伊丹十三監督映画とは? 奥様であり伊丹十三映画のミューズ、宮本信子さんが監督について語ったインタビュー記事を復刻です!
あわせて、伊丹十三監督解説と映画全10作品もご紹介!
伊丹監督を徹底解説です!
伊丹十三 プロフィール
イタミ・ジュウゾウ Juzo Itami
1933年京都生まれ。父は映画監督の伊丹万作。商業デザイナーやエッセイストなど多方面で活躍。伊丹一三として俳優デビューし、『黒い十人の女』(1961年・市川崑監督)などに出演。1967年、伊丹十三に改名、ハリウッド映画にも進出した。1984年に『お葬式』で監督デビュー。社会問題を盛り込んだエンターテインメント映画を次々と世に送る。
1997年死去。
宮本信子が語る伊丹映画
宮本信子プロフィール
1945年北海道生まれ。TV「あしたの家族」 (1965年)で共演した伊丹十三と1969年に結婚。
伊丹監督作全てに出演し、強烈な印象を残す。その後『眉山』(2007年)、『阪急電車 片道分の奇跡』(2011年)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争10年目の真実』(2011年)、『いちごの唄』(2019年)などに出演。
(取材・文 轟夕起夫)
「人間は退屈しなくちゃダメなんだよ」とよく言っておりました
宮本 伊丹映画は誰がご覧になっても楽しめるエンターテインメントです。しかも普遍的なテーマ、ある種の日本人論、が織り込まれていますから、決して古くならないのでは。まだシネコンもなく、日本映画が元気のなかった時代に伊丹さんは孤軍奮闘し、異彩を放ち、自己資金で次から次へと違うタイプの映画をつくり出し、常に新たな観客と出会いたいと考えていたと思います。
妻として女優として、伊丹十三その人を公私共に支えつづけた宮本信子。彼女が主演し、伊丹十三が監督に踏み出した出発点は1984年の『お葬式』だ。
宮本 公開初日、2人して駆けつけました。あの満員になった劇場の熱気は今も忘れられません。お葬式の話なのに終映後、お客様がニコニコされてるのがうれしかった。
第2作『タンポポ』は海外でも公開されヒット、絶賛を博した。
宮本 見にいってくれたアメリカの友人から電話がかかってきたんですよ。私が演じたタンポポがとっても苦労してスープを研究し、それを指南役の方々に差し出すクライマックス・シーン。山﨑努さんや渡辺謙さんらが完食し、ぐっとドンブリを傾け、一気にスープを飲み干すと観客席からブラボーと大拍手が起きたそうです。
ハリウッドでリメイク企画もあった『マルサの女』シリーズでは、寝グセのおかっぱ頭にソバカスだらけの顔が特徴の、板倉亮子役。
宮本 シングルマザーで仕事熱心、男性顔負けのファイトもあって、巨悪と闘っていきます。それまでの日本映画のヒロイン像を塗り替えた伊丹監督はすごいです。
撮影現場へのモニター導入やフード・コーディネーター、特殊メイクにデジタル合成の活用、メイキング・ビデオの作成、宣伝戦略など監督は製作面でも先駆者だった。
宮本 いいものはいいと、こだわりなく何でも取り入れるのは、昔TVで自由な発想をして番組をつくっていたからだと思います。それが映画にも生かされていました。
ところで、監督の俳優デビュー時の芸名は伊丹一三(いちぞう)。1967年にこれをみずから改めた。
宮本 マイナスをプラスにするからと「一三」を「十三」に。十三には不思議な因縁があります。お義父様 (伊丹万作)が亡くなったのは、彼が13歳のときで、それに映画をつくっていた期間は13年。そして亡くなって13年経ち、回顧上映と合わせて作品がBD化され、また命を授かるように甦りました。
商業デザイナー、エッセイスト他、前出の記念館には、その足跡を紹介する13のコーナーがある。
宮本 映画を撮っていないとき「人間は退屈しなくちゃダメなんだよ」とよく言っておりました。退屈しないと何も生まれないって。伊丹さんが監督になる前、どんな多彩な人生を過ごし、歩んできたのかもぜひ知っていただきたいです。
では、伊丹十三監督の演出の特徴をみていきましょう!
伊丹十三演出の特徴
タブーとされるテーマに挑む!
