鈴木清順監督の
まずはプロフィールを!
【プロフィール】
鈴木清順・すずきせいじゅん(1923年5月24日〜2017年2月2月13日)
東京都墨田区生まれ。1943年、青森の弘前高校在学中に学徒出陣。気象兵としてフィリピンなどを転戦する。復員後の48年、鎌倉アカデミア映画科に入学し、同年松竹大船撮影所の助監督試験に合格。
54年、日活が映画製作を再開すると同時に移籍して、2年後に『港の乾杯・勝利をわが手に』で監督デビュー(鈴木清太郎の本名を使用)。58年『暗黒街の美女』より“清順”に改名、以後『関東無宿』『刺青一代』『野獣の青春』『東京流れ者』などで、時空間が飛躍し色彩が乱舞する、いわゆる“清順美学”を発揮。
だが会社側に“わからない映画を撮る”という理由から、『殺しの烙印』を発表した68年に“鈴木清順解雇事件”が起こり、日活を去る。その結果、『悲愁物語』まで10年間のブランクを余儀なくされるが、『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』で本格復活。2005年の『オペレッタ狸御殿』が遺作となる。その熱狂的ファンは日本のみならず、ウォン・カーウァイ、ジム・ジャームッシュなど海外にも多数。
この蔵出しインタビュー記事は、浪漫三部作と呼ばれる『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』が特集上映された時のもので、この3作品を中心に、あれこれ伺った内容となっています。
ではどうぞ!
インタビュー
「一種の怪奇映画を撮っていたんだからさ」
ーー日本映画の80年代というのは、思えば、黒澤明監督の『影武者』と、清順さんの『ツィゴイネルワイゼン』 が並んで公開されて始まったんですよね。
「いやあ、それは偶然ですよ」
ーー『ツィゴイネルワイゼン』の企画が立ち上がった経緯というのは?
『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)は出演:原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、ほか。原作:内田百閒「サラサーテの盤」。内容は…
レコードから聴こえてきた奇怪な声から、生と死のドラマが展開。腐りかけが美味な水蜜桃のように映画が爛熟し、黄泉の世界へと誘う。
…です!
「あれはね、友達の家に行こうとブラブラ歩いていたら、たまたま向こうから車がやって来て、で、知り合いのプロデューサーの荒戸 (源次郎)さんが乗っていて、『鈴木さん、映画を作りませんか』って話になって」
ーーえっ、いきなりですか!
「藪から棒に誘われて。近所の喫茶店に入ってね、「5千万円あるから、その予算内でできる題材ならばすべてお任せします」って。それが始まりですよ」
ーー荒戸さんは清順映画の大ファンでしたからね。で、即答したと。
「あ、そうですか、ってもんでね。それで出したのがね、『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』の2つの企画。まずは、お金がかかんないほうを先にやったというわけだね」
『陽炎座』(1981年)は、出演:松田優作、大楠道代、加賀まりこほか。内容は…
新派の創作家が謎の女性と出会い、追いかけていくうちにいつしか現実界を踏み外していく。原作は泉鏡花の同名小説だが、まるで清順版あやかしの「不思議の国のアリス」なり。
ーー『ツィゴイネルワイゼン』は、当時可動式ドーム型劇場で公開されましたね。東京タワーの下に銀色のドームが建てられて。あれ、すごく画期的でした。
「最初っから普通の映画館ではかけない、というのは条件でね。ドームで公開するからそれは了承してくれ、と。こっちはどこでもかまわないからさ (笑)」
ーーベルリン国際映画祭で特別賞を獲得し、国内でもあらゆる賞を独占する勢い。『ツィゴイネルワイゼン』は大ヒットしましたが、主演の原田芳雄さんとの出会いは?
