読む映画リバイバル『タリウム少女の毒殺日記』

これもひとつの、ヒトゲノム妄想日記

(2013年7月下旬号より)

【6月×日】

 渋谷アップリンクで土屋豊監督の「タリウム少女の毒殺日記」を観た。05年、劇薬物であるタリウムを密かに実の母親に投与し、ブログにその観察記録を書いていた女子高生−−−−をモチーフにした映画だ。もっと正確に言えば、タイトルも謳っている通り、そこからタリウム少女なる架空の主人公を抽出、「踊ってみた」「演奏してみた」といったネットでお馴染みの投稿動画さながらに、「母親に毒薬を飲ませてみた」彼女の行為がスクリーンにアップロードされていくのであった。

 映画なのにアップロードとは何ともヘンな言い草だが、土屋監督は意識的にスマホやパソコンの画面に近づけ、レイヤー構造を模している。つまり観る者はあたかもタリウム少女について検索しているような気分に襲われるのだ。映画が終わると、会場に来ていた土屋監督に挨拶した。感想を言葉にするのは難しいが、ま、それは、いつものことか。

【6月×日】

 気がつけばこの映画を反芻する日々だ。タリウム少女として登場した倉持由香は現役女子大生のグラビアアイドルで、日テレジェニック候補生。劇中の虚無的な佇まい、誰かに似ているなあと感じたのだが思い出せない。

 本作は昨年の東京国際映画祭で上映されたときは「GFP BUNNY」という題名だった。それはエドワルド・カッツが00年に発表したバイオ・アートで、緑色に光るように遺伝子を組み換えられた実験用ウサギ“GFP BUNNY”から取られている。現実とSFの境界線はもはや朧げだ。醒めたタリウム少女は「物語なんて、ない。システムとプログラミングしかない」と言う。確かに人間の全ての個体情報は、遺伝子の配列で作られた設計図、いわゆるヒトゲノムに書き込まれており、数値データに還元できてしまう……。

【6月×日】

 物語を探しに街中に出た。池袋の映画館シネマ・ロサで石井隆監督の新作「フィギュアなあなた」を観た。男の夢の体現者、ヒロインの佐々木心音の飛翔に酔った。これもまたタリウム少女からすれば、単にプログラムされた、ヒトゲノムのシナリオに沿った世界像なのか?

【6月×日】

 雨だ。憂鬱だ。再び「タリウム少女の毒殺日記」について考えてみた。「物語なんて、ないよ。逆に、くれよ」と呟く、寄る辺ない実験好きな少女。誰に似てるか分かった。長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」(79)の沢田研二だ! だがあの、原爆を造ってしまう物理担当の中学校教師はドえらいものを手にしたはいいが、何をしていいのか分からず、不毛な要求を繰り返し、挙句の果てには「この街はとっくに死んでいる。死んでしまっているものを殺して何の罪になると言うんだ」とのたまい、警部(菅原文太)に「お前が殺していいたったひとりの人間は、お前自身だ!」と正論で切り返される。

 タリウム少女は同じ轍を踏まない。母親毒殺計画を中断し、他人に要求するの辞める。牢獄のような世界から抜け出るために、自分を、人体のフォーマットを更新しようと、或る選択をする。頭部顔面にシリコン、金属を入れている身体改造アーティストと、自転車で二人乗りするシーンには珍しく、底抜けなロマン=物語が溢れていた。

[キネマ旬報掲載]
●監督・脚本:土屋豊●出演:倉持由香、渡辺真起子、古舘寛治、ほか●2012年●日本