読む映画リバイバル『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』

轟夕起夫が触れたヌーヴェル・ヴァーグという映画史

(2011年6月号より)

 共に59年に長編デビュー作を放ち、ラストシーンで、主要登場人物に“カメラ目線”をさせたふたりの映画監督がいる。『大人は判ってくれない』のフランソワ・トリュフォーと、『勝手にしやがれ』のジャン=リュック・ゴダールだ。

 観客に向けられた、挑発的だが只ならぬ思いを訴えかけてくる視線——この“眼差し”が、同時代的になぜ生まれたのかを知りたい方、はたまた、今までトリュフォーやゴダールの作品には何ら関心のなかった方々——すなわち、一大クロニクル『ふたりのヌーヴェルヴァーグ  ゴダールとトリュフォー』とは、そんな人たちこそが観るべき、よく出来た“映画史”入門篇のドキュメンタリーなのであった。

 フランスだけでなく、戦後の世界の映画の潮流を一変させてしまったトリュフォーとゴダール。そもそもは、シネフィル(映画狂)のための月刊誌カイエ・デュ・シネマの批評家として頭角をあらわし、やがて撮影所での助監督の経験なしにディレクターの座に。他のカイエ誌の同人たち、クロード・シャブロルを筆頭にジャック・リヴェット、エリック・ロメールらもこの道程を踏み、若き彼らはヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の旗手と呼ばれたのだが、本作はタイトルどおりにゴダールとトリュフォーの関係をメインに、ヌーヴェル・ヴァーグの豊かな歴史を紐解いていく。

 おのずとそこから浮かび上がってくるのは、“第3の男”の存在である。『大人は判ってくれない』で子役としてトリュフォーに見いだされたジャン=ピエール・レオー。トリュフォーの分身キャラ(アントワーヌ・ドワネル)を演じ、年令的成長に応じて“ドワネルもの”はシリーズを重ねていった。また、ゴダールの映画にも俳優、スタッフとして参加、数々の傑作を残し、レオーは両者をつなぐキーマンであった。その三位一体の映画的な連帯感が、無惨にも瓦解していくあたりも本作はしかと記録しており、友情の終わりの哀しさを、時を超えてここに生々しく喚起させる。

 ターニングポイントは68年だった。自分たちを育んだシネマテークの名物館長の不当解雇に反対、ゴダールとトリュフォーを中心とした共同戦線の延長線上に“五月革命”が登場し、映画人は学生や労働者と共にデモに加わって蜂起していった。そしてカンヌ国際映画祭の粉砕へ。しかし、この流れの果てに、ゴダールとトリュフォーは永遠に決別することになるのであった。

 そうした歴史を本作は、レアなアーカイブ映像をふんだんに盛り込んで見せてゆくのが素晴らしい(『大人は判ってくれない』のオーディションに挑み、カメラ・テストを受けた14歳になったばかりのレオー少年の姿!)。字幕の監修を担当しているのはあの山田宏一氏だ。64年の末から67年半ばまでパリに在住、カイエ誌の同人でトリュフォーやレオーらとも交流した貴重な証人。老婆心ながら、氏の回想録『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』は、本作の面白さを“倍化”してくれる必読の名著である、と言っておこう。

[ケトル掲載]
●監督:マニュエル・ローラン●出演:イジルド・ル・ベスコ、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、他●2010年●フランス