「よくわかんないんだよね、原田さんは『ツィゴイネルワイゼン』の前の、『悲愁物語』(1977年)って映画からなんだけど、あれ、なんで原田さん出たんだろ」
ーーいや、僕にはわかんないです(笑)。
「ハハハハ。わかんないよねえ」
ーーでも原田さんは紛れもなく、80年代以降の清順映画の“顔”ですよね。
「うん、なっちゃったね」
俳優・原田芳雄についての記事で、鈴木清順監督との仕事にも触れています。
ーー清順さんについてですね、原田さん、「ナイフを渡すときに柄ではなく、刃先から渡すような人だ」って、ある雑誌でたとえていらっしゃるんですが。
「そんなことしませんよ。ナプキンに刃先を包んで渡すような性格ですよ。そうですか。人の知らないところで言いたいこと言ってるなあ(笑)」
ーーそれは清順さんっていうか、清順映画についてたとえていると思うんですよね。不意にワア〜っと驚かされる。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』も、ふと人物が止まったり、画は静止しているのになぜか異様で、ドッキリとさせられます。
『夢二』(1991年)は出演:沢田研二、毬谷友子、坂東玉三郎、ほか。内容は…
竹久夢二が金沢に逗留した際のエピソードをモチーフに、彼を取り巻く人々の愛憎模様をスクリーンに塗りたくる、色とりどりの女性と映像のスペクタクル。
「やっぱり日活時代のアクション映画とは違いますからねえ。一種の怪奇映画を撮っていたんだからさ」
「計算通りにできるほどつまんないものはないんだよ」
ーーその極致である『陽炎座』では初めて松田優作さんと組まれましたね。優作さんの印象というのは?
「うーん、どんな俳優さんかって訊かれれば、松田優作らしい俳優っていう以外にないよね。それぞれの個性があるんだから。原田芳雄さんなら原田芳雄らしい役者っていうふうにね」
俳優・松田優作に関しては、こちらに記事があります。
ーー禅問答みたいですね。禅問答といえば『陽炎座』の撮影では、冒頭のシーンで地面にひとつの円を描いて、優作さんに、この円の中で走るように演じてみなさい、と演出したそうですね。「1歩も足を踏み出さないように」って。
「ああ、言いましたね」
ーーそれはまたどういう意図で?
「アクションの人だったからね、彼のそのアクションを封じてみようかと。村川透監督と組んでやっていた『遊戯』シリーズを何本か観ていたんですよ」
ーー止まったまま走らせようとした?
「ま、そうですね(笑)」
ーーあと、セックスシーンでも「足の長いやつのセックスをやってみろ」と。
「あれは背中合わせでね。男と女の背中合わせのセックスを撮りたかったのかな」
ーー優作さんはのちに、「どこ行ってたかわかんないけど、ちょっと旅をしてきたって感じだね」と『陽炎座』の撮影のことを述懐しています。もうひとつ有名な話ですが、髭と髷をつけたまま女装をされた中村嘉葎雄さんは、ホテルの部屋の壁に当たりまくっていたとか。
「幸いなことにホテルが別だったから助かったね(笑)。それは耳に入りましたよ。でもストレスの発散だからね。いいんじゃないのと思って。俳優さんはストレス溜まるからね」
ーー監督はどうなんですか?
「監督はあんまり溜まんないんじゃないの。ほら、「ヨーイ、ハイ」なんてデカい声あげてるから」
ーーそ、そういう問題ですか(笑)。
「日活時代なんかね、スターシステムだから、そうするとスターは相手が受けてくれるだろうと勝手に芝居をやるわけだよ。でも相手は自分が思ってるように動かない。で、ストレス溜まるんだよな」
ーーでも清順さんの映画って、インタビュー記事なんか読むと、俳優さんもスタッフも 「撮影中自分が何をやってるかわからない」ってコメント多いですよね。
「撮ってる方もさ、わかんねえんだからいいじゃない(笑)。何ができるか。それが面白いんだよね。だいたいほら、計算通りにできるほどつまんないものはないんだよ。だからそこで俳優さんのアドリブってのもね、やってもらわないとね」
ーー昔からですか、その考えは?
