日本演劇界の重鎮で元祖マルチプレーヤー、小沢昭一さんの生前インタビューを復刻です。
コメディ映画、遊び心を語ったインタビュー!
まずは小沢昭一さんのプロフィールを!
小沢昭一プロフィール
おざわ・しょういち
1929年4月6日〜2012年12月10日)東京都生まれ。
劇団「しゃぼん玉座」主宰。早大第一文学部卒業後、俳優座養成所を経て51年初舞台。以後、映画、新劇、テレビ、ラジオに多数出演。1973年開始のTBSラジオ系「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は亡くなるまでの40年間続いた。
代表舞台は構成・演出も務める「僕のハーモニカ昭和史」など多数。
個性的パイプレーヤーとして、200本以上の映画にも出演。川島雄三監督『愛のお荷物』、『洲崎パラダイス 赤信号』、『幕末太陽傳』のほか、主演を務めた今村昌平監督『「エロ事師たち」より 人類学入門』など多くの代表作を持つ。
著書は「私は河原乞食・考」など多数。
1994年紫綬褒章を受章。
インタビューは、2008年に開催された「第1回したまちコメディ映画祭 in 台東」のコメディ栄誉賞を受賞した時に行われたものです。
映画祭では、小沢さんが選んだ喜劇映画3本が特集上映されました。(「したまちコメディ映画祭 in 台東」はいとうせいこうが総合プロデュースを務める映画祭。2017年の10回目を最後に終了しています)
この映画3本を通して、笑いについて語っておられますので、まずはその3本をご紹介!
小沢昭一セレクト喜劇映画3本
『大当り百発百中』
1961年
監督 :春原政久
キャスト:小沢昭一、松原智恵子、高原駿雄、千代侑子、田代みどり、加藤武、野呂圭介、由利徹
競馬の予想が百発百中で当たるサラリーマン作詞家はしかし、お金を賭けることをしない。ある日彼の特技を知った愚連隊に監禁されることになるが…。
『しとやかな獣』
1962年
監督:川島雄三
キャスト:若尾文子、船越英二、浜田ゆう子、山岡久乃、ミヤコ蝶々、小沢昭一
2009年にはケラリーノ・サンドロヴィッチ演出による舞台化も。団地のリビングで巻き起こる人間模様。
『「エロ事師たち」より人類学入門』
1966年
監督:今村昌平 出演:小沢昭一、坂本スミ子、中村鴈治郎、ミヤコ蝶々、田中春男、佐川啓子、近藤正臣、西村晃、菅井一郎、北村和夫
エロ写真、エロ映画、エロ薬などエロのことなら何でも提供する元サラリーマンを通し、日本人の性、家族制度を描き出す。
もう1本、主演作『競輪上人行状記』については、こちらにレビューがあります!
前置き終了!では「小沢昭一的喜劇のこころ」をお楽しみください。
インタビュー
(取材・文 轟夕起夫)
──コメディ栄誉賞受賞、おめでとうございます。特集上映も開催されましたね。
小沢 ちょっと性質の違う3本を選んでみました。イマヘイ(=今村昌平)さんの『人類学入門』が重喜劇なら、もう片方は軽喜劇のドタバタ物で春原(政久)さんの『大当り百発百中』。これはSPといわれた3本立て興行の併映作品で、予算は少なかったけど、けっこう時間はかけて撮ったんですよね。で、その2本のあいだに、シニカルな喜劇って意味で、川島(雄三)さんの『しとやかな獣』を。ちょっと脇でガチャガチャ賑やかなのを1本入れたほうがいいかなという気持ちもあって。そういう選び方なんですけどね。まだオカシイ映画、いっぱいあるんだけどなあ。『続・拝啓天皇陛下様』(1964年)なんて、俺、大好きだし、川島さんのでは『貸間あり』(1959年)も入れたかった。でも3本だっていうからね。
喜劇人
──小沢さんは“喜劇人”であるのと同時に、まず“演劇人”の重鎮であり、芸能研究者でもあって、元祖マルチ・プレイヤーですよね。
小沢 いや、腹の中は喜劇人なんだよ。喜劇人協会には入っていないんだけど。日本新劇俳優協会の会長なんてこと、やってはいるが腹の中は喜劇人協会なんだ、昔から(笑)。だって落語育ちだからね。子供の頃から“笑い”が好きで、どうしてもそっちの方向に走ってしまう。そうしないと、何となく気がいかない。
アドリブと演技
──やはり、脚本にはないアドリブをやられることは多かったんですか。
小沢 そうでもないけどね。あのね、何か世間は“アドリブが利く”っていうのをとっても腕があるみたいに思うらしいんだけど、そんなものは誰だってやれるんだよ。センスさえありゃあ。そうじゃなくて、脚本の通りやってアドリブに見せるっていうのがね、我々の腕の見せどころ。そういうことは一般の人も、評論家だってわからないからね。それとやっぱり監督との相性だよ。映画って監督が作るもの。だから演技賞なんてあれ、みんな監督がもらうべきなんだ。いい脚本、いい監督で、いい役だったら、たいてい賞はもらえるよ。でも悪い脚本で何とかして役者が面白くしたっていうのは認められないんだな。ぜんぜん認められない(笑)。ダメな脚本もあるからね。しかもひどい監督で、それで何とかしようと一所懸命やったのは、見抜けないんだ。そっちのほうが本当の演技賞だと思うんだけど。いい監督のところでいい役やってりゃ、誰でももらえるよ。いや、“誰でも”なんていうと語弊がありすぎるけど、でもまあ、そうなんだよね。
──では、“スブやん”役でキネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクールの主演男優賞に輝いた『人類学入門』は、今村監督のお手柄?
