日本のエンタメ史に外せない俳優のひとり、原田芳雄さん。轟の追悼記事を復刻です。
少年・原田芳雄。歌が好きで、美空ひばりとジョニー・マティスに心奪われ、落語にもゾッコン!
初めてナマの原田芳雄を間近で見たのは、今はなき名画座、大井武蔵野館でのトークショーだった。あれは1990年代の初頭か。閏年生まれのこの名優を祝う「誕生日特集」が開催されていたのだ。
トークショーのあとは、近くの居酒屋で多くのファンに混ざって酒を酌み交わす姿があった。無頼派アウトローのイメージなどかなぐり捨て、来る者を拒まずに語りあう。「この人、本当に人間が好きなんだなぁ」と思ったものだ。
1940年2月29日生まれ(戸籍上では28日になっていた)。東京の下町、台東区下谷あたりが生家だった。
エッセイ集『B級パラダイス 俺の昨日を少しだけ』(ベストセラーズ)によれば、歌が好きで、美空ひばりとジョニー・マティスに心奪われ、落語にもゾッコン、5代目古今亭志ん生を“心の師”としていた。
ジョニー・マティスはアメリカのポップシンガー。
一度、迫り来る戦争の影から逃れるため、2、3歳のときに縁故疎開し、栃木の足利へ移っている。小学校4年生ぐらいまで過ごしたという。そこには代々伝わる土着芸があり、お盆のときには寺の境内に舞台が組まれ、青年部の村芝居をずーっと観ていた。
そういう体験が自分の「芸」の一番大もとになっているからこそ、晩年、長野県大鹿村で300年余の伝統を誇る“村歌舞伎”を、遺作となった映画『大鹿村騒動記』(2011年)で彼は蘇らせたのだった。
『大鹿村騒動記』は原田芳雄主演、阪本順治監督作。
むろん、東京に戻ってきても、芸能の血は騒いでいた。中学2年のときには文化放送の「素人ジャズのど自慢」に出場し、バート・ランカスター主演の『バラの刺青』(1955年)の主題歌「ローズ・タトウ」を唄った(ただし、鳴った鐘はひとつ)。
エルヴィス・プレスリーの登場にショックを受け、歌手になることは諦め、高校に入ると山岳に熱中。
「自分を忘我にさせる」演劇の世界へ
が、高校2年のとき、演劇をやっていた中学校時代の友人が家に台本を忘れて帰り、その戯曲を眺めているうちに興味を持ち、アマチュア演劇のサークルに連れて行かれ、エチュードを体験、それが「自分を忘我にさせる」面白い世界を見つけた瞬間だった。
しかし現実は厳しい。就職し、慣れないサラリーマン生活は失敗に終わり、定職をもたずにグダグダな日々。時に仕出しのバイト、エキストラを見つけた。たとえば寺山修司脚本、田中邦衛が主演のTVドラマ『Q—ある奇妙な診断書—』(1960年)。そのデモ隊役の中に、若さを持て余していた時代の原田芳雄を見つけることができるかもしれない。
1963年、転機が訪れる。俳優座養成所に入所。だが入ったのは14期で、落第して卒業は15期になった。
1966年、卒業と共に俳優座に入団。時代は動いていた。唐十郎の状況劇場、寺山修司の天井桟敷、鈴木忠志の早稲田小劇場などが台頭。
圧倒的な影響を受けたのは1968年、清水邦夫の戯曲『狂人なおもて往生をとぐ』に出演したときだった。稽古に入ったら本当に発狂するかもしれぬ……と役にのめり込んだ。
活動の場は広がり、TV、映画へ
1968年、TV時代劇『十一番目の志士』の土方歳三役で注目され、次いで『復讐の歌が聞える』の主演で映画デビュー。
1970年には『あなた自身のためのレッスン』で清水邦夫の劇の住人へと戻るも、原田芳雄は焦っていた。「旧態依然のレパートリー、翻訳劇を排し、若手作家の戯曲を上演すべし」と中村敦夫らと共闘し、劇団内部の造反派になっていた。
1970年、映画『反逆のメロディ』に主演。これはTVドラマ『五番目の刑事』(1969年)でジープをかっ飛ばす原田の刑事役にグッときた梶芽衣子が、澤田幸弘監督に推薦したのだという。
続いて、『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年)では生涯の友となる藤田敏八監督との出会いも。反権力的でワイルドな遊戯精神を体現した原田芳雄は、日活ニューアクションの一翼を担うスターとなった。
かたや、俳優座での活動は1971年、中村敦夫と共闘した『はんらん狂騒曲』の自主公演で幕を閉じた。俳優座を辞め、自分の軸となるものを模索した。
当時の付き人で、原田を“育ての親”と呼ぶ阿藤海の『この熱き人たち』(文芸社)によれば、「街頭芝居を始め、足立区梅田のお祭りだったり、高円寺の駐車場だったり、団地の公園だったり、一応許可を取ってやるが、時にはゲリラ的だったりもした」そう。
やはり彼には常に、原初的な芸能の血がたぎっていたのだ。
以降、活動の中心は映画やTVドラマへと移っていく。
ひとつ付言しておけば、原田芳雄にとって芸能とは大鹿歌舞伎がそうだったように、人間が厳しい土地、いや、人生そのものを生き延びてゆくために必要な「遊びの根源」である、との認識があった。
日常と非日常とが渾然一体になったときに生まれる“雑のパワー”が大好きだった。台本もひとつの手がかりで、現場で瞬発的に起きることこそが重要——そのあたり、先達の勝新太郎と似ているかもしれない。
実際、勝新並びに勝プロとの交流は深く刻まれており、そこに盟友・黒木和雄監督も加わって、『夫婦旅日記 さらば浪人』第14話「弱虫侍と豪傑の決闘」(1976年)、『新・座頭市』第1シリーズ 第23話「幽霊が市を招いた」(1977年)、第3シリーズ第11話「人情まわり舞台」(1979年)、『警視-K』第5話「まぼろしのニューヨーク」(1980年)などのTVドラマが生み出されていった。
そして映画では『浪人街』(1990年)も!
