復刻ロング対談インタビュー【青島幸男×谷啓】

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Photo by KS KYUNG on Unsplash
館理人
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こちらの、青島幸男さん、谷啓さんへの対談形式インタビューは、おふたりが共演された2004年の映画『死に花』の公開時に行われたものです。

『死に花』は、高級老人ホームに集う破天荒な仲間たちの生き様を描く痛快エンターテインメント。

青島幸男さんほか、出演の藤岡琢也さん、森繁久彌さんにとって遺作となってしまった映画でもあります。

青島さんは2006年に、谷啓さんは2010年にお亡くなりになりました。谷啓さんの最後の出演映画は『カメレオン』です。

館理人
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おふたりともに日本を代表するエンターテイナー! 対談記事を復刻掲載です。

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まずはプロフィール!

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プロフィール

谷啓

たにけい
1932-2010年 東京都生まれ。学生時代からトロンボーン奏者として活躍し、1956年にハナ肇とクレージーキャッツに加わる。
テレビバラエティ番組『おとなの漫画』『シャボン玉ホリデー』などで人気を得て、ギャグマンとしても才能を発揮、「ガチョーン」「ビローン」などの流行語はあまりにも有名。
映画出演は、『無責任』『クレージー』シリーズなどのクレージーキャッツ作品に加えて、『宮本武蔵・二刀流開眼』(1963年)、『同・一乗寺の決斗』(1964年) 、『図々しい奴』(1964年) 、『幸福』(1981年)、『釣りバカ日誌』シリーズ (1988年〜2009年) 、『川の流れのように』(2000年) 、『ワンダフルライフ』(2000年)などがある。

青島幸男

あおしまゆきお
1932-2006年 東京都生まれ。大学院時代に療養生活を強いられ、病床で漫才の台本を書き、放送作家となる。
テレビバラエティ番組『おとなの漫画』に構成者として参加し、ハナ肇とクレージーキャッツの売り出しに貢献。
以後、クレージー(植木等が単独ボーカル)の大ヒット曲『スーダラ節』や坂本九の『明日があるさ』の作詞、映画『告訴せず』(1975年)、TVドラマ『意地悪ばあさん』(1967〜69年・1981〜82年)などの俳優業、『鐘』(1966年、カンヌ国際映画祭国際批評家週間に入選)、『二人でひとり』(1970年)などの映画監督、『人間万事塞翁が酉午』(直木賞を受賞)などの小説家、そして参議院議員、東京都知事と活躍の場は広範囲にわたる。俳優としての映画出演作は他に、『川の流れのように』(2000年)、『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』(2001年)などがある。

館理人
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では!おふたりのお話をどうぞ。

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青島幸男×谷啓

(取材・文 轟夕起夫)

ともに昭和7年(1932年)生まれ。盟友というのはこんな二人のことを言うのだろう。谷啓さんと青島幸男さん。
昭和34年(1959年)、当時売り出し中のクレージーキャッツと、新進放送作家との運命の出会いが、のちのさまざまな歴史のスタート地点であるが、映画『死に花』での久々の共演を機にスペシャル対談が実現! 昔ながらに映画のことをシャシンと呼ぶ、青島さんの本作への感想から、話は始まった──。

館理人
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『死に花』は監督:犬童一心、出演:山崎努、宇津井健、青島幸男、谷啓、長門勇、松原智恵子、藤岡琢也、森繁久彌ほか。

『死に花』の老人らしからぬ老人を演じて

青島 私ね、犬童 (一心) 監督と仕事をさせていただいたのは今回が初めてなんですが、実は撮影中、「これで大丈夫かなあ?」ってひそかに心配してたんですよ。オフの台詞というのがなく、一行一行、脚本どおりにワンカットずつ撮っていくやり方で、しかもこんなにカット割ったら編集が大変で手間かかっちゃうんじゃないか、と思ったんですね。けれど、それは杞憂に終わりました。つながったシャシンを観て、大変感激しました。映画を通じて、人間の生き方とはかくあるべき、と謳っているのがいいんですよね。