脱税の世界にメスを入れ、宗教の暗黒面を探り、暴力団の弱点を突き、不正スーパーマーケットの巧妙な手口を暴く。伊丹映画は、タブーとされていた数々のテーマに挑んできたが、端的に言えば生(性)の欲望とその果ての死に帰結する。それは初監督作『お葬式』から際立っていた。
皮肉の中に笑いのスパイスを効かせる
エッセイでも発揮された特色だが、シニカルな視点から繰り出されるユーモアも伊丹作品の持ち味。笑いのスパイスを振りかけながら、現代悪に迫って、社会問題にも鋭く斬り込んだ。ときにはブラックな毒気がさく裂し、たとえ悪を描いても、かえって善より魅力的に見える場合もある。
スタッフ&キャスト起用に独特の勘
個性派俳優だった伊丹は、映画に必要な顔、を集め、笠智衆、大滝秀治といった日本映画の重鎮はもちろん、MITSUKO(石井苗子)や伊集院光のような意表を突いたキャスティングも。またスタッフは、撮影の前田米造、音楽の本多俊之、編集の鈴木晄らを常連とし、監督の厳しい要求に応えた。
特報やポスターまで完璧主義を貫く
みずから出演するキャッチーな特報を劇場にかけ、元商業デザイナーとしてのセンスとひらめきでポスター・ロゴも作成。斬新なタイトルとコピーで映画のテーマを的確に観客に伝えた。パンフ製作にも毎回関わり、マスコミ用プレスシートの原稿も自身で書き起こした完璧主義者であった。
次はクリエーター伊丹十三を13にちなんでキーワード検証です!
伊丹十三、13の顔!
商業デザイナー
21歳で商業デザインの事務所に就職。雑誌「知性」編集者だった山口瞳と知り合う。伊丹明朝と呼ばれる独特の書体をつくったり、自分の本の装幀も手掛けた。
俳優
27歳の大映入社を機に役者に。ニコラス・レイ監督の『北京の55日』(1963年)や森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983年)他、数多くの作品に出演。
エッセイスト
『北京の55日』での欧州ロケ俳優の日々をつづった「ヨーロッパ退屈日記」で注目を浴び、「女たちよ!」などを発表。話しかけるかのような文体が当時新鮮だった。
イラストレーター
伊丹エッセイは文体の他に、本人によるイラストが魅力的だった。原稿用紙の裏に濃い鉛筆で描くのが伊丹流で、「女たちよ!」では、デフォルメされたユーモラスな線画が多くの読者を引きつけた。
テレビマン
テレビマンユニオン制作の旅番組「遠くへ行きたい」に出演後、スタッフとして関わるように。「ものを見るために見方が必要であることを学んだ」と監督。
テレビマンユニオンはテレビや映画制作などを手掛けています。
CM作家
自身で書いたセリフをモノローグで聞かせるのが特色。ジョニーウォーカー「シェイクスピア篇」や西友のお中元、タカラcanチューハイなど名CM多し。
精神分析啓蒙家
44歳のとき、岸田秀の「ものぐさ精神分析」を読んでから傾倒。精神分析をテーマに現代の思潮を総合的に捉えた雑誌「モノンクル」を創刊し、責任編集を担当した。
「モノンクル」は朝日出版社刊、6号をもって終了となりました。
映画監督
51歳、『お葬式』で偉大なる父、万作と同じ映画監督に。伊丹監督が敬愛するジョン・カサベテス監督とジーナ・ローランズのように、妻の宮本信子とのコンビ作10作を、全て自己資金で完成させた。
料理好き
「スパゲッティのおいしい召し上がり方」など食べ物に関する文章が多いのも特徴。映画出演でロンドンに滞在したとき、片づけながら料理することに目覚めたとか。食通ぶりは「タンポポ」にも生かされた。
乗り物好き
ロータス・エラン、ポルシェ 924、シトロエンCX25など監督が愛した車は数知れず。4輪だけでなく、48歳で自動二輪免許を取得し、バイクも愛した。
音楽好き
「楽器とはその人の終生の友である」という監督だけに、バイオリンとギターの演奏もお手の物。父の形見の蓄音機でバッハやモーツァルトを聴くことを楽しみとした。
ネコ好き
「ネコのいない人生は考えることもできぬ」と言う大のネコ好きで、映画『お葬式』にネコを出演させたことも。エッセイやイラストにもネコの題材は多い。
プライベート名 池内岳彦
監督の本名。池内家では男子の名に「義」を入れる習わしがあったため戸籍上は「義弘」だが、父、万作が考えたのは岳彦。親しかった者には生涯、岳彦、と呼ばれた。
そんな伊丹監督の映画は全10本!すべてに宮本信子さんが出演しています。
伊丹十三監督作 全10作!