小沢 そう。だからあれは、監督が良かったのよ。
──いやいや、それだけではないのでは。
小沢 あのときはね、「小沢はきっとネチネチ演じるだろう」とイマヘイに読まれて、「小学校の校長先生ってつもりでやってくれ」って。そこから今村流のリアルが生まれたんだな。
──今村監督同様に、『大当たり百発百中』の春原政久監督とも、気が合われたそうですね。
小沢 とっても合った。監督っていうよりも何か父親って感じだった。そんなに歳は離れてなかったんだけど。
フランキー堺のセンス
──春原作品は圧倒的にコメディが多いですね。
小沢 そうそう、たくさんありました。フランキー堺さんとやったのは忘れられないね。フランキーって、もっともっと認められてもいいんじゃないかな。特にスラップスティックな映画での腕は卓抜してましたよ。シリアスな演技も上手いんだけど、フランキーほど体が動く役者はいない。しかも彼は自分でアイディアをどんどん出すんだよ。たとえば、ブーチャン(=市村俊幸)と一緒にやった『フランキー・ブーチャンの殴り込み落下傘部隊』(1958年)。落下傘の訓練中に、ブーチャンが高架線の上に落っこちるんだ。僕はふたりの上官役なんだけど、フランキーと見舞いに病院へ行くシーンの撮影で、フランキーが急に「頭が大丈夫かどうか、テストしたらどうですか?」って。それで「裸電球を額につけるとポ〜っと電気が点く」ってアイディアを出した。これはね、劇場でドっとお客さんに受けたね。いい役者であり、アイディアマンでもあって、フランキーのそういうセンスには随分と勉強させてもらいました。
映画の中の歌
──『大当り百発百中』では、小沢さんはレコード会社で作詞をしている文芸部員の役ですが、「劇中で、1曲歌わせてほしい」と春原監督に懇談されたそうですね。
小沢 だって、(石原)裕次郎さんはいい場面で横浜の港をバックに歌うし、(小林)旭さんはギターを持って歌ってるし、「俺もどっか歌うところない?」ってね(笑)。主人公は作詞家なんだから、自分の作った曲って設定で、ちろっと歌ってもいいじゃない? あんまりにも僕が歌いたがったからか、ラストシーンの撮影の朝、監督がツンツルテンのカスリの着物を出して、「カアちゃんが夜なべして、あんたの寸法に合うように俺の着物を作り直したよ」って。奥さんによろしく伝えて下さいって言って、着たねぇ。それで歌ったよ。バカバカしいシーンになった。とってつけたように急に歌い出すんだから、これも劇場でお客さん、大笑いしてた。
──ラスト、満開の桜並木の中を、妻役の松原智恵子さんと歩きながら、ウッフンバ♪って歌いますね、あれ、不思議な歌でした。
小沢 急遽、現場で覚えて歌ったんだよな。♪夢と希望のウッフンバ!なんてね。
由利徹の芝居
──レコード会社の部長、小沢さんの上司役が由利徹さんでしたね。春原監督の『猫が変じて虎になる』(1962年)でも、おふたりは共演されています。
小沢 酒を呑むと、豹変して“虎”に変わっちゃう役。あれは落語ダネだったね。『らくだ』。馬五郎の役でカンカンノウを踊る由利さんが良かった。近年、名画座で上映されたとき、観に行ったよ。由利さんの抑えた、でもとっぱずれて面白い芝居が素晴らしかった。
監督の番犬みたいに側にいた
──川島雄三監督の映画は、『愛のお荷物』(1955年)が最初ですよね。
小沢 助監督がイマヘイで、「この役は小沢どうかな」って言ったに違いないと思うんだけどね。その前に、渋谷実監督の『勲章』(1954年)っていう映画に出てて、これがまあ、とってもおかしく作ってもらえたんですよ。脚本ではどこに出てるかわからないような役だったんだけど、渋谷監督に言われたの。「お前、毎日来い」って。「俺のそばで映画ってものをよく見てろ!」って。だから監督の番犬みたいにいつもそばにいた。で、時々「衣装着てこい」って。僕が出るところじゃない、カットとカットのつながりで、何かちょこっとね。そういう作り方でどんどん登場シーンが増えて、出来上がったら、バカに面白いコメディ・リリーフになってたんですよ。あの頃、渋谷監督は松竹映画では大変な存在で、だから川島さんも観てくれていたわけで、「あいつか、いいだろう」ってんで即決で決まったらしいんだ。で、『愛のお荷物』では大臣の秘書官の役ね。
役のイメージとは違う外見に
──それもなぜか丸坊主に蝶ネクタイの(笑)。『しとやかな獣』では、これまた奇妙キテレツな、金髪でカタコトの日本語を喋る男!