館理人
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犬童一心監督の映画に松嶋菜々子主演『眉山』、吉永小百合・天海祐希出演の『最高の人生の見つけ方』などがあります。

 僕も完成作を観て、あー、面白い映画に仕上がったなあ、って思った。とくに犬童監督の、間の取り方ね。撮影のときから「普通とちょっと違うな」とは感じてたんです。今風のポンポンと進んでいくスピード感ではないんですよ。でもその、ちょっと抜けた間合いが不思議に気持ちよく、次のシーンにフェイドインして続いていくのも何ともいえず良かったなあ。

──原作はお読みになられましたか?

青島 出演が決まってから即座にとりよせて読みましたし、原作者 (太田蘭三)にもお会いしました。かなり高齢の方なんですよ。原作にはイロっぽい話も盛り込まれてましてね、高齢者だからといって皆、枯れた人扱いするのはやっぱりおかしいんですよ。

 そう、皆さん元気ですよ。最近、お年寄りのカップル、夫婦が仲良く歩いているのをよく見かけるけど、自分たちより年配の方々のそういう姿を見ると、憧れるもんね。

青島 このシャシンがいいのはさ、人間は老いるんだってことをまず大前提として考えていること。主人公たちは、非常に設備の行き届いた豪華なホームで生活してるんですよ。冷暖房も効いてるし、医療施設も整ってるし、食い物もキチっとある。で、そこにいる人たちは安穏として暮らしてるんだけど、でも、このままボーッと死ぬのを待ってていいのか……それじゃあ、つまんない。もう一回ドキドキするような面白いことをやってやろうと。それで大銀行を襲ってカネをふんだくっちまおうって計画するんだけど、ふんだくったあと、どうするかっていうと、それで大きな家を建てようとか銀座行って飲もうとかってことじゃないんですよ。ただ単純にね、面白いことをしたいって衝動で銀行強盗をやっちまう。そういう老人らしからぬ勢いが、この映画全編に漲ってるんです。そこんとこに私、シビレましたね。

初めての出会い

──そんな、やんちゃなキャラクターがお二人にはピッタリでした。

青島 実生活でも、谷さんって、いろんなことをやってるからね、面白いことを。

 まあ、人をおどかすとか、そういうことが昔から大好きなもので。多少無理をしてでもおどかすためには頑張っちゃう (笑)。

青島 初めて会ったときから谷さんとは気が合ってね。もちろんクレージーキャッツのメンバーみんなと付きあってはいたんだけど、谷さんとずっと一緒にいたんじゃないかって錯覚するくらい、若い時分はよく遊んだね。この人は、スタジオに入ると寄ってくるんですよ、「青ちゃん、青ちゃん」って。私もどこかで谷さんを見つけると寄っていって、二人してケタケタ笑いながらの話に花が咲く。すると、「何の話してるんですか?」って若いのが集まってきてね、それがなべおさみや小松政夫だったりしたんですよね。

へんな動物好き

──テレビの黄金時代、『おとなの漫画』『シャボン玉ホリデー』の頃ですね。

 会ってすぐ、僕が空想の妖怪や怪獣のイラストを、手帳やノートにいっぱい描いて、青ちゃんに「どお?」って見せたでしょ。そうしたら「うん、いいねェ」ってノってくれたんだ。あれ、一匹ごとに勝手に売値までつけてあったんだけど、「これは高いねえ」なんてリアクションしてくれて、「あ、この人は大丈夫」だって(笑)。

青島 でも本当のこと言うとね、あのとき、「この男と長い付き合いできないな」って思ったよ (笑)。やめたほうがいいんじゃないかなと。だってさ、エイリアンみたいな怪獣のカタログなんだよね。細かいウロコがむちゃくちゃ生えてるようなやつや、鶏の足のようなバケモノみたいなのが描いてあって、寸法と重量と特徴、さらに値段も350万円だなんて書いてあるわけなんだよ。何考えてるんだろう、こいつは、って思うだろ (笑)。

