なんだか、みんな当然知ってるでしょ、って前提で引き合いに出される昔の映画があります。『羊たちの沈黙』もそのひとつ。ハンニバル・レクター? レクター博士? クラリス? そもそも羊ってどういうこと?
そこらへんを解説です。
映画『羊たちの沈黙』は大ヒット作ゆえ続編も作られました。『ハンニバル』(2001年)、『レッド・ドラゴン』(2002年)。いずれも、『羊たちの沈黙』でレクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスが出演しています。
サイコホラー映画『羊たちの沈黙』がなぜ傑作なのか。秘密は「羊」が示す深層心理にあるようです。ではレビューをどうぞ!
『羊たちの沈黙』レビュー
1991年 監督:ジョナサン・デミ 出演:ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレン、テッド・レヴィン、他
精神科医の猟奇殺人犯 vs FBI捜査官の訓練生
(轟夕起夫)
「どうだね、クラリス、子羊の悲鳴は止んだかね?」
これは、1988年に刊行、今やサイコサスペンスのクラシックとなったトマス・ハリスの小説『羊たちの沈黙』(新潮文庫/訳・菊池光)の終盤に登場する文言だ。
手紙の中でそう問いかけているのはハンニバル・レクター。天才的な頭脳を持ち、精神科医にして猟奇殺人犯、食人嗜好があることから「人食いハンニバル」の異名も。
彼は、自分が与えたヒントに沿って、ある事件を解決したFBI捜査官の訓練生クラリス・スターリングにその言葉を投げかけたのだったーー。
子羊の悲鳴と沈黙の対比
ご存じの通り、ベストセラーとなった小説は、ジョナサン・デミ監督の手で映画化、1991年に公開されるや大ヒットした。レクターはアンソニー・ホプキンス、クラリスはジョディ・フォスターというキャスティング。
本作は第64回アカデミー賞にて作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚色賞の主要5部門を獲得。こちらも小説同様に、年月を経ようと、殿堂級の傑作として称えられている。
ちなみにアンソニー・ホプキンスはNetflix配信映画の近作『2人のローマ教皇』出演で、アカデミー助演男優賞にノミネートされました。80歳超えでまだまだ第一線です!
ところで、冒頭のレクターの言葉は、映画では手紙ではなく電話でのメッセージに変えられてしまったのだが、まあそれはともかく「子羊の悲鳴」というフレーズがタイトルと対になっていることは自明であろう。
『羊たちの沈黙』の原題は『THE SILENCE OF THE LAMBS』。「LAMB」は子羊を意味する。この子羊の悲鳴と沈黙の対比こそが、本作を読み解くカギとなっており、それはまた、小説にも映画にも具体的には姿を現さない子羊の正体にも深く関わっているのであった。
奇怪な事件とクラリスの過去
ここでレクターとクラリスを結びつけた経緯を簡単に記しておく。
女性を誘拐し、皮を剥いで殺害するというおぞましい犯行を繰り返すことから、バッファロー・ビルと呼ばれている連続猟奇殺人犯がいる。いっこうに捕まらぬこの犯人がかつて、精神科医時代のレクターの患者だったため、FBIは手がかりを得ようと拘束中のレクターに接近する。その任を任されたのが、才色兼備な訓練生クラリスだ。
猟奇犯は猟奇犯の心理を知る。だが、レクターのプロファイリング(犯罪情報分析)を得る代わりに、クラリスは自らの過去を明かさなければならなくなる。つまり、レクターはクラリスに興味を抱き、精神科医としてカウンセリング遊びに興じ始めるのだ。
過去をひとつ話すことに犯人を見つけるヒントを与える、奇妙なゲーム。そこから生まれてくるのは、反発と共感がないまぜになった恋愛初期にも似た関係性。
やがて、二人の対話を通してクラリスのこんな過去が浮上する。すなわち、クラリスは両親を早くに亡くしていた。特に警察署長であった父親を殉職で失ったことは、大きな心のキズとなっており、彼女がFBI捜査官を目指している事実がそれを如実に物語っている。
10歳のとき、親戚の牧場に預けられ、ある朝の明け方、屠殺されていく子羊の悲鳴をクラリスは耳にする。屠殺は家畜の運命ではあるが、幼い彼女は助けようとゲートを開け、逃がそうと試みる。が、事態は変わらず、羊たちは沈黙するばかり。ついには1匹を抱いて家を出るが、保安官に捕まり、子羊は結局殺され、彼女は施設送りになった。そして今でも時折、「子羊の悲鳴」が聞こえるのだという。
「子羊の悲鳴」とは無力であった自分のこと、クラリスの長年のトラウマの謂である。
無力な生贄とキリスト教世界観
さて、目の前の猟奇殺人事件に対しても、彼女は無力感を味わっている。興味深いのは、生後1年以内の子羊の皮を剥ぎ、なめして作る最高級のラムスキンの製法と、バッファロー・ビルの犯行とが重ね合わされていること。被害者たちは、強制的に沈黙させられ、生贄となってしまう子羊というわけだ。
と同時に、この生贄のイメージは、人間一般を指し、いわゆるキリスト教の世界観にも当てはまる。無力で群れるしかない我々は、神に導かれるべき「迷える子羊」であり、沈黙と悲鳴との間を彷徨う存在なのだ。
レクターとクラリスの対話から出てきたキーワード、「子羊」の意味を探れば探るほど『羊たちの沈黙』は面白くなる。実に複雑な「皮の肌触り」と「肉の味」を持った作品である。
ナイルスナイル2011年10月号掲載記事を改訂!
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