特集【赤塚不二夫】愛を語る!復刻インタビュー・浅野忠信、星野源、堀北真希、元担当編集、実娘、5人の証言

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館理人
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バカボンのパパはいつもニコニコ笑顔で、どんな結果になっても、こう言います「これでいいのだ!」。ほっこりします〜〜〜。

館理人
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赤塚不二夫(1935年〜2008年)の生み出した漫画、キャラクターには(ご本人のキャラクターも!)、多くの人たちがいまも魅了されっぱなし。

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そんな赤塚不二夫について、5人の方に語っていただいたインタビュー記事をまとめて復刻し、ご紹介します!

館理人
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インタビューはいずれも、赤塚不二夫を描いた映画『これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫』公開(=2011年4月)のタイミングで行われたものになります。

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まずは、赤塚不二夫愛爆発!映画でご本人を演じた浅野忠信さんのインタビュー!

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浅野忠信、赤塚不二夫愛を語る

浅野忠信・プロフィール

あさの・ただのぶ
1973年、神奈川県生まれ。
2003年にヴェネツィア国際映画祭でコントロ・コレンテ部門主演男優賞を受賞。映画を中心に活躍する日本を代表する俳優のひとり。出演映画に『風花』『殺し屋1』『座頭市』『マイティ・ソー』『バトルシップ』『私の男』『岸辺の旅』『淵に立つ』『沈黙 -サイレンス-』『ミッドウェイ』など。

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国内外の映画に出演の浅野忠信さん、2021年のジョニー・デップ主演作『ミナマタ』にも出演です。日本の水俣病を取材したアメリカ人写真家を描きます。日本人俳優では、ほかに真田広之、加瀬亮、國村隼、他が出演。音楽は坂本龍一。

この世にはルールなどない、というルールの実践者に学ぶ

(取材・文 轟夕起夫)

 赤塚漫画の中でも屈指の怪キャラ、自称おフランス帰りのイヤミの決めポーズ「シェー」 を披露してくれた浅野忠信。『これでいいのだ! 映画★赤塚不二夫』ではタイトルロールを務め、四六時中、面白いことに命を捧げた男の半生を追体験した。

浅野 オファーは、天から降ってきた贈り物みたいな感じでしたね。

 浅野にとって、赤塚不二夫を演じることは、単なる役者のチャレンジにおさまるものではなかった。

浅野 赤塚漫画との出会いは、TVアニメ『天才バカボン』の再放送が最初だと思います。小学校低学年の頃で、夢中になって見て、よく主題歌を口ずさんでいたのを覚えています。高校生になると赤塚先生自身のことが気になりだして、どんどん好きになり、実は、できればご自宅までお会いしに行きたいとも思っていました。

 憧れの人。いや、それとはちょっとニュアンスが違うような。 リスペクトの対象──このほうが近い。

浅野 僕は中学から、バンドをやったり俳優の仕事もすでに始めていたんですが、曲がりなりにも表現活動をしていると、赤塚先生の存在は、巨大な包容力の塊のように見えたんですね。何ていうか、作品を通してだけでなく、生き方も含め、自由にふるまっていくことの素晴らしさを体現している方だと。僕のほうはいろいろと、悩み多き青春時代を過ごしてましたから(笑)。もしも赤塚先生に会えたなら、きっと優しく迎え入れてくれて、焦っている僕を笑い飛ばしてもくれるだろうと、想像しては支えにしていた部分があったんです。

 残念ながら実際に会う機会は訪れなかったが、こうして演じるチャンスがやってきた。 高いハードル。しかし「僕のココには赤塚先生がいますから」と、浅野は胸のあたりを指した。撮影で彼は、赤塚不二夫という人物と改めて対面していった。

浅野 赤塚先生を記録したいくつかの映像素材が参考になりましたね。 主役のはずなのに、真ん中には立っていないところが興味深く、周囲を引き立てていくんです。俺が俺が、と前には出ず、むしろこういう面白い奴を知ってるよって紹介する役。そうやってタモリさんをはじめ、いろんな才能を世に羽ばたかせてきた。

館理人
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赤塚先生のところに、デビュー前のタモリさんが居候していた話は有名ですね。赤塚先生のお葬式での、タモリさんの弔辞も圧巻(と表現していいのかしら…)でした。

媒介者なんですね。ハチャメチャなんだけど、繊細なアンテナを立てていて、器が大きく、開かれた人。そして赤塚先生は「この世には決まったルールなどない」というルールの実践者であり、そこに僕は大きく影響されています。

