読む映画リバイバル『夢売るふたり』

“包丁の物語”の果てに……。

(2012年10月下旬号より)

  西川美和監督が『蛇イチゴ』(2003)でデビューして10年。そんな周期も関係するのか、この『夢売るふたり』はさながら“第2のデビュー作”のようである。つまり、〈ドス黒さ〉という意味では『蛇イチゴ』の頃に回帰し、『ゆれる』(2006)、『ディア・ドクター』(2009)と積み重ねてきた手練手管はフル活用して、しかし、これまでに試していないことを「やって見せてやろう」との気概もヒシヒシと感じさせる。実に前のめり、なのだ。

 彼女が物語の軸として用意したのは、かつては小料理屋を営み、今や結婚詐欺を共謀する市澤貫也(阿部サダヲ)と里子(松たか子)の夫婦。

 端的にいえば、二人が互いを傷つけあいながら、それぞれの存在証明を探っていく映画として見た。とても他人事ではない、もがき、のたうちまわる男と女のその可笑しみと哀しみ。さらに、本作はそこから突き抜けていき、里子の“怪物性”が目覚めてゆく映画の貌も表すことになる。貫也に他の女性を口説かせ、内心は嫉妬し悶々としつつ眠りかけていた女の性(さが)に火がついて、あとにはやさぐれ感が強く残る。これが結果、第2のデビュー作の「らしさ」を出している。この抜き差しならぬ迫力は、捨て身の賜物とも言える。

 とまあ、ここまでの内容は公開前、西川監督にインタビューする機会を得たときに直接話したのだが、時間の都合上、言及できなかったことをこれから書き記してみようと思う。

 それは本作が“包丁の物語”でもあるということだ。開幕早々、店は火事になり、貫也は一度は外に逃げだすものの、刺身包丁を置いてきたことを思い出し、炎の中に飛び込んでそれを取り戻す。そうしたのは彼の存在証明だからだ。里子も信じている。貫也は有能な職人であると。

 だが、包丁は、二人をいっこうに救わない。むしろ貫也のプライドが邪魔をして、事がうまく進んでいかない。やがて(夫の浮気が発覚し)、包丁は妻の主導のもと、結婚詐欺のための“武器”として使われるようになる。女たちを騙していくうちに貫也は疲弊し、子どもと祖父を抱えた未亡人(木村多江)の家へと入り浸り、意を決してソレを手にして妻の前を去る。彼には料理をふるまう喜びが再び戻るだろう。里子は貫也の行き先を探し出し、俎板に無造作に置かれた包丁を見つけ、衝動的に掴む。で、階段を降りる途中、帰ってきた子どもと鉢合わせになり、我に返って足を滑らせ、ソレを落とす。

 ここまでは巧い。憎たらしいほどに巧い。ところが終盤、包丁はある人物の手に渡り、私立探偵(笑福亭鶴瓶)に突き刺さり、さらには貫也が(罪と共に)引き取ることで“物語”は終焉を迎える。これには少々鼻白んだ。倫理的な面ではない。〈ドス黒さ〉は大いにけっこう。が、妻と夫の間の“包丁の物語”は? 肩透かし気味な決着で、しかも、主要人物が唐突に一堂に介してゆく光景には、苦し紛れな“一手”も感じた。

 と、「それは違うわ、その飛躍も含めてのコメディなんじゃないの?」と映画を観てきたばかりのカミさんが横から宣った。うむむ。いや、そこはやはり違うぞ、オイ!……これがキッカケで、(心に包丁を隠した)夫婦喧嘩にまで拡大してしまった。

[キネマ旬報掲載]
●監督:西川美和●出演:松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈、他●2012年●日本