デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』とは?アメリカン・ニューシネマって?伝説の理由を解説!

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2020年、日本公開50周年を迎えた『イージー・ライダー』、全国順次リバイバル上映もあって、じわり盛り上がっています。

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どんな映画だったかと言えば、今でいう「第7世代」的俳優(デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン)が新風を巻き起こした表現行動のひとつ、って感じでしょうか。

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全然違う? では轟の掘り出し原稿で解説いたします!

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なお、この解説には結末が含まれています

Photo by Austin Neill on Unsplash

 『イージー・ライダー』という映画を、君は観た事があるだろうか。60年代後半、マリファナ、人種問題、ベトナム戦争、反体制運動の激化などで揺れるアメリカと若者たちをヴィヴィッドに捉え、バイクのチョッパースタイルを一般に広めた伝説の映画。今、あらためてこの作品を検証する。

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アメリカン・ニューシネマの先陣を切った記念碑的傑作

 広大な一本の道を目の前にして、ロングヘアーの若者ふたりが、見事に改造されたチョッパーのハーレーダビッドソンに跨がっている。そして片方の男が腕時計をはずし、路上に捨てたかと思うと、2台のハーレーは轟音を唸らせながら走り出した。

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ハーレーダビッドソン(=ハーレー)は、アメリカのバイクメーカー。ハーレーの作ったバイクも「ハーレー」と言いますね。

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で、チョッパーは「改造」なんですが、アメリカンスタイルな仕上がりのを指しますね。

「ワイルドで行こう!」をBGMにしながら──。

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ステッペンウルフのヒット曲「ワイルドで行こう!」(原題:Bone to Be Wild)が映画の序盤に使用されました。

『イージー・ライダー』。1960年代後半から70年代前半を文字通り駆け抜けたアメリカン・ニューシネマの、その先陣を切った記念碑的傑作。

 数日もの間、アメリカの“夢の終焉”を見届けようとひたすら南に向かって走り続けた彼らの旅は、1969年当時の「アメリカの旅」そのものでもあった。

 外にはドロ沼化するベトナム戦争があり、内側にはドロップアウトした若者たちのカウンター・カルチャーが席巻、既成の、大人たちの文化や価値観がグラグラと崩れてゆく、そんな時代の真っ直中。

Photo by The New York Public Library on Unsplash

 かつて経験したことのない動揺を味わい、出口を求め、彷徨いもがくアメリカという旅人の“夢の余白”を道がわりに、彼らはただただ走ってみようとしたのだった。

 「ドラッグ&ハーレー」を、そして「ロック」を守護神としながら。

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登場人物の名前は、あの正義のヒーロと、あの無法者

 ところで今、ボクらは彼らのように“夢の余白”を走ることができるだろうか。もしかしたらできるかも知れない。それを検証するためにも、『イージー・ライダー』を回顧するのではなく、もう一度彼らとともにその旅の軌跡を追体験してみたいと思うのだ。

 それにはまず、彼らの名前を知らなくては。ひとりはヘルメットから皮ジャンまで星条旗をデザインしたキャプテン・アメリカ。

 もうひとりはヒゲ面に黒サングラス、カウボーイハットにウエスタン・スタイルのビリー。

 きっと、ふたりの名前とスタイルにはそれぞれ由来があるはずだ。“キャプテン・アメリカ”が、本家星条旗をデザインしたコスチュームで有名な、40年代コミックの正義のヒーロー。“ビリー”のほうはあの西部の無法者ビリー・ザ・キッドだろう。

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キャプテン・アメリカは『アベンジャーズ』でも人気、永遠のヒーロー。

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ビリー・ザ・キッドは実在の人物。サム・ペキンパーが監督した『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』が有名ですが、『ヤングガン』もビリーを描いた映画です。

 ノスタルジックなアメリカを喚起させる伝説的な名を背負って、彼らは旅を始めるのである。

 ちなみにこのふたりを演じたのは、ピーター・フォンダとデニス・ホッパー。当時、老衰しきったハリウッド映画に見切りをつけ、インディーズを中心に斬新な映画作りをめざしていた“ハリウッドの反逆児たち”。

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ピーター・フォンダは『木漏れ日の中で』(1997年)でゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) を受賞しました。

