復刻インタビュー/監督・蜷川幸雄が語った『青の炎』のティーン・二宮和也と松浦亜弥

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Photo by Mourad Saadi on Unsplash
館理人
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ワールドワイドに活躍した舞台演出家・蜷川幸雄が撮ったアイドル映画があります。二宮和也&松浦亜弥主演の『青の炎』(2002年)。

ティーンエイジャーのふたりについて蜷川監督が語っている、映画公開時のインタビュー記事を復刻です!

記事には二宮さんの、蜷川演出についてのひとつの証言もありましたので、あわせて復刻掲載いたします。

蜷川幸雄 Profile

にながわ・ゆきお(1935年10月15日ー2016年5月12日)
埼玉県生まれ。1955年劇団「青俳」に入団し、1967年「現代人劇場」を創立。
1969年に「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。大劇場での演出を手がけるようになり、「夏の夜の夢」「ハムレット」「身毒丸」などで海外でも高い評価を得る。
映画は『海よ、お前が一帆船日本丸の青春』(1980年)、『魔性の夏』(1981年)、『青の炎』(2003年)、『嗤う伊右衛門』(2004年)、『蛇にピアス』(2008年)を監督。

『青の炎』情報

STORY
レース用の自転車で高校に通う秀一(二宮)は、母の友子(秋吉)、妹の遥香(鈴木)と3人暮らし。だが、その平和な家に突然戻ってきて住みついた母の元再婚相手、曾根(山本)の乱暴な言動に怒りを感じ、彼を殺そうと思い詰めてしまう。
DATA
2003年 原作:貴志祐介 監督・脚本:蜷川幸雄 音楽:東儀秀樹 出演:二宮和也、松浦亜弥、鈴木杏、竹中直人、山本寛斎、中村梅雀、秋吉久美子 116分

館理人
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二宮さん演じる少年の義父役は、なんとデザイナーの山本寛斎さん!これが映画初出演で、迫真の演技を見せています。

館理人
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ではインタビュー!お楽しみください。

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蜷川幸雄インタビュー

(取材・文 轟夕起夫)

演劇界の巨匠──世界のNINAGAWAが、2年ぶりに撮った2003年の映画。原作は、人気作家・貴志祐介の手による17歳の少年の完全犯罪というショッキングな題材。

が、蜷川監督は製作発表のときから「正統なるアイドル映画を撮りたい」と宣言していた。そのココロは?

蜷川 アイドルってね、何ゆえにアイドルかというと彼ら彼女らに熱い視線を送る観客、あるいは大衆の欲望、ってものが集約された存在なんだよね。だから、優れたアイドルを被写体に選べばそのまま時代性も映るはず、と僕は思っているわけ

そこで17歳の殺人者に抜擢されたのが「嵐」の二宮和也。その同級生で、重要なキャラクターを演じる松浦亜弥とともに、どちらもいままで見せたことのない表情を引き出されている。

蜷川 うん、今回監督として唯一誇れるのはそこだよね。いや謙遜ではなくて(笑)。「ふだん見せてはいない自分たちの深層の部分を出してもいいんだな」って、2人とそういう信頼関係を結ぶのが僕の仕事だった。たとえば感情を爆発させる長回しの場面があって、あれは二宮クンにはとても難しいシチュエーションだったと思う。でも彼は、必死に立ち向かうやせこけた野良犬のように、全精力を傾けてそれを演じた。その姿勢がイイんだ。際立った才能があるし、気持ちの強いコだってクランクイン初日にわかったから、細かいことは言わずに「もっと自由にやってごらん」って感じだったね。

あやや(松浦亜弥)の場合、こんな高い要求に応えてみせた。

蜷川 2人が水槽を挟んで見つめ合うシーンで僕は、松浦クンに「大丈夫だよ」って顔に加えて、そこで「1ミリ笑ってくれ」って要求したんだ。「モナリザのような1ミリの微笑」って抽象的な言い方をしたんだけど、「相手を微かに受容していくのに1ミリだけ笑うんだよ」って。それを彼女、やってのけるんだからね。優れたアイドルは本当にスゴイんだって再確認したよ。と同時に、そういう微細なディテールにこだわって撮れるのが演劇とは違う、映画のすばらしい点で、そのことが新鮮で、演出していて震えるぐらいうれしかった。

登場人物たちは皆、浮遊するクラゲのようにイマドキの低い体温を感じさせる。だが、実はこれは普遍的なせつない青春像を描いた映画でもあるのだ。ところで蜷川さん自身、17歳のころはどんな青年だったのだろう。

蜷川 落第生だったよ。進学校(開成高校)の落第生って最低なんだよ。すっかり屈折しちゃって、音楽室のレコードプレーヤーをブッ壊して、親が呼び出されたりしてさ。そんなくだらない反抗をして憂さを晴らしていた。

その後、演劇の世界に飛び込み、新たに劇団を創立。アンダーグラウンドの場で注目を浴び、やがて国際的な演出家へと上り詰めていく。

蜷川 仕事って、トーナメント戦を勝ち抜いていくようなもの。僕はアングラ育ちだから、自分たちでお金準備して、芝居をやってきたんだ。毎回わずかでも黒字にならないと生き残れない。そんなふうにトーナメントを勝ち抜いてきたんです。いま、こうして人のお金で仕事できるってすごく恵まれているよね。ま、演劇の世界では僕、準決勝ぐらいまでたどりついていると思うんだけども。でも映画ではまだ1回戦。いまは試験の結果を待っている生徒の気分ですよ(笑)。

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二宮和也の証言〜蜷川監督の演出について

手だけの演技で6時間もかかりました

二宮 水槽に秀一が寝そべり、そこから手が伸びてくる……映画の最初のシーンが、最初の撮影場面でもあったんですね。監督は手にこだわりがあって、「頭のいい手にしてくれ。5本の指が全部見えるように動かしてくれ」って言われたんだけど、難しかったですね。結局、その最初の手の撮影に6時間ぐらいかかりました。秀一の手は、ほかのシーンでも重要なものとして、印象的に出てくるので、すべて違う手の演技ができるよう僕もこだわりましたね。あの手は救いを求める手なんですよ。

轟

BSCSテレビジョン2003年4月号掲載記事を改訂!