読む映画リバイバル『ゼロ・クラビティ』

私にとっては大きな一歩

(2014年1月下旬号より)

 本作は“純粋活劇”と呼ぶべきものではないか。とにかく捨てカットなし! 宇宙を漂流する登場人物は次々と訪れる危機を回避しようとアクションし続け、観る者はその一挙手一投足から少しも目が離せない。

 科学的な精緻さを求める映画ではないと思う。むしろある種のホラ噺を楽しむくらいの余裕の気持ちで挑みたい。ベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の軽口が「映画ならではの大ボラを受け入れよ」とさりげなく諭しつつ、誘導もしているようだ。

 が、しかし。それでも描写はことごとく迫真に満ちている。彼を失い、宇宙空間で孤立無縁になる主人公のストーン博士(サンドラ・ブロック)の命運に、大ボラだとわかっていてもてに汗握らされる。彼女の目の前の果てしない闇、深い漆黒にもグラデーションがあるみたいで、ヒロインを追おうとする視線はどこまでも画面に吸い込まれていく。

 翻ってみて、映画を通して我々は“視聴覚体験の拡張”を感受してきた。そのパイオニアのひとりがB級映画の帝王ロジャー・コーマンであろう。コーマンが目指したのは束の間の日常からの脱出であり、精神のしばしの解放だ。自ら実験台となり、研究した目薬を投与し、透視能力を身に付けた科学者の悲(喜)劇を描いた「X線の目を持つ男」(63)という監督作があるが、これなどまさに変容した視界を観客に体感させんとする映画であった。IMAX3Dの劇場にて、宇宙空間での絶対的な孤独を味わせてくれる「ゼロ・グラビティ」もまた“視聴覚体験の拡張”を進めた作品であり、同時に我々を“精神の旅”へと導くライドショーでもある点が素晴らしい。

 ちなみに、コーマン・スクールにいたジェームズ・キャメロンが後に、“視聴覚体験の拡張”を受け継ぐ仕事をしていったのは歴史的必然か。ご存知のとおり「アバター」(09)で3D映画を飛躍させ、今回、「トゥモロー・ワールド」(06)でもその萌芽を見せていたアルフォンソ・キュアロンがさらに最上級の“見世物”映画を作った。「コーマン」「キャメロン」「キュアロン」と、何だか語呂がいいから並べてしまおう。どの監督もシンプルな筋立てにもかかわらず、含意あふれるテーマを盛り込むことができるツワモノだ。

 本作の場合、音のない世界にあえて饒舌な言葉を用意し、ハンク・ウィリアムスJr.のカントリー&ウエスタン『Angels Are Hard to Find』までかけ(この曲の歌詞はぜひ調べていただきたい)、我々に映画の真意を問いかけてゆく。やがて観る者は、内省する主人公を見つめながら自分自身と対峙するようになっていくだろう。成層圏を抜け、60万メートルの上空から地球に帰還したラスト、サンドラ・ブロックをカメラが捉えた仰角の構図、あの神々しい彼女の姿が忘れられない。人類史上初の月面着陸を果たした宇宙飛行士アームストロングは、「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」という名言を残したが、ここでのヒロインは「人類にとっては小さな一歩だが、私にとっては大きな一歩」を踏み出していくのであった。確かな“重力”を感じながら。

[キネマ旬報掲載]
●監督:アルフォンソ・キュアロン●出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー、他●2013年●アメリカ