小沢 ワケわかんないよね、どこの国の人だか(笑)。『しとやかな獣』はね、あの頃、俺、ストリッパーの桐かおるさんと仲良しだったんだよ。で、彼女が「これ、あげるわよ。たくさんあるから」って金髪の付けまつ毛を俺にくれたの。そんなモノ、貰ったってしょうがないんだけど、「何かのときに役に立つわよ」って。それを思い出して…..…それだけの発想なんだよ。付けまつ毛だけだとバランス悪いから、頭もやっちゃおうって。いつも急にやっちゃう。金粉を買って来て、頭に振りかけて。金髪のカツラなんてそんなにまだない時分だからね。そうして川島監督に「どうでしょうか?」って訊いたら、じっと見てね、「それです。正解です」って。おかしかったなあ。だいたい川島さん、僕を好きに野放しにしてくれた。本来はいろいろとウルサイ監督なんだけどね。
──共演者の怪優・伊藤雄之助さんが、小沢さんの姿を見て驚かれたとか。
小沢 最初、スタジオに行ったら、伊藤さん、「君、どこの組?」って。「川島組ですよ」「えー、そんな人、出てたっけ?」って言われた。あまりに台本からかけ離れた扮装だったんだな。伊藤さん、「えー、何、どの役……(台本を見て)、あー、君出てるけど、えっ、この役がその格好なの!?」ってビックリしてたなあ。
台本にない役でも
──川島監督の『雁の寺』(1962年)では、ラストだけの出演でした。
小沢 うん、台本にはない役で、急に呼ばれたんだ。物語が終わってラストシーン。現在のお寺の風景の中。観光客に「寺の説明をしろ」って言われたって困っちゃうんだけどね(笑)。ここでもアドリブで“正解”を出さなきやいけないから、一所懸命やったっていうのが『雁の寺』。だいたいが川島さん、言語不明晰でね。たいていの役者は、分かんないから「え?」って訊き返すの。それを嫌がること、俺は知ってたから聴きとれなくてもとにかく、「あー、わかりました」って。川島組はとっても僕には居心地のいい現場で、待ちの間でもセットやスタジオの隅っこでグーグー寝ちゃってた。他の現場ではそんなことないのに。川島組だと安心できて、我が家みたいな感じがあったね。
海外のコメディ映画
──ところで、海外のコメディ映画でお好きなものはどんな作品ですか。
小沢 俺、あんまり映画、観なかったんだ。出るばっかり。聞いた話だけどさ、3本立て全部に出てきて、さらに予告編の3本にも……計6本、映画館で俺の顔が出てきたことがあるって (笑)。まあそうだね、アレック・ギネス主演の『マダムと泥棒』(1955年)なんか好きだったけど。
──アレクサンダー・マッケンドリック監督、英国のイーリング・コメディの傑作の1本ですね。
小沢 うん。イマヘイさんの『果しなき欲望』(1958年)もイーリング・コメディぽい味わいがあって、好きだったなあ。
遊び半分、大真面目半分で
それにしてもさ、どうして今の映画ってマジなの? みんな。えらく一所懸命だよね。“遊び心”がないね〜。川島さんの『幕末太陽傳』 (1957年)なんて、今では“名作”と言われているけど、一所懸命作った映画じゃないからね(笑)。あれは裕次郎さんと旭さんの映画さえ当たってりゃ日活が安泰で、それ以外の映画はどうでもいいって言ったら大袈裟だけど、ま、そういう隙間をぬって出来上がった映画。フランキーなんか主役なのに、撮影中いなくなっちゃうしさ。「後楽園球場の芸能人野球大会で、外野を守ってるらしい」ってわかって、助監督のイマヘイが飛んでいって、試合の途中で無理矢理ひきずってきた(笑)。廓の敵対している売れっこ役を、南田洋子さんと左幸子さんが演じていて、大ゲンカのシーン、「これ、普段から仕掛けておいたら面白いだろう」ってんで、助監督が陰でふたりのこと、焚きつけてたんだ。あのケンカのシーン、凄かったね。俺、出番がないのに家から見に行ったよ(笑)。川島監督はシメシメって顔でほくそ笑んでた。そんなふうにして遊び心たっぷりの現場で出来上がった映画なんだ。やっぱり遊び半分って大事だね。もちろん残り半分は、大真面目にやってたんだけどね。
映画秘宝2009年1月号掲載記事を改訂!
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