永遠の愛されキャラ、エースのジョーって?
これを語るには、この記事が最適!ということで、宍戸錠さんへのインタビュー記事を蔵出しです。
まずはざっとプロフィール!
プロフィール
【宍戸錠】ししど・じょう/1933年12月6日〜2020年1月18日、大阪生まれ。日本大学芸術学部演劇学科在学中に、日活の第一期ニューフェイスに合格。小林旭主演の『渡り鳥』『流れ者』シリーズや赤木圭一郎主演の『拳銃無頼帖』シリーズでライバル役を務め、宣伝部の考案で「エースのジョー」という愛称で人気を博す。現在は映画はもちろん、テレビのバラエティ番組にも出演し、マルチな才能を発揮した。
以下、2002年のインタビュー記事となります。
日活映画のクリーンナップ
「僕は御三方全員と共演しましたけど、裕ちゃん(石原裕次郎)はやっぱり不動の4番バッターでしたね。で、3番と5番に控えていたのがアキラ(小林旭)とトニー(赤木圭一郎)の二人なんじゃないか。裕ちゃんが都会派だとすれば、アキラは地方派。トニーはまた全然違うタイプのスターで、3人の中で最も美形だったのは彼じゃないかな。
俳優・石原裕次郎がどんなスーパースターだったかについては、こちらに関連記事があります。
トニーは1958年、第4期のニューフェイス。アキラが第3期で、裕ちゃんはアキラより1カ月ほど前に日活に入って、先に脚光を浴びた。ただし、結果的に考えれば、日活が1971年、ロマンポルノ体制になるまで最も活躍したバッターは誰かといえば、アキラになるんだよね。彼のヒットシリーズの多さはスゴイよ。トニーは1961年に事故死するまで、あっという間の俳優生活でしたね……」
日活ロマンポルノについての説明は、こちらに記事があります!
ご存じの通り、『渡り鳥』『流れ者』シリーズなどで小林旭の、『拳銃無頼帖』シリーズでは赤木圭一郎の好敵手を演じていた宍戸さん。では彼自身は日活の何番バッターになるのだろうか。
「僕はなんといっても“エースのジョー”ですから。バッターではなくて、ピッチャーですよ(笑)。といっても毎回登板する便利屋的な中継ぎ。一番組んだのはアキラで、裕ちゃんとの映画では案外フツーの悪役ばっかりだったな。アキラとトニーとのカラミで“殺し屋ジョー”ってキャラが生まれたんだ。これはエースのジョーより前のこと。殺し屋ジョーがいたからこそ、アキラとトニーも存分にヒーローやれたんだろうし、コチラも目立てて、オイシー場面が毎回あったんでありがたかったですね」
不遇時代、B級西部劇とギャング映画を浴びるほど観て、そこで悪を魅せきるティモシー・ケリー、リー・マーヴィン、ヘンリー・シルヴァなど、素晴らしい個性派アクターたちのプロの仕事に心酔した。
殺し屋は、宍戸さんの創案によって日本映画の中に移入されたといっても過言ではない。
「本当は殺し屋って、ずっと昔からあったわけですよね。刺客とか暗殺者とかって名で。アーネスト・ヘミングウェイ原作の「ザ・キラーズ」がバート・ランカスターで映画になり、『殺人者』の邦題で公開されたんだけど、アレなんで、『殺し屋』って付けなかったんだろうと思った。
すると“殺し屋”って名前造ったの、作家の大藪春彦かな。いや、ひょっとすると俺たちかもしれない。そのへんの順序は微妙ですがね。ま、殺し屋役がだんだんと、お笑いの方向へ行っちゃったのは誤算だったけど(笑)」
少し補足しよう。1960年、裕次郎、旭、赤木、和田浩治の4人をダイヤモンドラインと呼ぶスター・システムがフル稼働していたが、10ヵ月後には、「和田の写真が弱い(宍戸を入れろ)」との日活映画館主たちの要望で宍戸さんが加わり、ニュー・ダイヤモンドラインとなった。
著書「シシド 小説・日活撮影所」(新潮社刊)はその場面で終わっており、(つづく)となっているが、『ろくでなし稼業』(1961年)、『用心棒稼業』(1961年)、『早射ち野郎』(1961年)ほかアクションコメディの主演作を放ち、宍戸さんは“エースのジョー”として人気を得ていった。
「シシド 小説・日活撮影所」は完結編も刊行されました!
