「レオ様」なんて言われていた、見た目が少年時代のレオナルド・ディカプリオ。あの人を惹きつける魅力は、何か秘めたものが漂っていたからこそなんでしょうかね。
そんな「レオ様」の1本をレビューにてご紹介!
傷つきながら荒ぶる魂を震わせる“美しき顔の堕天使”たちの邂逅
“汚れた顔の天使”ではなく、“美しき顔の堕天使”ともいうべき映画の主人公たち。例えば『夜の人々』(1949年)のファーリー・グレンジャーや『陽のあたる場所』(1951年)のモンゴメリー・クリフトといった二枚目スター。
『夜の人々』でファーリー・グレンジャーは、恋に落ちてまっとうに生きようとする脱獄犯を演じています。
『陽のあたる場所』でモンゴメリー・クリフトは、身分違いの女性に恋をし、同僚の女性との三角関係に身を落とすホテルマン役。
『理由なき反抗』(1956年)のジェームス・ディーンとデニス・ホッパーもまたこの系譜上だった。
『理由なき反抗』はチキンゲームの死亡事故から追い込まれてゆく少年たちを描きます。
彼らは、あたかも新品プラモデルにわざと〈汚し〉を入れるかのように堕天使を演じた。そして煽りのなかにキャラクターの立体感を出し、美しさよりもヒロイックなカッコよさを体現してみせた。
この審美学に関しては、もっかブラッド・ピットに代表される現代の二枚目スターの多くが、やはり充分自覚的に応用している。
あまりに美しいからこそ逆に〈汚し〉が似合う。レオナルド・ディカプリオというアクターもそんな特権を持ったひとりだ。だから彼によるジム・キャロル原作の「マンハッタン少年日記」の映画化はまさにうってつけであった。
映画化『バスケットボール・ダイアリーズ』の監督はスコット・カルヴァート。1995年の作品です。
有望なバスケット選手から底なしのジャンキーへ。ふつふつと煮立ったヘロインを針で静脈に打ちこんで血管の童貞を喪失して以来、それが9時から5時までの仕事と化した主人公ジム。
ノッド(陶酔)と乱痴気騒ぎと反吐の日々の果てに現実の悪夢と拮抗する“純粋”な夢を見続けた少年の役は、マット・ディロンや故リヴァー・フェニックスも果たせなかった夢だ。
原作の舞台は1963〜1966年。16才までの3年間の原体験を、のちのビートニック新世代のカルチャー・ヒーローが日記形式で綴った散文集に対し、完成した映画はエピソードを忠実に反映させつつ、不思議と1990年代の色合いを醸し出していた。
挿入曲同様、風俗的にも今日のスタイルにすべてが移し替えられた感じがしたのだ。
我々は殊更、ドラッグ反対のメッセージに過敏に反応する必要もないし、物足りなければ原作に直接当たればいいだけのことだ(やはり躍動感に満ちた筆致に勝る術はない!)。
そのジム・キャロル本人はといえば、劇中にジャンキー役で登場する。
40代半ばに達した彼の姿はどこか20数年後のディカプリオとダブってみえた。このツーショットは何とも感動的だ。傷つきながら荒ぶる魂を震わせる二人の“美しき顔の堕天使”の邂逅。互いが互いを映しだす反射鏡のような……。
キネマ旬報1996年4月下旬号掲載記事を改訂!