巨匠・深作欣二監督。まずはプロフィールを!
深作監督は2003年に亡くなりました。闘病しながら挑んだ『バトル・ロワイアル』の続編、『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』を撮影中のこと。
メガホンは同作のプロデュースと脚本を担当し、深作欣二監督の子息でもある深作健太が引き継ぎ完成、公開に至りました。
蔵出しのインタビュー記事は深作監督が亡くなる前年に、監督初期作について語っていただいたものになります!
「ソイツと闘うときの弾け具合に、アクション映画の面白さってあると思うんだよね」
人に歴史あり。バイオレンス映画の巨匠、深作欣二監督はいかにしてあの『バトル・ロワイアル』へと辿りついたのか──。論より証拠である。1961年のデビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』(主演は若き千葉真一!)を皮切りとした初期作品が、その鍵を示してくれるはずだ。
「最初の頃は、自分では習作のつもりというか、予告編の長いのだろ、ぐらいの気分でナメてかかってやってたね。毎晩、麻雀に明け暮れ、飲んだくれて(笑)。
なにしろ『風来坊探偵』シリーズ(全2本)は他社の、当時人気だった小林旭主演の『渡り鳥』シリーズの線を狙って企画されたものでね。会社から“何でもいいから『渡り鳥』のマネしてくれ”と言われて、一体どうやりゃいいんだ、 と悩んだよ (笑)。とても新人ならではの、志をぶつけられる企画ではなかったんだ」
『風来坊探偵』シリーズは、千葉真一の初主演映画でした。
『渡り鳥』シリーズは日活作品、小林旭が主演で、ギターを携えて渡り歩く西部劇風の娯楽アクション映画です。
しかし5作目、初の長編で異種混合のバトル・ロワイアルなギャング・ムービー『白昼の無頼漢』(1961年)を放ち、深作監督は早くも頭角をあらわす。
「『白昼の無頼漢』は丹波哲郎扮する強欲な主人公が、アメリカ人、韓国人、黒人兵、混血娘たちとともにUSAのドル護送車を襲撃する話。自分なりにノってやれたし、手持ちカメラも含め、いろいろと計算しながら撮影にも臨めて、ひとつの分岐点になった作品だね」
丹波哲郎については、こちらの記事で紹介しています。
続いては武器ブローカーとCIAの暗躍に迫った『誇り高き挑戦』(1962年)。サングラスをかけたままのニヒルな記者、鶴田浩二のスター性が光る快作だ。
「これは、カラダに刻まれた挫折感を隠しながら、ひとつの抵抗運動を続けている男の“屈折した人生”だよね。やられっぱなしのカッコよさ、と言うとヘンだが……つまりまだ現実的に、武装闘争という概念が定着していなかったんだ。僕としてもバイオレンス以外の、別の拠り所を模索しなければ、と思いつつ撮っていた」
以後、『ギャング対Gメン』(1962年)、『ギャング同盟』(1963年)でも才を発揮、黒澤明脚本の名作リメイク『ジャコ萬と鉄』(1964年)も手がけて地歩を固め、いよいよ、スラム育ちの3兄弟の闘いをパワフルに叩きつけた傑作『狼と豚と人間』(1964年)が登場する。
「三國連太郎、高倉健、さらに若い世代の北大路欣也らが戦後の焼け跡を駆け回りながら、やりたいことをやっていく。このときは、野良犬同然に牙をむいて生きる彼らに感情移入していたね」
高倉健についてはこちら!
『狼と豚と人間』の食うか食われるかという世界観は、1970年代の『仁義なき戦い』シリーズを経て『バトル・ロワイアル』にも繋がっている。もちろん、時代の変化を帯びながらーー。
『仁義なき戦い』シリーズの顔、菅原文太については、こちらの記事でご紹介しています。
「昔は闘いなんて、男たちのものだったけど、『バトル・ロワイアル』は原作でも女のコがかなり活躍していたし、実際リハーサルを重ねてみると女優陣のほうが逞しいんだ。そのへん、認識を改めながら撮れたのも楽しかったな」
単なる殺しあいではなく、そのバイオレンス描写には反骨の人、深作欣二の怒りが常にほとばしっている。
「時代ごとに否応なく、人間を縛ろうとする制約が現れる。相手はとらえどころなく変わっていくけれど、ソイツと闘うときの弾け具合に、アクション映画の面白さってあると思うんだよね」
(取材・文/轟夕起夫)
雑誌スカパー!2002年7月号掲載記事を改訂!
深作欣二監督作がU-NEXTの見放題タイトルに何本ラインナップされているかをチェックしてます。記事はこちら!