「日活時代からそうですよ」
ーーなるほど。『関東無宿』(1963年)のときに小林旭さんが勝手に眉を太く描いてきても、『夢二』で原田さんが髪の毛を金髪にしても何も言わなかったのは……。
「……そういうことですよ。俳優さんが気持ちよく、好きに芝居をやってくれればいいんですから(笑)」
「毎回、映画のようなものを撮っているわけですね」
ーー『陽炎座』に登場する楠田枝里子さんも金髪で、目の色まで変えてましたね。
「あれはちょっとこだわったかな。あれは外国人って設定でもあるし」
ーー女性に対してはこだわる(笑)。『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』は女性の映画ですよね。女優さんがみんな妖しくて、美しい!
「そうだね。女性映画だよね。なんていうのか、男は化けることはできないけれど、女は化けられるからね」
ーーあ、幽霊女に男が翻弄される映画。
「そうそう」
ーーそういえば、『陽炎座』の優作さん、『夢二』の沢田さんも劇中、あっけにとられた顔ばっかりしてますよね。
「わかりやすい映画だ (笑)」
ーー男は化けないんですか?
「男が化けたら、滑稽になるんじゃないの。それじゃあ落語だよ」
ーーダメですか?
「男じゃあ、怨念なんてカッコつかないよ。怨念ってのは、女特有のもんじゃないかね。悪いことは男のほうがしてんだから、死んだときくらい、ちゃんと成仏したほうがいいよ。ま、女から悪さを仕掛けてくれば別だけどね」
ーー最近はそうなってきましたね。
「われわれの時代はそうじゃなかったもの。今だとまた違うだろうね。男のほうが化けるかもわかんないね」
ーー化けて出たい男も多いと思いますよ。
「そんな度量の、肝っ玉のちっちゃい男じゃ、どうしようもないよ(笑)」
ーーすみません(笑)。それにして5千万円の範囲で作った『ツィゴイネルワイゼン』もそうですが、清順さんの映画ってきらびやかですよね。
「自分たちが貧乏なのに、なにも映画まで貧乏に撮ることはないじゃない(笑)」
ーーでも日本映画って、ついついそれが出ちゃうじゃないですか。
「そうそう。ヤだねえ」
ーー日活時代から絢爛としてましたよね。
「わりにね。予算の少ない組にしては豪華にやってましたよね。やっぱり映画ってえのは、華々しくなきゃいけないってのが根本にあんだよね」
ーー生粋の江戸っ子ですし。みみっちいものはイヤだと。
「言ってみればね」
ーーそのぶんスタッフは大変でしょう。
「んなことないよ」
ーーいやいや、『夢二』のときも、「電車のようなもので電車じゃないもの作ってくれ」って頼んだとか。
「だいたい監督なんてね、ハッキリものを言っちゃあ損なんだよ。曖昧にしといたほうがいい。そんなこと書いちゃダメですよ(笑)。つまりさ、ハッキリ言っちゃうとイメージが限定されちゃうからね。現場でいろいろ変わっていくものだし。こんなような、って伝えて、出てくるものを待つ。全部“のようなもの”ですよ。まあ、だから毎回、映画のようなものを撮っているわけですね」
ーーえっ? 清順さんが!? じゃあ、僕らは映画のようなものに対している「観客のようなもの」ってわけですか?
「そういうことですよ。アハハハ。本当はね、映画なんて、酒でも飲みながら観たほうがいいんだよね。昔の歌舞伎なんかと同じですよ。この頃はいろいろと禁止されちゃってるね。どういうわけかな」
ーー『ツィゴイネルワイゼン』には桜も映りますしね。花見酒。あれ、公開中にシーンを差し替えたんですよね。
「桜だけ撮りにいってね。公開中、こっそり入れ替えたんだ (笑)」
ーー持論として、「映画は旬のものだから、公開されたあとは消えてしまったほうがいい」って、かねがねおっしゃっていますよね。それはいまも?
「うん。変わらないね」
ーーでも清順映画は、一度観たら決して忘れられません。消しようがありません。もしかして、そういうカルマ(=業)のようなものを念写しているのでは?
「いやいや。そんな野望はひとつもありませんよ(笑)」
(取材・文:轟夕起夫)
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