『お葬式』(1984年)
義父のお葬式から生まれた初監督作
監督・脚本:伊丹十三
出演:山﨑努、宮本信子、菅井きん、大滝秀治、奥村公延、財津一郎、笠智衆
妻(宮本)の父親の訃報を知らされた俳優(山崎)が、葬式を完遂するまでを描く。人生最後の儀式のノウハウを示しつつ、小津安二郎作品など数々の映画的記憶をちりばめ、人間の心の裏側に迫ったヒューマン・コメディ。51歳の伊丹監督はこの監督デビュー作でキネマ旬報ベスト・ワンをはじめ多数の賞に輝いた。配収6.5億円。
『タンポポ』(1985年)
全米公開された食べ物映画の金字塔
監督・脚本:伊丹十三
出演:山﨑努、宮本信子、役所広司、渡辺謙、安岡力也、桜金造、池内万平
寂れたラーメン屋を立て直すべく、タンクローリーの運転手(山崎)が女主人(宮本)を特訓するラーメン・ウエスタン。食にまつわるさまざまなエピソードを並べ、フード・コーディネーターに石森いづみを起用。 米国でも公開され、『Shall we ダンス?』(1996年)に抜かれるまでは日本映画の全米興収第1位だった。配収6億円。
『マルサの女』(1987年)
マルサの流行語を生んだヒット作
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、山崎努、津川雅彦、大地康雄、桜金造、麻生華
『お葬式』のヒットで多額の納税を経験し、前々から興味のあった日本人と金というテーマに着手。ヒロインの板倉亮子(宮本)を中心に、脱税摘発専門の国税局査察部通称「マルサ」の日常を活写。 作品賞、主演女優&男優賞 (山﨑)、助演男優賞(津川)と日本アカデミー賞最優秀賞を席巻。マルサ、は流行語に! 配収2.5億円。
『マルサの女2』(1988年)
板倉亮子再び! 野心的な第2作
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、津川雅彦、丹波哲郎、益岡徹、桜金造、三國連太郎
査察部と悪徳脱税者との闘い再び。板倉亮子(宮本)が登場する続編。世はバブル期に突入、表の顔は宗教家、裏では多数のやくざを操り、宗教法人を隠れみのに脱税に手を染める地上げ屋の巨悪(三國)を追い込んでゆく。政治家、建設会社、銀行、暴力団らが複雑に絡み合うさまを照射、日本の暗部をえぐった野心作。配収3億円。
『あげまん』(1990年)
伊丹流の純愛ラブ・ストーリー
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、津川雅彦、大滝秀治、菅井きん、宝田明、島田正吾
公開時、流行語となった。あげまんとは、男の運気を上げる女性のこと。花柳界での隠語。芸者ナヨコ(宮本)と銀行員(津川)の関係を通し、日本並びに日本の男の性、を戯画的に批評した。ハリウッドで活躍する特殊メイクの第一人者である江川悦子が「マルサの女2」に続いて参加、以後常連スタッフに。配収10億円。
『ミンボーの女』(1992年)
映画以外にも話題になった衝撃作
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、宝田明、大地康雄、村田雄浩、大滝秀治、三宅裕司
ミンボー(=民事介入暴力)専門の女弁護士が名門ホテルを救う! 映画封切りの2カ月前に暴力団新法が施行。ところが公開1週間後、伊丹監督は暴力団員に襲撃され、顔を斬られて全治2カ月の重傷を負った。だが、主演の信子夫人とプロデューサーを通じて「暴力には屈しない」と宣言。伊丹映画最高の収55億円を記録した。
『大病人』(1993年)
死について真剣に考えた意欲作
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:三國連太郎、津川雅彦、宮本信子、木内みどり、高瀬春奈
がんに冒された俳優兼映画監督の最期の日々をつづり、三國が日本アカデミー賞優秀主演男優賞に。『マルサの女2』で組んだ白組を率いる島村達雄のVFXで臨死体験を映像化。自称右翼の男が劇場のスクリーンを切り裂く事件があったが、監督は「映画人の顔であるスクリーンを傷つけられて不快」と毅然と応じた。配収7億円。
『静かな生活』(1995年)
大江文学×伊丹映画の華麗なる融合
監督・出演:伊丹十三 原作:大江健三郎
出演:山崎努、渡部篤郎、佐伯日菜子、今井雅之、宮本信子
義弟であり親交のあったノーベル賞作家、大江健三郎の同名小説を映画化。主人公イーヨーのモデルは大江の子息の音楽家、大江光で、全編に彼の曲が使われ、日本アカデミー賞優秀音楽賞に。ヒロインに佐伯が抜擢され、障害を抱えた兄イーヨー役の渡部が日本アカデミー賞優秀主演男優賞、新人俳優賞をW受賞した。配収2億円。
『スーパーの女』(1996年)
食品偽造など時代を先取りした秀作
監督・出演:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、津川雅彦、松本明子、金田龍之介、矢野宣、六平直政
安売り店にリードされたスーパーマーケット経営者(津川)を、幼なじみの主婦(宮本)が助け、巻き返していく。スーパー、コメディ。時はバブル崩壊後、激安店が続出する世相を反映し、さらには食品偽装、業者や販売店のモラルハザードなども、そ上に載せ、時代を考察して一歩先んじる伊丹映画の面目躍如。配収1.5億円。
『マルタイの女』(1997年)
自身の経験から生まれた遺作
監督・脚本:伊丹十三 音楽:本多俊之
出演:宮本信子、西村雅彦、村田雄浩、高橋和也、津川雅彦、江守徹
殺人事件を目撃し、重要参考人となった女優(宮本)を守る2人の刑事(西村&村田)。「ミンボーの女」公開時に暴漢に襲われて以来、警察の身辺保護の対象者(マルタイ)となった経験を基にした作品。カルト教団の脅威を描き、言論の自由の危機に警鐘を鳴らした。企画協力として三谷幸喜がクレジットされている。配収5億円。
DVD&ビデオでーた2011年12月号掲載記事を改訂!
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