内田裕也と萩原健一が亡くなったのは同じ2019年3月でした。世代はすこし違います。内田裕也が1939年生まれ、萩原健一が1950年生まれ。
おふたりの共通点はミュージシャンであり、映画やテレビドラマの役者でもあること。
役者としてのキャリアで共通するキーパーソンのひとりは、何たって神代辰巳監督です。そんな解説となります!
永遠の傑作群からふりかえる、奇跡の軌跡
古今東西、映画史には脈々と「ミュージシャン兼俳優」の異形の輝きが刻まれている。内田裕也と萩原健一はその中でも、最重要級の存在だ。そしてある時期、それぞれと出会い、タッグを組み、永遠の傑作群を残した神代辰巳監督も。
ささやかながらここで、3人の奇跡の軌跡を振り返ってみたい。
萩原健一×神代辰巳監督『青春の蹉跌』『傷だらけの天使』…
最初に動いたのは萩原健一だった。1973年に続けざまに公開された神代監督の日活ロマンポルノ、『恋人たちは濡れた』と『四畳半襖の裏張り』を観て、衝撃を受けた……ばかりか、主演することに決まっていた東宝配給の『青春の蹉跌』(1974年)の監督に神代を推挙した。
何と、一度も直接話した経験もないのに。
なぜか。当時、日活ロマンポルノはプログラムピクチャーの一形態でありつつ、図らずも映画表現を拡張してゆく“作家たちの実験場”の貌も持っていて、要はカラダにビンビンくるような音楽的グルーヴを伴い、生と性を見つめる神代作品に、萩原健一のバイブスが感応したのであった。
日活ロマンポルノについては、こちらで解説しています!
自社の枠から初めて飛び出し、しかもメインストリームとも言える東宝の青春映画を手がけた神代だが、そのテイストはいつも通り、良き相棒である姫田眞佐久の手持ちキャメラと合わさって、グニュグニュ、ウネウネと、しかし芯のあるファンカデリックなノリで上昇志向と野望の果てに破滅していく若者像を描き出した。
役者の生理感覚を重視したアドリブや、エモーションが途切れないよう長回しを多用するのも神代演出の特徴で、そんな一度体験したら病みつきになる強力な“文体”に、さらに“文彩”を付けたのが萩原健一である。
単に役を演じるのではなく、役と対峙している自分自身をさらけ出すアプローチが信条で、例えば冒頭、屋外のレストランでローラースケートを履き、どこか不安定に滑りながら椅子をセットしていくのも、また劇中、心情を吐露するかのごとく「エンヤートット」とひとり呟くのも彼独自の“文彩”だ。
つまり神代監督の要求に対し、台本を膨らませ、演技プランを次々と思いつく能力に長けていたのだ。
一瞬一瞬の閃きがきらめきを生むこの映画的セッションは、共演者に田中邦衛を加えた『アフリカの光』(1975年)でも爆ぜっていて、憧れのアフリカ行きのためマグロ船に乗ろうと北国の港町に逗留、そこで船を待ちながら希望と無為を噛みしめる男二人のダウナービートな“停滞の時間”が奏でられていった。
これも東宝の配給だったが、さらに『港町に男涙のブルースを』『草原に黒い十字架を』といった演出回も含めた連続TVドラマ『傷だらけの天使』(1974〜75年)や、奇抜なワンカップ大関のCMシリーズなどの“神代作品”がお茶の間にも流れていた。
言うなれば、神代辰巳ひいては日活ロマンポルノの冒険性は、時代の寵児たる萩原健一の肉体を通じて広く一般にも享受されていたのである。
内田裕也×神代辰巳監督『嗚呼!おんなたち 猥歌』…
かたや年齢がひと回り上、ロックスターとしても萩原よりキャリアが先行していた内田裕也のほうは、1960年代からプログラムピクチャーを中心にコメディリリーフ的に顔を出していたが、1977年、藤田敏八監督の『実録不良少女 姦』で日活ロマンポルノに参入し、本格的に役者として頭角を表していったのだった。
神代辰巳には『少女娼婦 けものみち』(1980年)で初めて呼ばれ、「ヤるのと食うのと仕事だよ、俺は」とうそぶく、粗野でやさぐれた、しかし底なしの優しさを湛えた (内田裕也その人を思わせもする!)トラック運転手を好演した。
そうして次なる主演作、自ら企画を立てたロマンポルノ10周年記念第2弾『嗚呼!おんなたち 猥歌』(1981年)で再び共闘。
こちらにもレビューあります!
札幌に一軒だけあったという女性用ソープランドを雑誌で知り、「ロックンローラーが挫折して、ソープボーイになる」というストーリーを考えついて、神代監督のもとへと持ち込んだのだ。
完成作はスキャンダリズムとリリシズム、なおかつ半ドキュメンタリータッチが混ざり合い、それは役者・内田裕也の本質でもあるのだが、売れない中年ロッカーがどんどん堕ちていき、最後は浴室で泡まみれになりながら、女性に奉仕する姿で終わる。
このシーンの撮影中、神代監督は「裕也がんばれ〜」「そこでもっとやれ〜、ゴー、ゴー、ファックオン」と叫んだという(ロマンポルノは同録ではなくアフレコだ)。
『鳴呼!おんなたち 猥歌』とは日本版『レイジング・ブル』(1980年)なのかもしれない。転落したボクサーが場末のバーでスタンダップ・コメディアンとして立つあのラスト。
『レイジング・ブル』はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演作です。
となれば、神代辰巳と内田裕也の関係は、マーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロの名コンビに匹敵する……いや! それは萩原健一とのコラボレーションにこそ当てはまるものだろう。
半ば神代監督と萩原の自画像である、どうしようもないけれども魅力的な男と“おんなたち”との愛憎こもごもの世界を綴った『もどり川』(1983年)、『恋文』(1985年)、『離婚しない女』(1986年)の3作が、あとに控えていたのだから。
『もどり川』は原田美枝子との共演。
『恋文』と『離婚しない女』は倍賞美津子と共演しています。
萩原健一は、神代の最後の映画となった『棒の哀しみ』(1994年)にもオファーがあったそうだが、残念ながらこれは実現しなかった。
『棒の哀しみ』は奥田瑛二主演作。
それから、内田裕也と萩原健一、両雄並び立つ神代作品も存在しない。ゆえに、『嗚呼!おんなたち 猥歌』のエンディングシークエンスに流れる〈ローリング・オン・ザ・ロード〉が一層胸に沁みるのだ。
この曲は内田裕也プロデュースで1981年1月22〜25日に開催された『サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル』の初日、昼の部のフィナーレを飾ったライブ音源である。
萩原健一が歌い出し、仲間の沢田研二を招き入れ、二人でメインボーカルを務めたバージョン。自由を求めて転がり続ける――内田裕也こだわりの選曲は、神代作品の中でこれからもロケンロールしてゆく。
キネマ旬報2019年6月上旬号掲載記事を改訂!
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