役者・菅原文太とは? をざざざっとご紹介です。
任侠映画の全盛期のデビューからトップスターへ
菅原文太というアクターの本質は“ラジカル”であった。ラジカルとは急進的かつ根源的であること。その両方が、彼の81年間の生涯から見えてくる。
新東宝、松竹を経て、1967年に東映へ。既にデビューして9年が過ぎていた。あまたの脇役、助演を経験した。
それは新天地、東映でも変わらなかった。時は、着流しスタイルの東映任侠映画の全盛期。
そんな中、1968年、主役を務めた『現代やくざ 与太者の掟』で彼は、ラストの殴り込みに際し、白いトレンチコートを肩で着る“ラジカル”な姿を披露。新たな時代の到来を予感させた。
同年、共にシリーズ化された『関東テキヤ一家』では露店商の世界を舞台とし、監督を手掛けた鈴木則文とはのちに『トラック野郎』シリーズで再タッグを組むことになる。
さらにあの『ブルース・ブラザース』(1989年)を先取りしたような『まむしの兄弟』シリーズが1971年に始まり、革命前夜の1972年、組織に盾つくアナーキーなチンピラ像を体現した『現代やくざ 人斬り与太』『人斬り与太 狂犬三兄弟』を世に問うた。
『ブルース・ブラザース』は刑務所を出所した兄弟が、出身孤児院への寄付金集めのためブルースバンドを組む、コメディ・ロードムービー。様々なミュージシャンによるミュージカルシーンも見所です。
ノーフューチャーでパンキッシュな魅力ほとばしるこの2作は、任侠映画の美学に背を向けた実録路線の先駆けで、監督の深作欣二とは翌年1973年、その集大成『仁義なき戦い』を発表。
ラジカルな革命を成功させ、トップスターへの階段を昇っていった。
抗争下の広島やくざの群像劇の中で、否応なく合従連衡に巻き込まれる、実は仁義ある男・広能昌三役。
シリーズを重ねるうちに、板挟みの人間ドラマがせり上がってきて、さながらシェイクスピア劇のごとし。
ちなみに漫画「ONE PIECE」に登場する海軍本部元帥、赤犬は 『仁義なき戦い』の頃の菅原文太をモデルとしたキャラだ。
次々と演じた、煩悩に満ちた人間ドラマ
破竹の勢いは『新・仁義なき戦い』シリーズ(1974〜76年)を生み、秀逸な板挟みの人間ドラマは『県警対組織暴力』(1975年)へとつながり、映画自体が“祭り”であった『トラック野郎』シリーズ(1975〜79年)でまたも新境地を拓く。
コミカルで限りなく三枚目に近いデコトラの運転手、星桃次郎役だ。
よく比較されるのは『男はつらいよ』シリーズ(1969〜95年)の車寅次郎だが、寅さんには葛飾柴又があるのに対し、桃さんには帰る場所がなく、菅原文太は陽性キャラにほんの少し、故郷喪失者の陰りをにじませた。
『トラック野郎』シリーズについては、こちらでも紹介しています。生前の菅原文太さんが同シリーズについて語るインタビューも!
1979年、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』の警部役で“父性”を担い、その延長線で『鉄拳』(1990年)や『わたしのグランパ』(2003年)、『妖怪大戦争』(2005年)、それから声の出演の『千と千尋の神隠し』(2001年)、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)などで、若い世代を見守り、導く役を引き受けた。
変わったところでは、キム・ギドク監督の『春夏秋冬そして春』(2003年)がDVD化された際は、日本語吹替版で老僧の声をアテている。
素顔は、地に根を張って行動する賢者
無数の、煩悩に満ちた人間ドラマを演じてきた菅原文太。
素顔は、地に根を張って行動する賢者であった。
最後は有機農業や社会活動へと突き進んだ。“ラジカル”な、本音の生き方を貫いたのだった。(轟夕起夫)
DVD&ブルーレイでーた2015年3月号掲載記事を改訂!