「僕をローテーションに加えたのは間違いだったよねぇ。中継ぎが体のいいピンチヒッターになっちまったんだ(笑)。もしもあとに出た、野村孝監督の『拳銃〈コルト〉は俺のパスポート』(1967年)が僕の最初の主演作だったら、もう少し違った展開になっていたかも。あるいは長谷部安春監督のハードボイルド路線『みな殺しの拳銃』(1967年)あたりね。
結局、アクション映画もヤバイぞと思って、次第に『ゲバゲバ90分』や『どっきりカメラ』といった、TVバラエティに走っちゃうようになるんだな(笑)」
宍戸錠はバラエティ番組でも人気でした!
『エースのジョー』との呪縛と決別
しかしそうは言っても、『縄張はもらった』(1971年) や『流血の抗争』(1971年)など、日活ニュー・アクションの最期まで付き合い、オトシマエはシッカリつけてみせるのが宍戸さん……。
オトシマエといえば2001年、トレードマークだった類のふくらみを除去する手術も済ませた。手術室にカメラを入れ、撮影を敢行。ひとつの作品に仕上げ、DVDリリースする予定だとか。
残念ながら、こちらの企画は実現には至りませんでした。
「術前・術中・術後で、顔を3つ持っている男の話。私小説ではなく、私映画ですかね。宍戸錠っていう小心者のアクターがいて、彼をいつもフォローしている指令塔、もうひとりの自分と対話するフェイク・ドキュメンタリー。タイトルは『ダーティージョーカー・3つ数えろ』。英語にすれば『ザ・マン・ハズ・スリー・フェイシス』って感じで、それにトニーの「黒い霧の町」(『拳銃無頼帖・抜き射ちの竜』(1960年)の主題歌)を入れてみようかなぁと思う。ちょっと歌詞を変えてみたりしてね」
宍戸錠=エースのジョーという呪縛。まだオトシマエはついていないのかもしれない。だが、その一方で、宍戸錠=エースのジョーはもはや、勝手にひとり歩きし、広くポップに流通する“アイコン”となった。
映画版『濱マイク』シリーズ(1994年〜96年)に『溺れる魚』(2000年)。他国の『ザ・ミッション/非情の掟』(1999年)、『快盗ブラック・タイガー』(2001年)にもそっくりのキャラが登場。こんな不思議なアクター、なかなかいない。
『濱マイク』シリーズは、永瀬正敏主演、林海象監督のハードボイルドな探偵もの。宍戸錠は、この探偵の師匠で、「エース探偵事務所」を構える私立探偵として出演しています。
『溺れる魚』は堤幸彦監督の刑事モノ仕立てのコメディアクション。椎名桔平扮する刑事は日活映画のエースのジョーに心酔している設定で、宍戸錠はエースのジョーとして出演しています。
『ザ・ミッション/非情の掟』はジョニー・トー監督の香港映画。
『快盗ブラック・タイガー』はタイ映画。タイから初めてカンヌ国際映画祭に出品されたアクションコメディです。
「やっぱり俳優っていうのは役があって、自己があって、その間をうまく綱渡りしていかないと、いろいろ見失っちゃうんですよ。俳優である宍戸錠が或る役をやるっていうこと、それを原則に行きつ戻りつをちゃんとしていれば、ある種個性的な、誰にもマネのできないものが生まれてくるに違いない……なんて考え方は早くから持っていましたがね」
エースのジョーと戯れつつ、いつか錠がジョーに永遠のサヨナラを言う日まで、彼は我々をフェイクし続けていくに違いない。
「アキラがね、新曲とともに秋から来年にかけて全国を回るらしい。僕もいくつかトークでお手伝いしようかと。昔、彼とは舞台で格闘劇もやった。いまでも、やる、となればやるよ。ちょっとトレーニングしないとダメだけど(笑)。でも2週間ほど時間をもらえば大丈夫。カラダはもとに戻せます!」
命がけのフェイクに、乾杯。
(取材・文 轟夕起夫)
キネマ旬報2002年10月上旬号掲載記事を改訂!