絶望と再生の人間ドラマ! レビューをどうぞ
「飲みこめない想いを飲みこみながら生きている人」
最後にお会いしたのは2013年であったか。そのとき、目の前の橋口亮輔監督は全身、ゴムタイツで顔まですっぽり覆われていた。
講師としてワークショップで出会った役者たちとオムニバス形式の中編『ゼンタイ』を発表し、タイトルにちなんで、全身タイツ姿で取材場所に現れたのだった。
全身タイツ=ゼンタイ愛好家の人々を描いた作品です。
マスク部分をはずし、堰を切ったように“ゼンタイ”というカルチャー、並びにそこから見えてくる「人間社会の様々な断面」について、ひたむきに語ってくれたあの時間が忘れられない。
いや、20年前、初めて会った『渚のシンドバッド』のときも、久々に再会した『ぐるりのこと。』のときもそう。彼は自分の血を絵の具代わりに、生みだした作品に完全に同化していた。
『渚のシンドバッド』には浜崎あゆみが「浜﨑あゆみ」表記時代に女優として主演、秘密にしている過去を持つ役柄に扮しています。
『ぐるりのこと。』は生まれたばかりの子供の死のトラウマを抱えた夫婦を、リリー・フランキーと木村多江が演じています。
新作『恋人たち』は、『ぐるりのこと。』以来7年ぶりの長編映画となる。
主人公は次の3人。妻を通り魔に殺されたアツシ(篠原篤)。姑と夫との平凡な日々に埋没している主婦・瞳子(成嶋瞳子)。エリート意識の高い、完璧主義の弁護士・四ノ宮(池田良)。
この3人の共通点は?
橋口監督自らの言葉を借りれば、「飲みこめない想いを飲みこみながら生きている人」である。
身も心もボロボロになったアツシは、犯人への殺意を隠しつつ裁判を起こそうとし、夢見る瞳子はというと、繰り返される日常に風穴を開けた男(光石研)に女心が揺れ動く。
そして四ノ宮は、階段で何者かに突き落とされ、さらに“負のスパイラル”へと嵌っていく。
これらの設定は今回、オーディションで選んだ俳優へのアテ書きで、『ゼンタイ』にも出ていた篠原篤、成嶋瞳子、橋口組初参加の池田良らとワークショップやリハーサルを通して造形していった。
つまり、それだけ「話者の肉声」に近いセリフとなっているわけだ。
以前、『ハッシュ!』で主演した片岡礼子はインタビューでしばしば、「あのセリフは私が考えました」と答えていたそう。演者の心の声と脚本とが混ざりあってしまった、そんな生々しい映画を目指しているのだ、橋口監督は。
『ハッシュ!』はゲイカップルと、精子が欲しい女性が織りなすドラマ。
ちょっと、ポツドールの芝居を観ている気分にも似ている。常連だった安藤玉恵と内田慈も出ているし。赤裸々で克明な人物描写がそう感じさせるのか。
ポツドールの作、演出を手掛けてきた三浦大輔との深い交流は記すまでもない。また、二人の共通の友人、リリー・フランキーをともに役者として花開かせた点も!
しかし当然、両者の作風は似ているようで大きく違う。
それは何か?
橋口監督のほうは否応なく時代の空気に感応してしまう巫女(神子)的な資質を持っていると思うのだ。
ひと組の夫婦を描くと同時に、バブル崩壊以降の日本人のメンタリティの変化にも肉薄した『ぐるりのこと。』。『恋人たち』は7年後の“今”の生きづらさを捉えてみせている。
では、ひたすらネガティブな現実をトレースするのか。否。彼はかつて、こう言った。映画とは、混沌とした世界の中から見えにくいけれども美しいものを探し続け、表現してゆくことだと。
その“美しいもの”がここには、確かに、在る。
ケトル2015年10月号掲載記事を改訂!