 あれはデパートで、オオアリクイを売っていてね、見たら、高かったんだよね。当時25万円だったかな。そこから計算してつけてみたの (笑)。クレージーキャッツに入ったばかりの頃で昭和31年くらいだったかな。そんなのがショーウインドウにあって、欲しくなって、渡辺 (晋) 社長に前借りを頼みにいきましてね、「いくらなの?」「25万」「何に使うの?」「オオアリクイを買いたいんですが」。一笑に付されました。どうも変わったものが欲しい性分なんですよ。

上野動物園公式hpより
館理人
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こちら上野動物園のオオアリクイ!

大コウモリ脱走事件

青島 東宝撮影所のスタッフが、「映画で使い終わったヘビがいるんだけど、誰かもらってくれないかな」ってなると、みんな谷さんが引き受けてくれるんだって。でっかいコウモリ飼ってたこともあったよね。

 インド大コウモリ。檻つきで5000円ぐらいで売ってもらえた。

神戸市王子動物園公式HPより
館理人
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こちら、インドオオコウモリ!

青島 やっぱり撮影で使ったヤツ?

 そうそうそう。怪奇映画かなんかで使ったヤツ。

青島 スタッフは管理できないんだよね。それでハナちゃん (ハナ肇) に相談すると、「あ、そういうものはみんな谷啓のとこに持っていくと喜んで買ってくれるよ」って。

 あれは格好のいいコウモリだった。ただ、普段は逆さまにぶらさがっていて、オシッコすると自分の顔にもろにかかって、そのときだけ正常の立ち姿になるんですね。それが面白くて、クレージーのメンバーをわざわざ家まで呼んで、見せてやろうって。リンゴの欠片をやるとバリバリってすごい音をたてて食べてさ。あれ、元気のいいコウモリだったよねえ。

青島 知らないよ、俺は (笑)。

 いっぺん夕方に逃げられちゃって、どこにいるかと思ったら、となりの家の屋根の上にいて。

青島 近所中大騒ぎで。おまわりさんまで駆りだしたりしてね。

 羽を広げるとけっこうグロテスクなんですよ。会社帰りのOLさんがそんなものに出くわしたら大変だから、とにかく捕まえようって。コトなきを得たんですけどね。

金の腕時計と漁師コント

──今回の撮影の空き時間にも、そういった思い出話で盛り上がってたんですか?

青島 うん、昔話はたいてい馬鹿馬鹿しくて笑える話だよね。変な人なのよ、この人は。数々のエピソードがあるんですよ。たとえば初めての海外旅行で香港に行って、金の腕時計を買ってきたときのこと。金の腕時計なんてまだ珍しい頃ね。「青ちゃん、ちょっと時間を聞いてくれ」「時間ならわかるよ、あそこに大きな時計があるから」「そうじゃなくてさ、いいから時間聞いてよ」ってうるさいの。仕方ないから、「いま何時?」って聞くと、服の袖をたくしあげて自慢の腕時計を見せて「あー、まぶしい! 時計の光で眼がつぶれた、青ちゃんどうしよう、どうしよう」なんてやってすがりついてくる (笑)。それから一時、「ワ〜レヤ、アンセッタッテ、サーラバ、トロイトモエ」なんていうのも流行ったね。

 あ、あれはクダらなかったなあ〜。

青島 横浜の金沢文庫(※地名です)あたりの漁師が言ったこの掛け声、どういう意味かね、ってこの人に訊かれてね、俺、適当に答えたの。「ワ〜レヤは二人称単数の呼びかけ、アンセッタッテはなんてったって」だよ、なんて調子で。英語でいえば”It would be so ridi-culous,if it were the case,whatever you may say”、つまり「もしもそのようであるならば、たいへん馬鹿馬鹿しいことである」という意味合いだと。なべおさみや小松政夫を集めて、その前置きを僕にさせて、では漁師に登場してもらいましょうって紹介すると、この人はカーテンの陰からふんどし一本で出てきて、「ワ〜レヤ、アンセッタ〜」って言うんだよ。一同大爆笑になるんだけど、いま考えると一体何が面白かったんだかねえ (笑)。