劇中、シェーをやるシーンで「ポーズが正確ではない」と指摘されたんですが、「ルールを作った時点でそれはシェーの精神に反するじゃないですか」って主張してしまった (笑)。演じてるときは「俺のシェーが一番!」って妙な自信がありました。この映画をやったおかげで、俳優を続けていく糧をたくさん得ましたが、赤塚先生を演じ、自分の芝居のリミッターが外れ、自由度が増したこともそのひとつです。

館理人
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シェーのポーズは、つまりこれ! 『おそ松くん』の登場人物イヤミのポーズですね。

 映画の中には当然、漫画を描く場面もある。浅野は膨大な赤塚漫画のキャラクターを特訓。中でも「もーれつア太郎」に登場するア太郎の子分、デコッ八に愛着があるという。

浅野 丸みを帯びた線描が難しく、顔が意外に暗いのも気になるキャラでした。 赤塚先生のアシスタントだった方に、基本パターンをいくつか教えていただき、すごく嬉しかったです。小さい頃、漫画家になりたいという夢があったので。そういえばバンドメンバーが撮影中、誕生日だったんですよね。彼も赤塚漫画が大好きで、プレゼントに先生のサインとバカボンのパパを色紙に描き、その友達の生まれた日付と名前を書いて渡したら、マジで騙されてました(笑)。「僕が描いた」と明かしても、それでも嬉しいって喜んでくれました。

 さて、赤塚不二夫が残した最大の箴言といえば「これでいいのだ」。これは一般的には、“覚りの境地”の言葉と定義されているが、浅野忠信の捉え方はちょっと違っていた。

浅野 最初はシンプルに結果オーライの意味で受け取っていたんですが、こうも思います。むしろダメだったり充たされないからこそ これでいいのだ、と一旦おさめておく。つまりノット・サティスファクション込みの 、これでいいのだ。このままではよくないと自己確認して前に進んでいく。赤塚先生も描けば描くほど充たされなかったんじゃないかなあ。もしこれでいいのだ」を僕が英訳するならば「THIS IS IT」にしたい。マイケル・ジャクソンですよ! 赤塚先生もマイケルも、そういう厳しい生き方をしてきたんだと思います。

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さて、次は星野源さんに熱く語っていただきます!

館理人
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星野さんと、インタビュアーの轟が赤塚不二夫の美術館「青梅赤塚不二夫会館」を訪れ、あちこち見ながら行われたインタビューです。

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残念ながら「青梅赤塚不二夫会館」は2020年3月に老朽化により閉館となりました。

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ちなみに、下の写真、昭和レトロ商品博物館の向かって左隣に、似たような佇まいで存在していたのですが、今(2020年10月現在)は更地でした!(確認してきました〜涙)。

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ズームアップ! ほらここ、ちょっとだけお隣さんの面影がっ!

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ってことで、雰囲気を味わっていただいたところで、インタビュー記事へ!

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星野源、赤塚不二夫愛を語る!

星野源・プロフィール

ほしのげん
ミュージシャン、俳優、文筆家としても活躍。ドラマは『ゲゲゲの女房』『逃げるは恥だが役に立つ』『MIU404』など、映画では『引っ越し大名!』『罪の声』などに出演。ミュージシャンとしては2020年6月に「Gen Hoshino Singles Box “GRATITUDE”」を発売。

館理人
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あ! このインタビュー当時は、星野源さん、ソロ活動もしてましたが、インストバンド、SAKEROCK(サケロック)でも活動していた頃です。

どうでもいい行為の積み重ね、それが、生きていく上で大切

(取材・文 轟夕起夫)

 熱烈なファンだが、「赤塚不二夫会館には行ったことがなかった」のだそう。多忙な彼が、青梅までやってきた!

 入口で、いきなりバカボンのパパのお迎えがあり、彼のテンションは一気に上がった模様。赤塚漫画との出会いは?

星野 家にあったんです。両親が「天才バカボン」の傑作選を買っていたんですね。マイルドなエピソードからラディカルな回のものまで入っていて、初めて読んだのは小学校の低学年でした。あと、実家が八百屋だったので、主人公が八百屋の息子の「もーれつア太郎」はやたら感情移入してましたね。ベースが人情物で、切ないタッチなのも好きでした。

 会館内の貴重な原稿、ひとつひとつの展示物を熱心に見ていく。赤塚が愛したバンザイをして眠る猫=菊千代像に手を合わすと、彼は口を開いた。

星野 赤塚さんは漫画だけでなく、たくさんの著作も残されていて、僕が好きなのは「ラディカル・ギャグ・セッション」です。それで『ラディカル・ホリデー』って曲もできたし、僕が組んでいる映像制作チームのネーミングも、「山田一郎」 にしたいって言って決めました。赤塚さんの変名ペンネームですが、そのチームを組んだ2008年に赤塚さんが亡くなってしまったときは、ショックでした。すごい影響されてます。

