『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞作品賞監督賞脚本賞受賞のポン・ジュノ監督作の『グエムル-漢江の怪物-』(2006年)も、日本で大ヒットした映画です。
轟は公開時のインタビューで、監督がさまざまなエンタメ作品からインスパイアを受けて映画制作していることを聞いています。
発想元の一端を覗けるレビューとなってますヨ。
大ファンと公言する漫画家・浦沢直樹ほか、古谷実、うすた京介、M・ナイト・シャマラン…
ポン・ジュノ監督には2度会ったことがある。映画『グエムル -漢江の怪物-』((以下、『グエムル』と略す)のキャンペーンで、彼が来日したときに。
1回目は漫画家・浦沢直樹との対談の場(「ぴあ」)、2回目は単独の取材(「TV Taro」)にて。
浦沢直樹はポン・ジュノが、大ファンだと公言している作家だ。憧れの人の前に座ったその顔は、まさしくそれをあらわしていた。
彼は開口一番、長編監督デビュー作『ほえる犬は噛まない』(2000年)は「HAPPY!」、『殺人の追憶』(2003年)は「MONSTER」、そして『グエムル〜』は「20世紀少年」を何度も読み返し、片手に持ちながらシナリオを書いたようなものだ、と言った。
飼い犬の失踪事件を描いた。『ほえる犬は噛まない』はペ・ドゥナ主演。
テニス漫画「HAPPY!」は全15巻。
ソン・ガンホ主演『殺人の追憶』は、東京国際映画祭で最優秀監督賞を受賞。
「MONSTER」は脳外科医をめぐるサスペンス。
もしかしてリップサービス? そうではなかった。具体的な巻数やカット割を提示し、子細に自分の映画との関連性を語って、浦沢直樹を大変驚かせたものだ。
後日、単独取材のときには、古谷実の「行け!稲中卓球部」「ヒミズ」、うすた京介の「すごいよ!!マサルさん -セクシーコマンド外伝」も好きだと明かしてくれた。ポン・ジュノ作品のカット割と編集リズム、特異なユーモアには日本のコミックが一役買っているわけだ。
「すごいよ!!マサルさん ーセクシーコマンド外伝」は、謎の格闘技の部活、セクシーコマンドー部のお話。
『グエムル〜』も、漫画的といえばそう言える設定ではある。韓国の首都ソウルの中心を南北に分けて流れる雄大な河、漢江に突如として現れた正体不明のグエムル(ハングルで“怪物”の意)。
長い尻尾をふりまわす、魚の奇形のようなモンスターは白昼堂々、陸に上がって無差別に人間を襲い、捕獲するや、バクバクと食らい始める。
目にも留まらぬ速さで、水陸を自由自在に行き来しながら意表をつき、次々と際限なく人間を丸呑みしてゆく恐ろしい習性。漢江周辺は韓国政府によって封鎖、報道管制も敷かれ、首都ソウルも未曾有の麻痺状態へと陥っていく。
本作がユニークなのは、市井の一組の家族を通してグエムルとの闘いを描き出していくこと。クローズアップされるのは、河川敷で売店を営んでいた“パク一家”だ。
キャストは“ポン・ジュノ”ファミリーともいうべき布陣で、父親役にソン・ガンホ、その子供にぺ・ドゥナ、パク・へイル、祖父にパク・ヒボン。
ソン・ガンホは『パラサイト 半地下の家族』にも出演してます。
新顔の娘役コ・アソンがグエムルに呑みこまれてしまうのだが、携帯電話にメッセージが。「助けて……」。彼女は奇跡的に下水溝に吐き出されていた。娘の生存を信じ、居場所を求め、必死に探しまわるパク一家。
しかし、一度は呑み込んだ娘をなぜグエムルは吐き出したのか? そんな些細だが素朴な疑問にポン・ジュノは、いたって真面目に答えてくれた。
「プロローグで入水自殺した社長を食べて、グエムルは初めて人肉の味を覚えたんですね。そのあと漢江の川辺にまで上がってきて、第1次襲撃を行い、そこで最初の飽食を味わった。食物が消化されるまで時間がかかり、それまでは口に入れても噛まず運搬をしているだけ。で、娘は吐き出されたわけです」