原点のアメリカ喜劇映画とジャズ

 やっぱり、ワクワクすることが好きなんですよ。原点はアメリカの喜劇映画。戦後すぐ、アメリカ映画が入ってきて、面白いもんがあるなあ、よし、こういう職業にできれば就きたいなと思いましたよ。と同時にアメリカのジャズをラジオで聴いて、それまでブラスバンドでマーチとかそういうのをやってたんですが、初めてスウィング・ジャズのリズムを聴いてね、これがもうすごい衝撃で、のめりこんでモダンジャズとかビーバップとか、いろいろ聴きましたけど、あの、初めて進駐軍放送で聴いたスウィング・ジャズほどのショックはいまだ受けてないなあ、音楽に関しては。そういうわけで、人にショックを与えるようなことをやってみたい、とりあえず周りにいる友人をビックリさせることから始めよう、なんて感じでね、悪ふざけもよくやってたんですよね (笑)。

青島 ね? ホント、変な人でしょ。

セリフとアドリブ

──ここらで映画『死に花』に話を戻しますと、今回、お互いの演技をご覧になられて、いかがでしたか?

 青ちゃん、しばらくぶりで会ったらなんかね、ちんまりしちゃった感じで、例の「青島だア!」っていう雰囲気がなくなってて、背中を丸めた感じで歩幅小さく歩いてるんで、「あれ、どこか体調悪いのかな」って心配したんですけど、撮影に入ったらいつも通りで。しかも完成作を観たら、僕の出てないところでね、うまい台詞回しをやってまして。恐れ入りました。僕なんかもう記憶力も衰えてきてますからね。

青島 いやあ、相変わらずキチっと台詞覚えてくるなと思いましたよ。この人は昔からね、台本配ったら、翌日は持たないで立ち稽古してましたから。どうしてそんなに早く覚えるのって訊いたら、「だってホンなんて持って立ち稽古したら面倒くさいじゃないか」って。覚えちゃった方が早いんだ、ってホンまるまる一冊覚えてきちゃうんだから。それほど早かった人が撮影前、「もう4行以上の台詞はダメだ」ってこぼしてたんだけど、ちゃんと現場には覚えて入ってくるんだよね。私なんかチャランポランで、台詞なんかどうでもいいやみたいなことばかり言ってるから。

 そういう感じでも、本番では案の定、ひとりで場をさらってしまうんだな (笑)。

青島 谷さんは相変わらず、微妙で細かい芝居してたね。この人は、観客の裏をいくようなところがあってね、こういう芝居にはこう受けるってときに、なんか変えてみせたりするのが、突拍子もなく可笑しいんだよね。

 意表をつくのが好きなんだ。ただ今回の撮影で不安だったのは、いままでの作品と違って、ラッシュを観る機会がなかったこと。どんな雰囲気の映画なのか、掴めていない状態だったのでそれはそれは不安だったね。犬童監督、よっぽど自信があったのかなあ。それとも監督だけは観ていたのかなあ。

──谷さんの役は、ホラ吹きでムードメーカーの庄司勝平。自称ですが、元アルジェリア外人部隊というのがスゴイ!