 ちょっぴりシミジミ。ソロで歌っている『ばかのうた』にしても『くだらないの中に』にしても、その歌詞の世界は、どこか赤塚イズムを継承しているように思うのだが──。

星野 継承なんて恐れ多いですけど、基本的にくだらないもの、バカバカしいことが大好きで、そんな一見どうでもいい行為の積み重ねが、生きていく上で大切だと思う。そういう感覚は、赤塚漫画にも流れているかも。

 ぶらり旅とはいえ、後半、時間の都合でちょいと駆け足に。最後に待っていたのは売店。ここでけっこうな数の赤塚グッズを買っていた星野さん。武居俊樹著の『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』もご購入。

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『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』は、赤塚不二夫に35年間連れ添った小学館の編集者、武居俊樹氏が綴ったもの。この本を原作として映画化されたのが、先の映画『これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫』となります。

星野 これ、出た当時に買って、人に貸したら返ってこなかったので、買い直しました。久しぶりに読めますね。

 やはり、筋金入りのファンなのであった。では会館の感想は?

星野 手作りな感じが良かった。今度はひとりできます。原稿も映像資料も、もっとゆっくり見たいですから!

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さてさて、次に登場いただくのは、星野源さんお買い上げの本『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』の著者、武居俊樹さんと、映画『これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫』で武居さん役(厳密には武居さんをモデルに、女性に変更した役柄)を演じた堀北真希さん!

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こちらのインタビュー記事はおふたりの対談となります!

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堀北さんは2017年2月に芸能界を引退されていますから、こちらも貴重なインタビュー!

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堀北真希×武居俊樹、赤塚不二夫愛を語る! 

堀北真希・プロフィール

ほりきたまき
1988年東京都生まれ。
2003年『COSMIC RESCUEL』で映画デビュー。映画、ドラマ、舞台、CMと幅広く活躍。主な出演作映画に、『ALWAYS 三丁目の夕日』『東京少年』『白夜行』『麦子さんと』など。

武居俊樹・プロフィール

たけいとしき
1941年長野県生まれ。
1966年小学館に入社、少年サンデー編集部に配属。赤塚不二夫番となり、『おそ松くん』『もーれつア太郎』『レッツラゴン』を担当。古谷三敏、石井さくみ、あだち充などの担当編集者としても数々のヒット作を手掛け、別冊少女コミックなどの編集長を歴任。2002年小学館を定年退職、2005年「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」刊行。

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武居さんは、赤塚不二夫漫画に「武居記者」としても登場しています!

人によって百通り、みんな違う赤塚不二夫になる

(取材・文 轟夕起夫)

『これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫』で女優・堀北真希は、赤塚不二夫のベストパートナーだった編集者・武居俊樹をモデルにした新人編集者時代の “武田”を演じた。

──自分の若き日を演じた堀北さんを御覧になって、いかがでしたか。

武居 先に『白夜行』を拝見していたんです。この映画とはトーンも人物像もまったく違うでしょ。やっぱり俳優って大変だなあと思いました。

堀北 確かに大変でした!『白夜行』の撮影中、佐藤 (英明)監督との衣装合わせがあって、元気が足りないって心配されてました。「『白夜行』の役が終わったら、もうちょっと快活になるので待っていてください」と言うしかなかった(笑)。

──堀北さんは、武居さんの記された原作「赤塚不二夫のことを書いたのだ!」に目を通されましたか?

堀北 撮影前に読ませていただきました。赤塚先生との格闘の日々は衝撃的でした。漫画家と編集者の関係性を知ったのは初めてでしたから。

武居 そうでしょうね。編集者という黒子が何をしているかなんて、よくわからないでしょうから。漫画家担当の編集者は、とにかく作家さんに一番いいものを描いてもらうのが仕事。しかも作家さんがいろんな連載を抱えている中で、自分が「一番抜きんでた作品を勝ち取る」という闘いでもある。でもまあ、僕の場合はひたすら赤塚さんと遊んでた。