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デニス・ホッパーは俳優業中心ですが、『ハートに火をつけて』(1989年)などの監督作も。

 午前3時にピーターの頭にふと浮かんだアイデアが監督ホッパーの手を経たとたん、彼らは一躍時代の寵児となっていたのである。

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ピーター・フォンダの立ち上げた製作会社で、映画は製作されました。

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彼は2019年、なくなりました。79歳でした。

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デニス・ホッパーは2010年になくなっています。

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ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、そしてジャック・ニコルソン

 さて、メキシコからマリファナを密輸して大金を得たアウトサイダーのふたりは、ロスからニューオーリンズを目指し、さらに南へとさしたる目的もなくハーレーを走らせていく。夜は野宿して、マリファナをキメてもうひとつの旅(トリップ)へ。朝になったらまたオン・ザ・ロード。この繰り返しだ。

 しかし途中、いくつかの注目すべき人々との出会いがあった。パンクを直すために世話になった田舎家の元開拓者風のオヤジ。ヒッピーの首領ジーザス。そして、ラスヴェガスの留置所で出会った酔っぱらいの弁護士ジョージ(扮しているのは若きジャック・ニコルソン!)。

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数々の名作に出演し、アカデミー賞の常連であったジャック・ニコルソン。1989年の『バットマン』でジョーカーやってます。

「かつては俺も、フロンティアを目指したもんだがなあ……」

 元開拓者は遠い目をしてこう呟いた。「Go west!」。西部開拓時代の合い言葉がそれならば、我らがキャプテン・アメリカ&ビリーの目指す方向はまるで見当違いである。

 そう、馬は馬でもハーレーダビッドソンという“鉄の馬”に乗った彼らが目指すフロンティアなど、もはやこのアメリカにはどこにもない、ということなのだ。

Photo by Matteo Paganelli on Unsplash

「ちょっと遊んでいかないか」。ヒッピーの首領はこう誘った。コミューンで集団生活をしている数十人の男女に混じって、彼らはしばし羽を休めてみる。

 だがそこを約束の地と信じ、神に感謝するヒッピーたちと一緒にいる時間はそう長くなかった。決定的に何かが違う。彼らはそう思いながら、再び旅に出る。

「アメリカはいい国だったのに……」

 弁護士ジョージはそう溜息をついた。カフェ・レストランに入れば町の人々にさんざ悪態をつかれ、反感を買ってしまう。

 だが、アウトサイダーではあっても彼らは単なる価値破壊者ではなかった。むしろアメリカの伝統を愛していると云ってもよい。

 そもそも1903年に始まった歴史あるハーレーをチョッパースタイルにし、乗りこなすセンスが彼らにはある。大人たちの必要以上の苛立ちと憎悪とは、そうしたアメリカのステイタスをいともポップに軽やかに遊んでしまう、その精神の自由闊達さにこそ向けられていたのだ。

 町の人間に殺される直前に弁護士ジョージはこうも云った。「人に向かって自由を説くのと自由であるのとは全然違う。あいつらはホントに自由な奴を見るのが怖いのだ」と。

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色褪せない魅力は、価値観の転換期の混沌を、若い世代が鮮やかに切り取ったからこそ

 ラストはその通りになる。群堺ですれ違ったトラックの南部男が、彼らの走る姿を観るやいなや「その髪の毛を切れ!」と叫びながらライフル銃を撃つ。まずビリーが倒れ、続いてキャプテン・アメリカもあっけない最期を遂げる。あまりにも即物的な死……。

“放浪”を実践したビートニクのシンボル『路上(オン・ザ・ロード)』のジャック・ケルアックが死んだ年に公開された『イージー・ライダー』。

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2012年の映画、ウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』は、この本が原作です。

 ユートピアは停泊の時間にはなく、この今、走っている瞬間にしかないということを、どうやら彼らキャプテン・アメリカ&ビリーは教えてくれたようだ。いかなる場所にも属さぬというユートピア。おそらくそれだけは、現在にも唯一確かな“夢の余白”といえるのではないだろうか。(轟夕起夫)

【作品データ】 ●監督・脚本・出演:デニス・ホッパー●製作・脚本・出演:ピーター・フォンダ●出演:ジャック・ニコルソン、他●1969年●アメリカ

月刊smart(1993年)掲載記事を改訂!

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