『アカルイミライ』不確かな今を生きるすべての人々へ向けた明るい未来レッスン

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Photo by Tim Mossholder on Unsplash
館理人
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黒沢清監督の映画『スパイの妻』(2020年10月16日公開)で、イタリアのベネチア国際映画祭で、銀獅子賞(=監督賞)を受賞しました! おめでとうございます。

館理人
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てことで、2003年の『アカルイミライ』の公開時のレビューを掘り起こしました。黒沢清監督のインタビューコメントも併せて紹介した記事となります。浅野忠信、オダギリジョー出演作。

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その前に、これまでの黒沢清監督作情報を少々。

1955年兵庫県生まれ。1983年に『神田川淫乱戦争』で劇場映画デビュー。主な監督作は『CURE』(1997年)、『ニンゲン合格』(1998年)、『カリスマ』(1999年)、『回路』(2001年)、『岸辺の旅』(2015年)、『クリーピー 偽りの隣人』(2016年)、『散歩する侵略者』(2017年)、『旅のおわり世界のはじまり』(2019年)など。

館理人
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では、『アカルイミライ』の記事をどうぞ!

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『アカルイミライ』

(取材・文 轟夕起夫)

ストーリー

 猛毒のクラゲを水槽で飼っている謎めいた青年・守(浅野忠信)と、行き場のないイラ立ちを抱え、目的もなく生きている雄二(オダギリジョー)。ふたりはおしぼり工場で働いていたが、ある日、守が工場長とその妻を惨殺してしまう。刑務所の面会室で不安気に「ずっと待ってる」と言う雄二。そこに離婚して疎遠となっていた守の父親(藤竜也)が5年ぶりに現れる。

黒沢清監督インタビュー

 今や“世界のクロサワ”といえば、黒澤明ともうひとり、黒沢清のことを考えなくては。本作は、唯一無二の演技者を得て、新たな黒沢映画を予感させる作品となった。

「浅野君には自分は自分だという強固な自信があって、社会の外にいるんだけど、真っ向から社会と向き合う、という感覚をもってる。こういう人を僕は“怪物”と呼んでます(笑)。オダギリ君は律儀に、藤さんは自由自在に──と演技のスタンスは違いますが、人間の矛盾点を積極的に肯定していく演技は共通していますね」

 物語や登場人物との密着を避け、その上で見える世界に賭ける。作品に共通する姿勢は本作も同じだ。

「人間同士は根本的に理解し合えない、ということを当然と考えれば、自分の未来は違って見えると思う。逆に、他人はわからないもの、と考えると悲劇が起こる。そんな厄介な事をポジティブにとらえたのがこの作品。当然、こうすれば未来は明るいとは提示できませんが、結論としては、未来は自分だけのものだから勝手にやってください、こっちも勝手にやるから……ってことです(笑)」

レビュー

『CURE』『回路』など海外でも熱烈に支持されている黒沢清監督作。それにしても、『アカルイミライ』とはまたシンプルだが、何とも謎めいたタイトルだ。

 ずばりこれは、「発光」に関する映画である。なぜなら、浅野忠信、オダギリジョー、藤竜也という魅カ的なキャストに加え、何とクラゲが主人公でもあるのだから!

 床をめくると、そこに生物がいて、見た目はやわらかく美しいが、人を殺すほどの猛毒をもつ二面性に引かれて、黒沢監督はクラゲをモチーフに使おうと決めたそう。

 クラゲはみずから発光する。かたや人間は光を通じて伝達し合う生物だ。そういえば「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」なんて宮沢賢治の詩もあるじゃないか。

 たとえばテレビのスイッチをつけると、画面が発光し、向こう側には別の世界が存在しているように思える。だが、ひとたび停電 (テロによって?)になれば、その光景はいとも簡単に見えなくなる。もしかしたらクラゲの淡い輝きよりもはかない、人類の光芒。それを黒沢監督は寓話的に描き出してみせる。

 ほのかに発光しながら河川に増殖していくクラゲにも似て、発色した衣装(北村道子!)を身にまとい、孤独に漂う浅野忠信とオダギリジョーの妖しい美しさを見よ。

 そして“明るさ”とは“暗がり”の中にこそ生まれるものであるという事実を認めよ。謎をかけるように発光する本作は、「未だ来ない」アカルイミライのためにレッスンを施す映画なのだ。

轟

横浜ウォーカー2003年1月21日号掲載記事を改訂!

館理人
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黒沢清監督のロングインタビュー記事もあります!