読む映画リバイバル『岸和田少年愚連隊』

(1996年5月下旬号より)

映画館の、決して多くはない観客(なぜなのだ!)であった女子高生たちは、幕が降りると「面白かったねェー。よく分かんなかったケド」とのたまった。

上等じゃねえか――。

心の中でそう吐き捨てた僕は、“女子高生風情に簡単に分かられてたまるかよッ”という尊大な気分と、“いや、数年たったらこの面白さがもっと分かるんだけどなァ”という敬虔(?)な気持ちが相埃う中、0.5秒後には“じゃあ、お前さんはどうなんだよ?”と思わず自問して絶句してしまった。いつまでも心地好い興奮に身を委ねながら。

これは、血中濃度が上昇してやまぬ圧倒的な「男の映画」だ。

岸和田という大阪のディープサウスを舞台に、ひたすら喧嘩にあけくれる少年たち。暴力はここでは日常会話と同じ意味をなしている。好きも嫌いも“感情”はたいてい、暴力に変換されてあらわれる。親愛の暴力があり、憎悪の暴力もある。口をついて出る、恐ろしく下世話で威勢のいい大阪弁だって、そのバリエーションにすぎない。男たちは、暴力という言葉を使って、手を出す足を出す頭を出すバットをふりあげる鉄板でしばき倒す! 日本内“外国”=岸和田の男たちは「遊びをせんとや生まれけん」というあの哲学を、暴力=言語でもって日々実践しているのだ。

しかし一方でこれは、“野生の王国”の住人たちを飼いならす圧倒的な「女の映画」でもある。

これぞ浪速のオカン秋野暢子、まさにお好み焼き屋のオバハン正司花江、愛しき“タレ”八木小織、高橋美香、そして気丈なヒロイン大河内奈々子。存在の不可思議に苛立ち、暴力=言葉を交わしあってそれを確認する男たちを前に、あたかも動物の生態を眺めるかのごとく対峙し、ひたすら生きていくことの論理をつきつめていく女たち。徒に情にふりまわされぬハードボイルドな彼女たちは、スコセッシ監督の「カジノ」でシャロン・ストーンが演じた“自堕落な女”なんかよりも、ずっとハードだ。

それにしても初主演のナインティナイン矢部浩之&岡村隆史の素晴らしかったこと。全身で「オトシマエはまだついてねえぜ!」と叫んでいる。エンディングから再び始まる映画とまた出会ってしまった。

[キネマ旬報掲載]
●監督:井筒和幸●ナインティナイン、大河内奈々子、他●1996年●日本