読む映画リバイバル『岸辺の旅』

黒沢清監督にとってラブストーリーの“ラブ”とは?

(2015年10月上旬号より)

 「俺、死んだよ」

 3年間、行方知らずになっていた男はある日、突然妻の前に姿をあらわして、そう口にする。

 黒沢清監督の新作「岸辺の旅」の導入部である。これまでもその作品の中ではたびたび、「死んでしまった者」があっけらかんと此の世へと登場していたが、今回はまるで散歩から戻ってきたようなブラリ感、身軽さでもって帰還してくるのだった。

 いやあ、驚いた。それから黒沢清監督にとってこんなにも打ってつけな原作(湯本香樹実の同名小説)が存在していたことにも。二人の名は優介と瑞希といい、浅野忠信と深津絵里が夫婦役に。優介に誘われるがまま、瑞希は一緒に旅に出る。

 失踪中の3年間、優介が「お世話になった」という人々のもとを訪れる旅なのだが、旅の始まりは瑞希が朝、ベッドでひとり、目を覚ますところから。彼女は昨晩、不意にあらわれた夫と会話したことを当然、夢だと思っている。が、起きぬけにリビングに平然と “居る”のを見つけ、優介の胸に飛び込む。再訪の旅へと誘われるのはそのときだ。

 このくだりを含め、劇中には何度、「瑞希が目を覚ます場面」があったであろうか。最初に辿りついた新聞販売店の老人、小さな町でひとり暮らす島影(小松政夫)に「泊まっていきなさい」と促され、二人は夕食後、店にあった古いパイプベッドを並べる。朝、先に起きた瑞希は、横で死んだように眠る……いや、一度は本当に死んだけど今は寝息を立てている夫に顔を近づける。

 別の町、またも二人を歓迎してくれた中年夫婦(千葉哲也、村岡希美)が営む小さな食堂では、お座敷席に布団を敷く。目が覚めるごとに瑞希は新しい体験をする。これが本作のリズムを形づくっている。夫の生前の浮気をめぐって口論になったときは、優介を対岸に残して瑞希がバス停に立ち、次のシーンでは大胆にも時間がジャンプして、彼女はひとり、東京の自宅のベッドの中。そこに目覚まし時計が鳴って、さながら潜水をして、水面へと顔を出したかのごとくブワッと息を吐き、起きあがる。

 繰り返そう。

 優介にはないが、瑞希には何度も目覚める場面がある。最後に二人が足を伸ばす山奥の農家でも。生きている者と死んでしまった者との違い。目を閉じる前の自分と運よくまたも再会でき、そして持続している世界の“肌ざわり”を感じられるかどうか――。それは日頃我々もごく普通に、経験していることであろう。

 一方優介は、いつか消えてしまう儚い存在だ。そんな二人のラブストーリーであるこの映画、深津絵里と浅野忠信をいかにベッドに横たわらせるかに腐心している。監督が初めてシネマスコープサイズを選択した意図もここにあるはずだ(芦澤明子の撮影が相変わらず素晴らしい)。

 二人が訪れた先々では、怪異とも言うべき不思議な現象が起こり、ほとんど怪奇映画的な演出が施されている。すなわち人間の生き死にとは不可解な、怪奇現象に近いことなのだ。そういう認識を持つ黒沢清監督にとってラブストーリーの“ラブ”とは、畏れを意味する。相手を永遠に失いたくないという気持ちである。

[キネマ旬報掲載]
●監督:黒沢清●出演:深津絵里、浅野忠信、蒼井優、他●2015年●日本