 そうなんです。植木等がやりそうな役ですね (笑)。青ちゃんは元土木建設会社の社長でしたっけ。

青島 そう。で、無類の女好きで千人斬りまであとわずかだって(笑)。いい加減なヤツんだよね、この穴池好男っていう男は。自分の性格に似てたよ (笑)。主演の山崎努さんの台本はね、ずらずらっと書き込みがありました。いろいろ研究してますよね、あの方は。僕なんか、台本どっかいっちゃってんだもん (笑)。

 あなたは全部アドリブだからね。

青島 違うよ。台本どおりやってんだよ。「人生は楽しいもので、苦しみは味付けのようなものだ」なんて台詞、ちゃんと言ってたろ。それから「生きてりゃ、こんな面白ぇことがあるんだ。あの頃の俺に教えてやりたいね」って台詞。これが私に課せられた唯一の長台詞だったんだよね。あれはしっかり言わなきゃいけないなと思ったんだ。助監督が来て、この台詞のために撮ってるんだからちゃんと覚えて下さいって。ホネ折って覚えたのはあの台詞くらいだな (笑)。

クレージーキャッツの過密スケジュール

──7億円が眠る銀行の金庫めざして、穴を掘っていくシーンは体力勝負でしたね。

 大変だったねえ、あれは。

青島 雨も泥も大変だった、泥にね、石灰が入れてあるんですよ。ベタベタになるように作ってあって、手につくと荒れて、かなわなかったねえ。何かっていうと雨をダーって降らすんだよ。チョボチョボでもいいんじゃないかと思うんだけど、まともにぶっかけるって感じで降らすんだよな。

 その雨も、なかなか降らせ方が決まらないんだよね。監督とカメラマンが入念に降らせ方を修正して。

青島 スタッフはノってたね。でもいくらカッパ着てたって、水がカラダの中に入ってくるのには参った。寒くて真っ青だったよ。過酷な撮影だったな。俺ら、けっこうな年配連中がずっと穴蔵を中腰で歩かなきゃならないなんて、ホントに殺されちゃうよって思った (笑)。あんたは丈夫だね。

 クレージーのときにさんざん鍛えられたからね。映画の撮影とテレビとラジオ、大変なスケジュールでやってましたから。いつも寝不足でしたよ。スタジオ入って応接セットなんかがあると、みんなドドドって、あっという間に寝てしまったりとか。そういうような、過酷なスケジュールをこなしてました。一度、植木 (等) が肝臓をやられて入院したことがありましたよ、あれは64年頃かな。

青島 この前、誰かに聞いて驚いたんだけど、クレージーのメンバーは、当時車に乗ってて赤信号で止まれると、「あー、よかった、これでひと休みできる」って寝てたっていうんだからね。

 あるとき、一方通行の道に進入しちゃってね。それで錦糸町の警察署まで来てくださいって言われたんだけど、その時間をどう作ろうか考えあぐねて、仕方なく手帳を見せたら、クレージー全員の真っ黒になったスケジュール表が載っていて、警察の人、「これからは気をつけて運転してください」だけで許してくれましたよ (笑)。

青島 あれ? また話が脱線してる (笑)。

期間限定

森繁久彌さんとの共演

──クレージーつながりで言うと、今回の『死に花』は『クレージー大作戦』(1966年)をチラリと思わせ、もしクレージーの面々が揃って演じていたら……なんて夢想もさせます。

 それが実現していたら、当然違う雰囲気の作品にはなったでしょうけどね。もう少し笑いの要素が入ってくるかな。

青島 でも今回のシャシンでも相当笑うシーンがあったよね。試写でも、意外なところで笑いが起きていた。

 演じる側が計算できない部分ですよね。劇中、僕が心臓マヒになって倒れて、再び起き上がるシーン、あそこがなぜかウケてた。たしかに僕の好きな間合いで起きてはいるんだけど、全然意識してなかったのにウケる場所ってあるんだよね、舞台や映画っていうのは。とくに舞台の場合だと、その間合いを意識し過ぎてやるとダメなんだ。

青島 間合いといえば、特別出演の森繁 (久彌)さん、やっぱりさすがだなあと思った。よく出て下さったよね。ご高齢にもかかわらず。俺、森繁さんのシャシン、ずっと観てきたし、後輩として敬服もしてるし、やっぱりあの人には頭あがらない。森繁さんと共演だって思ったら緊張して、ドキドキしたよ。

