轟夕起夫が祈りを込めて見つめるイラン映画『これは映画ではない』
(2012年8月号より)
不屈の闘志——と記してはみたものの、書くのは易し。当人の、苛烈な“今”を思うと、もどかしさが募るばかりである。
かような境遇に陥っているイランの映画監督がいる。名は「ジャファール・パナヒ」と言い、彼は不正な操作があったとされる09年の大統領選で、対立候補を支持した結果、反体制の罪で「20年間の映画製作禁止」のみならず、出国もマスコミとの接触も禁止され、6年間の懲役刑まで申し渡される始末。現在は保釈金を払い、自宅軟禁中の身だ。
そんな中で撮ってしまったのがこの『これは映画ではない』。家族は親戚のもとへ出かけており、ひとり、部屋で自画撮りを始めるパナヒ。やがて友人のドキュメンタリー監督(モジタバ・ミルタマスブ)が到着し、カメラを担当してもらい、「禁止条約にはないから」と、当局の許可をもらえなかったシナリオを読みながら自演するも、「読んで済むなら、映画を撮る意味なんてないぜ!」と煮詰まり、怒りだす姿をさらけだす。そして、過去の自作をDVDで流しつつ「映画の本質」を語り、さらにはiPhoneを手に、ミルタマスブに向けて互いに撮りあってもみる。外は恒例行事なのか、“火祭り”が始まっていて騒がしい。
パナヒの、しぶとく抗戦してゆく姿勢は、彼の傑作『オフサイド・ガールズ』(06)を思い起こさせるだろう。イランでは、女性はスタジアム内での観戦が許されていない。『オフサイド・ガールズ』で描かれているのは、サッカーW杯出場をかけた、イラン対バーレン戦をスタジアムで観ようとする女の子たちの奮闘ぶり。今や、体制下にてオフサイドラインぎりぎりのポジションに立ち、ゴール(=自分の目標)を達成せんとカラダを投げ打っている彼は、あの女の子たちと同じだ!
サッカーにおいて、オフサイドという反則は、相手ゴール前での非紳士的行為、つまり「待ち伏せを禁ずる」意味合いがあるが、実はオフサイドのポジションにいること自体は、反則とはならない。そのポジションにいて、なおかつボールに触れたりプレーに関与することで初めてオフサイドとなる。そして御存知のとおり、実際のところ“ゴール”を奪うためにオフサイドぎりぎりのところで勝負する者は、称賛こそされ、非紳士的などと呼ばれることは決してない。
ジャファール・パナヒもそうである。『これは映画ではない』の終盤、マンションの「管理人の義理の兄」なる青年が家を訪ねてくる。ゴミの回収に来たのだという。むろん、外に出てはいけない。パナヒは、青年にカメラを向けながら一緒にエレベーターに乗り込み、話をする。1階ごとに扉が開き、青年はゴミを回収して回る。やがて地下へ。青年を追ってエレベーターを降りるパナヒ。グっと緊張が走る。これは“映画”ではない。なぜなら彼は映画を撮ってはいけないのだから。しかし、これは映画だ。文句なしに映画だ! オフサイドトラップ、いや、敵が勝手に作ったルールに心折れず、それをかい潜って“ゴール”を挙げた男。本作が、最後の映画にならないことを祈るばかりだ。
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映画監督が、ある映像をUSBに入れて密輸した数々の映画祭や映画ベストテンで絶賛され、映画レビューサイトロッテントマトで驚きの高評価100パーセントを記録したユニークな傑作である。
[ケトル掲載]
●監督:ジャファール・パナピ、モジタバ・ミルタマスブ●2011年●イラン
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