる石坂浩二さんにメガホンを取ってもらいたい。もしくは回想記みたいなものを書いてほしいです。
市川崑監督お別れの会
──その石坂さんが悼辞を述べられた、2008年3月29日、東宝撮影所の第9ステージにて開かれた「市川崑監督お別れの会」。そこで流れた17分のトリビュート映像が大変素晴らしかったそうですね(作ったのは縁深い手塚昌明監督とエディターの長田千鶴子氏)。
小西 ..…あの17分の完璧な映像のために、92年間の生涯があったのかも、って思えるくらいに素晴らしかった。長田さんの編集ももちろんスゴイんですけど、もともとの素材が申し分ないし、前半のほうはスチールだったんですよね。市川監督の自身のスナップショットもあって、人生自体が深くないと、ああは感動的にはならない。
──もう皆さん、それを観たら涙を流さずにはいられないくらいの……。
小西 うん、でも、カッコ良すぎてね、涙を流す暇もなかったな。
──最後までスタイリッシュだったと。
小西 ホント、そうでしたね。
映画秘宝2008年7月号掲載記事を改訂!