『浪人街』は主演です。
勝新も志ん生を愛したが、原田芳雄の理想は、美空ひばり+古今亭志ん生の「芸」だったに違いない(彼のエモーショナルで当意即妙なブルース歌唱も、これで説明することができる)。
年輪を重ね、まろみを帯び、志ん生の域へとどんどん近づいていた。
次は、そんな中から特筆すべき、鈴木清順監督とのコラボに注目!
監督・鈴木清順×役者・原田芳雄のマジック
鈴木清順監督のアナーキーさは、役者・原田芳雄の“遊戯精神”を倍加させた。裏を返せば、原田芳雄のパンキッシュな姿勢が、清順映画の“自由度”を増したと言うこともできるだろう。
ちなみに関連記事、鈴木清順監督のインタビューはこちらです。
ニ人のあいだを結んだキーマンは、大和屋竺だ。
この清順一派の筆頭と親交のあった原田は1970年代中盤、大和屋が当初日活で「清順監督、小林旭主演」を想定、“具流八郎”名義で書いて頓挫したオリジナルシナリオ『ゴースト・タウンの赤い獅子』の企画を復活させようとしたのだった。
つまり『殺しの烙印』(1967年)以後、不遇をかこっていた清順をバックアップせんと自ら資金を集め、実現させるために映画会社に持ち込んだりもしていた。
そんな矢先に大和屋脚本で10年ぶりの新作『悲愁物語』 (1977年)が決定。原田はこれに呼ばれ、ゴルフ雑誌の編集長、新人女子プロゴルファーであるヒロインの恋人(というかヒモ)役で怪演を見せた。
後年、筆者が原田さんにお会いしたとき、本作の話題を出してみたら、以前ビデオ化されていたことを知らず、「もう一度観たいなあ」と呟き、「あれ、撮影現場ではまったく意味がわからないままやってたんですよ……まあ、清順さんの作品はいつもそうだったけど」と笑っていた。
続いて、「日曜恐怖シリーズ」の中の一篇『穴の牙』(1979年)に特別出演。原田は指名手配中の男で、藤田まこと扮する警部補に撃たれ、トンデモない死にざまの後、 “お化け”となって物語を掻き乱す。
土屋隆夫原作、大和屋竺脚本のTVドラマだが、このあと発表される『ツィゴイネルワイゼン』 (1980年)を予告するような内容で興味深い。
『ツィゴイネルワイゼン』では、陸軍士官学校ドイツ語教授の主人公(藤田敏八)の元同僚にして親友・中砂として登場。生きているのか死んでいるのか判然としない、幽霊体が圧倒的!
劇中、無理やり“おまかせ”されたシーンが多々あり(特に歌を入れる場面)、面食らいながらも原田はそれに応えた。
公開後は、清順と大楠道代と共に洋行の旅に出て、ベルリン国際映画祭審査員特別賞受賞の栄光も得た。
『陽炎座』(1981年)では松田優作と2度目の共演を果たし、『竜馬暗殺』(1974年)と並ぶセッションを残した。
いわゆる大正浪漫三部作の末尾を飾り、最後の共闘映画となった『夢ニ』(1991年)では自主的に白髪にして現場へGO。
なお1982年に放映されたキリンライトビールのCMは、清順監督の演出によるもの。松田優作、宇崎竜童という盟友たちと出演し、バックの歌も担当したあのCM は、とてつもない多幸感に溢れている。
“何度目かの旬”から遺作へ
『大鹿村騒動記』の公開前、阪本順治監督と出演者のひとり、岸部一徳氏の対話をまとめた際、一徳氏はこう言っていた。
「芳雄さんにも直接伝えたんですけど、現在は何度目かの“芳雄さんの旬の時期”だと僕は思う。今の原田芳雄が一番、輝いている感じがする」
きっと病気のことは知っていただろう。そう考えると何とも切ない発言だが、しかし本当に何度目かの“旬の時期”を迎えていたと思う。
阪本監督だけでなく、『歩いても歩いても』(2008年)、『奇跡』(2011年)と続いていた是枝裕和監督とのこれからの関係性も楽しみであった。
対談本『諸士乱想』(KKベストセラーズ)に、作家の船戸与一はこう記している。
原田芳雄の「遊び」とは「自由を求めてどれだけあがけたか?」という問いと同質のものかも知れない、と。この言葉を、原田芳雄という不世出の存在と共に、肝に銘じておきたい。
映画秘宝2011年10月号掲載記事を改訂!
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