──赤塚番のときは会社に、ほとんど行っていなかったそうですね。

武居 そう。こんなに楽しく過ごしていて、会社はどうして給料をくれるんだろうって思ってた(笑)。

堀北 今回の映画の中で浅野 (忠信)さんが演じられた赤塚さん像は、やはりご本人のまんまなんですか

武居 ちょっとデフォルメされてるかなあ。でも赤塚不二夫ってホント、百通りに見えるんですよ。描く人によって、みんな違う赤塚不二夫になると思う。僕は赤塚さんに、「武居さんね、作家というのは編集者の駒なんだから、僕が君の色に染まるんだよ」って言われて、ビックリしました。まだ編集がなんたるか知らない新人に向かって、そういうことを言ってくれたんです。僕はあのひと言で、編集者っていうものがわかった気がした。つまり、僕が懸命に動かないと作品は生まれない。

──その目的のために堀北さん扮する武田は、劇中、酒を浴びるように飲む生活になっていくのですが。

堀北 現場では監督に「酔っぱらいと酒乱は違うよ」とアドバイスされました。私は単なる酔っぱらいを想像していたら、武田は酒乱なんだと。

武居 酒で豹変し、「バぁカ〜」と力ラむ感じ、よく出てましたよ。屁理屈をこねると、赤塚不二夫の企画アイデアを担当する場合、心が酒乱みたいになってないとダメなんです。要するに何でも吐露できる状態になっておけと。赤塚さんは「バカになりなさい」とも言ってたなあ。

堀北 それは、オープンマインドみたいな状態になることですか?

武居 そうです。赤塚さんは「バカにしか見えないことがある」、そして「バカにしか言えないことがある」とも。

──堀北さんのお仕事ではそのあたり、いかがでしょうか?

堀北 正直、普段人と深く関わって、オープンマインドになっていくのは苦手分野で難しいですが、役を通すとできるんです。何かを本気でやろうとしているときに、建前を言ったり人の顔色を窺っていたりすると、全力を出せずに終わってしまいますから。なのでそこは胸襟を開いていると思います。だからといって、毎回「みんなでお酒を飲もう」とはならないですけど(笑)。

武居 そうだろうね(笑)。例えばアイデア会議のとき、赤塚さんは頭に浮かんだことは全部伝えてくれ、と言う。思いついたら「お前の価値観で判断したりしないでまず喋ってくれ」と。で、とてつもなくクダラないことが漫画の最高のアイデアになったりするんですよ。

──さて、「これでいいのだ」。「天才バカボン」で使われていたフレーズですが、いまでは赤塚さんの哲学を表すシンボルにもなっています。

堀北 このフレーズは子供の頃から知っていました。楽観的な印象が最初はあったんですけど、「これでいいの、かな?」という疑念が自分の中になければ、「いいのだ」という断言も出てこないわけですよね。赤塚先生もいろいろ試行錯誤され、迷い悩んだ結果、「これでいいのだ」という境地に辿りついたんじゃないかな。それって、私が物事を選択するプロセスと同じで、そう考えたとき、赤塚先生のことが初めてちょっと身近な方に感じられました。

武居 なるほど。昨今は物事の真偽がすごく曖昧な時代ですよね。全体的にキチンとものを喋らない傾向になっている。いまこそ「これでいいのだ」って断定は必要だと思うな。

堀北 いまって何だか最初から、物事をスマートにこなそうとしがちですよね。器用でなければいけないという脅迫観念があって、段階をすっ飛ばして、みんな、器用っぽくしている気がする。でも本当は失敗を繰り返して、年齢を重ねていくものだし、経験値も増やしていくもの。ヘンに器用な人ばかりだから、自分の意見を言わないのかなとも思いますけどね。

武居 この映画は、赤塚不二夫という作家を描き、そして新入社員がプ口の編集者になっていく過程を追っている。終盤での赤塚不二夫との息の合い方、ちょっとシリアスな部分も含めて武田が編集者として自分を見つめる成長ドラマになっていて、堀北さんはその過程を無骨に演じてらして、とても良かったです。

堀北 ありがとうございます! 私は武居さんと赤塚さんが、仕事とプライベートを超えた関係になっていることに感動しました。何かを成し遂げるために、そういう関係性を結べるって素晴らしいことだと思います。

館理人
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お次はラスト!赤塚不二夫実娘で、現代美術家、フジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さん!

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実娘・赤塚りえ子、赤塚不二夫愛を語る!

