こちらの映画レビューは、日活ロマンポルノのタイトルを紹介していく男性誌での連載コラム記事の復刻です。
その前にロマンポルノ解説を少々。
ロマンポルノは、R-18の映画で日活のレーベル。アダルトビデオとは別くくりの、年齢制限のある一般邦画として分類される映画です。
詳しくはこちらで紹介しています。
前置き以上!
あ、コンプライアンス意識皆無時代のコラムゆえ、所々のバカすぎる文面には要注意でお願いします。
ということで『八月はエロスの匂い』のご紹介! 藤田敏八監督作です。
藤田敏八監督の映画といえば、梶芽衣子主演の『修羅雪姫』、浅野温子主演、角川映画の『スローなブギにしてくれ』だとか、時任三郎主演『海燕ジョーの軌跡』などがあります。
データ
監督:藤田敏八
出演:川村真樹、片桐夕子、永井鷹男、むささび童子、粟津號、浜口竜哉、堺美紀子、清水国雄、中野由美、しまさより、夢村四郎、白井権八、舟山礼、江ノ島るび、ほか
時代のドキュメントを虚構の中に刻む監督・藤田敏八
(轟夕起夫)
「八月は藤田敏八の匂い」。
そう、日活の(というか大映との共同配給“ダイニチ”の)最期のプログラムを締め括った『八月の濡れた砂』の封切り日は1971年8月25日。
『八月の濡れた砂』の出演は村野武範、テレサ野田、広瀬昌助、ほか!
そしてそれから1年後、遅ればせながら日活ロマンポルノに初参入し、監督した『八月はエロスの匂い』の封切り日は1972年8月16日。
偶然だ。そんなものはすべて偶然に過ぎない。ならば「六月は藤田敏八の叫び」とも呼べるではないか! すなわち、その監督デビュー作『非行少年 陽の出の叫び』が封切られたのは1967年6月3日。
なんだかどーでもいい数字こじつけの話になってきています…
さらに翌年、彼が手がけた幻のドキュメンタリー『にっぽん零年』が30数年の時を経て、6月にレイトショーで甦っている。
『にっぽん零年』は2002年、渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開されました。
『にっぽん零年』に登場するのは、大学紛争に身を投じる全学連の活動家、新宿をさまようフーテン少女、厳しい訓練に耐える自衛隊員に、騒乱の世を徘徊する無数の若者たちである。
当初のタイトルは『日本の若者たち』。日活の若手監督4人、浦山桐郎、斉藤光正、河辺和夫、藤田敏八(当時は繋矢)を抜擢し、激動の1960年代末をまるごと捉えようとした野心的な企画だった。
浦山桐郎監督作に『キューポラのある街』『青春の門』『夢千代日記』などがあります。
斉藤光正監督はテレビドラマが多いですが、映画では千葉真一主演の『戦国自衛隊』、真田広之主演の『伊賀忍法帖』など。
だが、政治的に先鋭化してゆく時局を考慮したのか、上層部からは突然の製作中止命令。また監督4人も作品に対する意思統一ができず、浦山と斉藤が降板。
それでもプロデューサー(大塚和)と藤田、河辺は撮影を続行し、2人のバージョンのみを収め、ひそかに完成させ、それは藤田によって『日本零年』と名づけられたのだった。
長くないですか、『日本零年』の話…。
当時助監督を務めた小原宏裕によれば、日活の手で再び『日本の若者たち』と改名され、公開されるも封切り3日で打ち切られたという。
『八月はエロスの匂い』の話は?
以後、1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭にて、藤田敏八自らの手で再構成され『にっぽん零年』として日の目を見るまで長らく封印されたままだった。
まだですか。
この『にっぽん零年』で彼がこだわっていたのが、決して一元化しえない若者たちの姿。いや大人も子供も男も女もバラバラ。8月6日の広島で、それは頂点に達する。母親が被爆しているひとりの学生活動家の行動を通して──。
もうそろで!
さて。
やっと!
団結の季節がすっかり過ぎさった頃に発表された『八月はエロスの匂い』でヒロイン(川村真樹)は、ひたすら個であることを選ぶ。
セックスすればするほど、ひとりであることを彼女は確認してゆく。これもまた“ドキュメント”だ。1970年代初頭の。
その後も彼は、時代のドキュメントを虚構の中に刻みながら8月29日、享年65で死んだ。そう、やはり「八月は藤田敏八の匂い」なのだ。
終わり? …数字はどうでもよかったのに…
ビデオボーイ2002年6月号掲載記事を改訂!
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