今、50作目公開の寅さんでアツい松竹映画ですが、動画配信サイトで観られる過去の歌謡映画にオモシロ名作ありです!
日活ロマンポルノは、シバリをクリアすれば他はわりと作家の意向が通ったため、結果多くの名作が出来上がっていったわけですが、そんな活気が松竹の歌謡映画にはありました。
では轟の掘り出し原稿にて、見どころをチェック!
レトロ名曲がぞろぞろ!
主題歌「旅の夜風」が大ヒットした『愛染かつら』(1938年)、歌う大スター・李香蘭主演の『蘇州の夜』(1940年)、「りんごの唄」とともに戦後の解放感を綴った『そよかぜ』(1945年)、美空ひばりが天才少女歌手ぶりを存分に発揮した『悲しき口笛』(1949年)、『東京キッド』(1950年)などなど――松竹のお家芸のひとつに、古くから〈歌謡映画〉という王道ジャンルが存在している。
ほう
アイドル映画の一面も
アイドル的スターと最新風俗、ヒット曲とを巧みに織り込んで、1本の映画に仕立てあげる手練手管。山田洋次監督の『下町の太陽』(1963年)も、もとはといえば主演・倍賞千恵子の同名ヒット曲に便乗した企画だった。
GSブームを牽引
そんな魔法のジャンルである〈歌謡映画〉は、“リズム歌謡”の王者・橋幸夫の『あの娘と僕 スイム・スイム・スイム』(1966年)、『恋と涙と太陽』(1966年)、そして『恋のメキシカンロック 恋と夢の冒険』(1967年)を起爆剤として、1968年、一挙に〈GS映画〉となって爆発した。
といっても映画のスタイルは様々で、『ケメ子の唄』(1968年)ではザ・ダーツと競作したザ・ジャイアンツのヒット曲をアイドル・小山ルミがゴーゴーを踊りまくり。
“中原弓彦”名義で小林信彦が脚本参加した前田陽一監督の『進め!ジャガーズ・敵前上陸』(1968年)ではビートルズの『HELP!』(1965年)を下敷きに、なんとゴダールの『気狂いピエロ』(1965年)のパロディまで盛り込んで、ナンセンスの極北をめざした(番外編として、大島渚監督がザ・フォーク・クルセイダーズと組んで、『帰って来たヨッパライ』(1968年)で先鋭な国家論を展開したのもこの年だ!)。
さて松竹の〈GS映画〉といえば、斎藤耕一監督とヴィレッジ・シンガーズとのコンビ作である。
ザ・スパイダースもゲスト出演、「あの時君は若かった」のシーンがカッコいい『思い出の指輪』(1968年)に始まり、続いて『虹の中のレモン』(1968年)、GSムード歌謡の猛者パープル・シャドウズをフィーチャーした『小さなスナック』(1968年)では当時の若者たちのアンニュイ気分を先取りし、翌年、再びヴィレッジ・シンガーズの同名バラードに乗せた『落葉とくちづけ』(1969年)は、さながらGSメルヘン版『去年マリエンバートで』(1960年)とでもいうべき傑作となった。
そして、全作ヒロインを飾った尾崎奈々! その男性本能をくすぐるどこか妖精のような魅力は、松竹映画史の片隅でひっそりと、しかし永遠に輝くことだろう。
見どころは作家的野心
橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の元祖御三家映画『東京←→パリ青春の条件』(1970年)以後、アイドル映画に移行していった〈歌謡映画〉。
思えば日活ロマンポルノがセックスシーンと引換えに、テーマの自由性を手に入れたように、松竹の〈歌謡映画〉もまた、お決まりの演奏シーンの合間に作家的野心をもぐりこませることのできた、可能性のジャンルであったのだった。
ちなみに松竹映画は映画製作120年以上の老舗。『カルメン故郷に帰る』(1951年)で日本初のカラー作品に挑み、『はたちの青春』(1946年)では日本初のキスシーンを登場させ、ご存知寅さんシリーズはギネス記録の50作!
キネマ旬報1995年10月下旬号に寄稿した記事を改訂しました。