赤塚りえ子 プロフィール

東京都生まれ。2001年、ロンドン大学ゴールドスミス校ファインアート科卒業後、現代美術家として国内外で活躍。12年間のイギリス暮らしを経て2006年に(株)フジオ・プロダクション代表取締役社長に就任。著書に「バカボンのパパよりバカなパパ」など。

創造と破壊を繰り返した異才

(取材・文 轟夕起夫)

 赤塚りえ子さん。いわば、天才の娘である。りえ子さんが少女時代を過ごした1960年代、赤塚不二夫は「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」など傑作を次々と連打、ギャグ漫画界のトップランナーになった。

 まずは彼女にとって、「年々その存在が大きくなってゆく赤塚漫画」を訊いてみた。答えは1970年代前半に発表されるや、カルトな人気を誇った「レッツラゴン」だという。

赤塚 愛着は全作品にあるんですが、自分の中で一番、感覚的にシックリくるのは「レッツラゴン」。ギャグがナンセンスを通り越してシュールの域に達しているんです。当時のアシスタントの方に伺ったのですが、原稿が赤塚から回ってきてペン入れするとき、読みながら「わっ、これはスゴイ……でもここまでやってしまって、この先どうするんだろう」と毎回ドキドキしていたそう。例えばボケとツッコミという構図でいえば、ずーっとボケの世界が続いていくんです。ソレ、おかしいぞ、なんて誰もツッコまない。で、不条理で不可思議な展開に拍車がかかり、常識が覆され、得も言われぬ自由な世界が生まれてゆく。そのさまが、読んでいてとても気持ちいいんですよね。

 実験的な作風は、「天才バカボン」の連載途中から頭著に。赤塚漫画は現代美術、ポップアートの歴史と並べて語ることも可能だろう。

赤塚 表現者としての赤塚不二夫を考えると、作者と作品とのあいだに距離がなく、真空みたいだった。つまり作品と人生が一体化していたんです。その軌跡は、漫画というジャンルの創造と破壊の繰り返し。でも本人にアート志向などはなく、ただ面白いものを追求していただけだったんです。「天才バカボン」 連載中に突然、“山田一郎”にペンネームを変えてみたのもそう。漫画は作家の名前で読まれるものではないと主張しつつ、銀行などの書類の記入例によく使われる「 ○○一郎」と……匿名性の強い名前を選んでいるのもギャグなんです。こう見ろ、このメッセージを受け取れ、と押し付けることなどせず、イマジネーションのまま漫画で自由に遊んでいた。実際、父もそういう自由な人でした。

 そんな奔放な赤塚漫画はジャンルの枠を超え、各界で支持されてきた。2008年にりえ子さんが企画にもかかわったトリビュート・アルバム「四十一才の春だから」には、電気グルーヴ、スチャダラパー、小西康陽ほか、多くのミュージシャンが参加した。

赤塚 赤塚の影響を受けて漫画家になられた方もいらっしゃいますが、いろんな分野のクリエイターに愛されていますね。皆さん、なぜ赤塚漫画が好きなのか? それはタモリさんもおっしゃっていましたけど、意味なんかなくてもいいんだ。面白ければ何でもありなんだ。ってことを実践したところが凄かったみたい。赤塚のスピリットを受け継いでいる方はけっこういらっしゃいますよね。

 むろん、りえ子さんもそのひとり。正統な嫡子としてスピリッツを継承しつつ新機軸を見据えている。

赤塚 海外出版はこれからの課題のひとつだと思っています。 駄洒落や言葉遊びが多いので、そのへん翻訳するのがなかなか難しかったりするんですけど、ロンドンにいたとき、キャラクターを説明して、見せたことがあるんですよ。たとえばウナギイヌ、英語ではイールドッグ (eel-dog) で、ウナギが母親でイヌが父親だって説明したら相手はビックリしていた(笑)。 どのキャラクターも造形力、デザイン性に富み、ポップだって。フランスのギャラリーに赤塚の原画を見せたときも「これはアンディ・ウォーホルの横に置いてもおかしくない」って評価してくれて。もっともっと海外に伝えていきたいという思いはすごくあります。

 出版した著書「バカボンのパパよりバカなパパ」は、赤塚不二夫の素顔、不思議な家族のカタチを描き出した感動的な1冊だ。

赤塚 人が集まると楽しくしようと動き、どんどん他人を巻き込んで自分も楽しくなっちゃう。とにかく究極のサービス精神の持ち主。本当に常識人でマジメ。お酒を飲んでいないときは人の目を見て話せないくらいシャイでした。父は幼少時に悲しい経験をたくさんしているんです。 戦争中、旧満州で生まれ、父親はシベリア抑留され、妹と死別したり、家族離ればなれになり、引き揚げ者として差別もされた。だからこそ笑いの大切さをわかっていたんだと思います。母は赤塚のアシスタントをやっていたこともあり、クリエイティブな女性で、ふたりとも楽しみは待つものではなく、自分から能動的に作っていくタイプでした。

轟

ぴあ2011年4月28日号掲載記事を改訂!

館理人
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