読む映画リバイバル『イージー・ライダー』

 『イージー・ライダー』という映画を、君は観た事があるだろうか。マリファナ、人種問題、ベトナム、反体制運動の激化など病めるアメリカと揺れる若者たちの悲劇を描いている。現在のチョッパースタイルを確立させたのもこの映画だ。今、あらためてこの作品を検証する。

(1993年号より)

揺れるアメリカの“夢の余白”を求めた、若者の旅

 広大な一本の道を目の前にして、ロングヘアーの若者ふたりが、見事に改造されたチョッパーのハーレーダビッドソンに跨がっている。そして片方の男が腕時計をはずし、路上に捨てたかと思うと、2台のハーレーダビッドソンは轟音を唸らせながら走り出した。「ワイルドで行こう」をBGMにしながら――。

『イージー・ライダー』。1960年代後半から70年代前半を文字通り駆け抜けたアメリカン・ニューシネマの、その先陣を切った記念碑的傑作。

 数日もの間、アメリカの“夢の終焉”を見届けようとひたすら南に向かって走り続けた彼らの旅は、1969年当時の「アメリカの旅」そのものでもあった。外にはドロ沼化するベトナム戦争があり、内にはドロップアウトした若者たちのカウンター・カルチャーが席巻し、既成の、大人たちの文化や価値観がグラグラ崩れてゆく、そんな時代の真っ直中。かつて経験したことのない動揺を味わい、出口を求め、彷徨いもがくアメリカという旅人の“夢の余白”を道がわりに、彼等はただ走ってみようとしたのだった。「ドラッグ&ハーレー」を、そして「ロック」を守護神としながら。

 ところでいま、ぼくらは彼らのように“夢の余白”を走ることができるだろうか。もしかしたらできるかも知れない。それを検証するためにも、『イージー・ライダー』を回顧するのではなく、もう一度彼らとともにその旅の軌跡を追体験してみたいと思うのだ。

 それにはまず、彼らの名前を知らなくては。ひとりはヘルメットから皮ジャンまで星条旗をデザインしたキャプテン・アメリカ。もうひとりはヒゲ面に黒サングラス、カウボーイハットにウエスタン・スタイルのビリー。もちろんふたりの名前とスタイルにはそれぞれ由来があるはずだ。“キャプテン・アメリカ”が、本家星条旗をデザインしたコスチュームで有名な、40年代コミックの正義のヒーロー。“ビリー”のほうはあの西部の無法者ビリー・ザ・キッドだろう。

 ノスタルジックなアメリカを喚起させる伝説的な名を背負って、彼らは旅を始めるのである。ちなみにこのふたりを演じたのは、ピーター・フォンダとデニス・ホッパー。当時(そしていまも!)、老衰しきったハリウッド映画に見切りをつけ、インディーズを中心に斬新な映画作りをめざしていた“ハリウッドの反逆児たち”。午前3時にピーターの頭にふと浮かんだアイデアが監督ホッパーの手を経たとたん、彼らは一躍時代の寵児となっていたのである。

本当に自由な場所、それは走っている瞬間にしかない

 さて、メキシコからマリファナを密輸して大金を得たアウトサイダーのふたりは、ロスからニューオーリンズをめざし、さらに南へとさしたる目的もなくハーレーを走らせていく。夜は野宿して、マリファナをキメてもうひとつの旅(トリップ)へ。朝になったらまたオン・ザ・ロード。この繰り返しだ。

 しかし途中、いくつかの注目すべき人々との出会いがあった。パンクを直すために世話になった田舎家の元開拓者風のオヤジ。ヒッピーの首領ジーザス。そしてラスヴェガスの留置所で出会った酔っぱらいの弁護士ジョージ(これまた若きジャック・ニコルソン!)。

「かつては俺もフロンティアを目指したもんだがなあ……」。元開拓者は遠い目をしてこう呟いた。「Go west!」。西部開拓時代の合い言葉がそれならば、我らがキャプテン・アメリカ&ビリーの目指す方向はまるで見当違いである。そう、馬は馬でもハーレーダビッドソンという“鉄の馬”に乗った彼らが目指すフロンティアなど、もはやこのアメリカにはどこにもないということなのだ。

「ちょっと遊んでいかないか」。ヒッピーの首領はこう誘った。コミューンで集団生活をしている数十人の男女に混じって、彼らはしばし羽を休めてみる。だがそこを約束の地と信じ、神に感謝するヒッピーたちと一緒にいる時間はそう長くなかった。決定的に何かが違う。彼らはそう思いながら、再び旅に出る。

「アメリカはいい国だったのに……」。弁護士ジョージは溜息をついた。カフェ・レストランに入れば町の人々にさんざ悪態をつかれ、反感を買ってしまう。

 だが、アウトサイダーではあっても彼らは単なる価値破壊者ではなかった。むしろアメリカの伝統を愛していると云ってもよい。そもそも1903年に始まった歴史あるハーレーをチョッパースタイルにし、乗りこなすセンスが彼らにはある。大人たちの必要以上の苛立ちと憎悪とは、そうしたアメリカのステイタスをいともポップに軽やかに遊んでしまう、その精神の自由闊達さにこそ向けられていたのだ。

 町の人間に殺される直前に弁護士ジョージはこうも云った。「人に向かって自由を説くのと自由であるのとは全然違う。あいつらはホントに自由な奴を見るのが怖いのだ」と。

 ラストはその通りになる。群堺ですれ違ったトラックの南部男が、彼らの走る姿を観るやいなや「その髪の毛を切れ」と叫びながらライフル銃を撃つ。まずビリーが倒れ、続いてキャプテン・アメリカもあっけない最期を遂げる。あまりにも即物的な死……。

“放浪”を実践したビートニクのシンボル『路上(オン・ザ・ロード)』のジャック・ケルアックが死んだ年に作られた『イージー・ライダー』。ユートピアは停泊の時間にはなく、今、走っている瞬間にしかないということを、どうやら彼らキャプテン・アメリカ&ビリーは教えてくれたようだ。いかなる場所にも属さぬというユートピア。それだけは現在にも唯一確かな“夢の余白”といえるのではないだろうか。

[月刊smart掲載]

●監督・脚本・出演:デニス・ホッパー●製作・脚本・出演:ピーター・フォンダ●出演:ジャック・ニコルソン、他●1969年●アメリカ