 僕は以前、『屋根の上のバイオリン弾き』とか、舞台でご一緒したりしてたんで、そういう緊張っていうのはなかったですけどね。

──この『死に花』、海外でもどう評価されるのか楽しみですが、青島さんはすでにカンヌ国際映画祭にて、批評家週間に入選された『鐘』(1966年) がありますね。

 あれって青ちゃん、企画、監督に……。

青島  ……脚本、主演ほか全部で9役やった。一所懸命やったよ。いま観てもいい作品だと思うな。カンヌ映画祭に持っていって絶対これは入選するぞって自信があった。そのあとに撮った『二人でひとり』(1970年) もいいシャシンだったよ。今度、なんか撮るんだったら谷啓さんと一緒にやりたいね。夜中、散歩をしているうちに行ったことのない路地に入っていき、大サスペンスになっていったりする映画を作ってみたいね。

ホラー映画

 昔、ホラー映画でそういうのがあったよ。おばあさんが鍋でグツグツ煮てるようなところに入ってっちゃう話があるんだよね。僕、ホラー映画も大好きで。最近では『テキサス・チェ
ーンソー』が面白かったな。『悪魔のいけにえ』(1974年) のリメイクでね、すごかった。よくぞここまでやったなと。

青島 チェーンソーで肉体をギザギザに切り裂いちゃったりするの?

 そう。そこへなお、塩をね、切り口になすりつけるような、もう好き放題のことやってる映画 (笑)。

青島 ヤだよ、そんなの、俺は。

 それぐらいやってもらわないと。ホラー映画はやっぱり刺激がないとね。

青島 俺はこの前『半落ち』観たけど面白かったよ。話題になってる映画はどうしても気になるね。そういえば、『釣りバカ日誌』の主題歌 (『とりあえずは元気でいこうぜ』)、俺が作ったの知ってた? スタッフと飲んでたときにね、「このシリーズ、主題歌ないね」って話になって、じゃあ私が作りましょうかってね。うまくできたと思うな。けっこう哲学的なこと言ってんだよ (ここでワンフレーズ、歌って聴かせる!)。

釣りバカ日誌の主題歌

 曲は誰が作ったの?

青島 私が作ったの。

 あらららら。そうでしたか。

──お二人が共演されたのは、その主題歌が初めてついた『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』(2001年)以来ですね。

 そうか……今回はとにかく、青ちゃんと一緒だっていうんで、一も二もなくOK、よろしくお願いしますって言ったんだ。

青島 私のところには助監督さんかなんかが来て、「谷啓さんが出ますから」って言われて、それですぐに引き受けた。どうもいいようにまとめられたらしいね (笑)、でもホント、共演できて嬉しかったよ。また、いっしょに何かやりたいね。

都知事時代の交流

 そうだね。最近プライベートを含め、なかなか会えなかったからね。そう言えば、青ちゃんが都知事さんになってから、一度、テレビ番組の企画かなんかで、弁当を持って都知事室に乱入っていうのはあったよね。

青島 そんなことあったねえ。

 番組とはいえ、現役の都知事相手に、こっちも不用意なことは訊けないし、青ちゃんも言えないことがいろいろあったわけで。だから、あのときは当たり障りのない質問して終わっちゃいましたね。

青島 いや、相変わらずバカ話してましたよ。たしか周りに秘書や副都知事もいたのに。

 弁当食うときには二人っきりで、誰もいなかったか。でもあのときも、ほかの人たち、窓からつり下がって隠れてるのかなと思ったよ (笑)。

青島 無理だよ、都庁だよ、あんな高いところ、一体どこにぶら下がるんだ。谷さんの大コウモリじゃないんだからさ (笑)。

轟

キネマ旬報2004年5月下旬号掲載記事を改訂!