ジョン・フォードといえば数々の名作西部劇の監督。そこから先の、もう少しだけ詳しく知りたい! てな駆け足解説です。
アイリッシュの誇りが刻まれ、詩情に包まれた独特の映画世界
(文 轟夕起夫)
『母上嘆くな』(1928年) なるメロドラマ撮影中のこと。その中堅監督は、アルバイトで小道具係の学生フットボール選手に、「俺が突っ込むから守ってみろ」と声をかけると、やおら突進し、相手を蹴り倒した。
学生も黙ってはいない。すぐに応酬し、格闘の末、ついにはこの大男を泥の中にぶっ倒したのだった!
これがのちに「西部劇の神様」と称される名コンビ、ジョン・フォードとジョン・ウェインとの出会いである。
まるで『静かなる男』(1952年)のワンシーンそのまんま。
つまりフォードの、このオスカー監督賞受賞作でもウェインはやはり、果てしのない殴りあいを通じて友情を得る役を演じていたのだが、いかにもアイルランドの血を引く者同士の豪放磊落なエピソードではないか(ちなみに1955年公開の『長い灰色の線』も、アイルランドの移民マーティ・マーの陸軍士官伝記モノだ)。
フォードの映画にはつねに、“アイリッシュ”であることの誇りが深く刻まれている。それはアイルランドを舞台にしなくとも、曲がったことのキライな、男気あふれる登場人物たち(女性でさえも!)に投影され、骨太な、それでいて詩情に包まれた独特の映画世界へと昇華された。
まさに西部劇は、フォードのためのそうした特別なジャンルだったのだが、もはや『駅馬車』や『荒野の決闘』の世界が遠い伝説となった1960年代、彼の映画にも“時代の波”が押し寄せてくる。
例えば騎兵隊の砦を舞台にしつつも、『バファロー大隊』は黒人差別問題に迫った作品だった。『リバティ・バランスを撃った男』では一種の推理劇を展開、しかもジョン・ウェインと共に西部神話の挽歌を奏でた。
そして『シャイアン』では、野蛮な悪役として描いてきたインディアンを、アメリカ帝国主義の被害者であり、誇りある民族として讃えた。
ここで一貫しているのはマイノリティへのまなざし。題材は変わっても、どっこいアイリッシュ魂は老境に入って、形を変えながら普遍的なテーマへと踏み込んでいったのである。
ジョン・フォード 概要
1895年2月1日〜1973年8月31日。
米・メイン州ケイブ・エリザベス生まれ。父母はアイルランド出身。
『武力の説教』(1917年)で監督としての実力を認められ、『快骨カービー』(1923年)で初めてジョン・フォードと名乗る。
『男の敵』(1936年)でアカデミー督賞を初受賞。『駅馬車』(1939年)ほか映画史に残る名作多数。
『肉弾鬼中隊』(1934年)、
『わが谷は緑なりき』(1941年)、
『コレヒドール戦記』(1945年)、
『3人の名付け親』(1948年)、
『黄色いリボン』(1949年)、
『リオ・グランデの砦』(1950年)、
『幌馬車』(1951年)、
『モガンボ』(1954年)、など。
雑誌1997年4月号掲載記事を改丁して再録