何とも論理的で、明晰な答え。
ソン・ガンホ扮する主人公がグエムルの出現に驚き、自分の娘と別の子を間違えながら逃げるシーン(の素晴らしいスローモーション撮影の効果)も、ちゃんと理由があった。
「スローモーションは1本の映画において、ここぞという時に使うようにしています。今回、ソン・ガンホがほかの家の子供の手を誤って握って走る場面は、グエムルの出現が大災難で、そのせいで小さな災難が連鎖し、大状況が“ある個人のドラマ”へと置き変わっていくのを示したかったんです」
つまり、首都ソウル全体のパニックの象徴的な犠牲者として、ポン・ジュノはひとつの家族を選びだしたわけだ。
そもそも、韓国の人々にとってこの家族は他人事ではなかった。グエムルが生まれた背景には、実際に起きた事件が関与していたのだ。
2002年に明らかになったマクファーランド事件。
ソウル市の竜山米軍基地の遺体安置室の副所長アルバート・マクファーランドが、古くなった劇物ホルムアルデヒド(ホルマリン)227リットルを部下に命じて、排水溝に垂れ流し、漢江を汚染させた事件だ。これが『グエムル』映画化の出発点のひとつになった。
だが普通、科学者や政治家、大統領などを中心に、現実的側面を描いていくのが“モンスター・ムービー”の定石なのだが、本作で闘うのは非力な家族、しかもどちらかといえば社会の底辺に位置する、お互いの絆も頼りない“負け犬”一家である。
彼らは何の手助けも得られず、そればかりか「グエムルのウイルスに感染している」と隔離され、脱走するや、政府からも追われる身となる。そのドタバタ騒動の可笑しさよ!
一家族の物語に特化させていった点について、M・ナイト・シャマラン監督の『サイン』(2002年)の影響を認めているが、ポン・ジュノのディープな映画マニアぶりは至るところにちりばめられている。
逐一挙げてはいかないが、たとえばアメリカ人側のキャスト。冒頭に登場する米軍のいい加減な科学者は『冷血』(1967年)や『モンスター』(2003年)のスコット・ウィルソン。
『モンスター』はシャーリーズ・セロン主演作です。
不気味な医者役はこれまた渋いポール・レイザー。『羊たちの沈黙』(1991年)でジョディ・フォスターに卵から蛾を取り出して見せる昆虫学者役で知られるが、ポン・ジュノはジョナサン・デミ監督の『クライシス・オブ・アメリカ』(2004年)を観て、「まだ俳優を続けているんだと感動」し、連絡を取って韓国に呼んだのだという。
『羊たちの沈黙』と『クライシス・オブ・アメリカ』はともにジョナサン・デミ監督作です。
かつて彼は、オムニバス作品『三人三色』(2004年)の一編「インフルエンザ」を、漢江の橋の上で男がどこか危なげに佇んでいる遠景ショットから始めた。
ソウルの街中に設置された監視カメラが、蔓延する暴力を映しだしていき、“犯罪事件”に麻痺した現代人を暗示する社会批評的な視点。
『グエムル〜』にも、その鋭い眼差しは射しこまれている。グエムルの食べまくる姿と、家族の絆として「食べさせる行為」との対比。単純に“正義と悪”には割りきれない、不条理と対峙しようとする世界観。
それでいて「高校時代、漢江のジャムシル大橋の柱をよじ登る不思議な怪物を目撃し、いつか映画にしようと思っていた」なんてサービストークも忘れない。
『グエムル〜』は「今村昌平監督が撮った怪獣映画」とも評されたが、つまるところ、したたかで巧みなストーリーテラー、ポン・ジュノは“モンスター・ムービー”という既成のジャンルを借り、起こりうる社会的ヒステリーを戯画化して描き、さまざまな“読み”の可能な新たな“重喜劇”を創出してみせたのであった。
映画秘宝2006年号掲載記事を改訂!