監督語り【須川栄三】とは?東宝ニューアクションの旗手、仲代達矢主演の『野獣死すべし』など

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館理人
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仲代達矢主演作『野獣死すべし』を撮った監督、須川栄三を語るレビューです。

館理人
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まずはざっくりプロフィール!

須川 栄三・プロフィール

すがわ・えいぞう
1930年9月8日〜1998年10月2日
1953年東京大学経済学部を卒業、東宝に入社。監督デビュー作は『青春白書 大人には分らない』(1958年)。ほか監督作に『野獣死すべし』(1959年)、『けものみち』(1965年)、『日本一の裏切り男』(1968年)、など。
1976年独立プロダクション「須川栄三プロダクション」を設立。映画『螢川』(1987年)のほか、テレビドラマの演出を多く手がけるようになる。

館理人
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「東宝ニューアクション」時代(1960年代後半から70年代にかけて)のアクション映画で、ハードボイルド映画に手腕を発揮した監督です。

一方でミュージカル映画や植木等のコメディ映画も手がけました。

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てことで、監督語り、どうぞ!

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起用する妖艶な女優たちも見どころ!

(轟夕起夫)

 1970年代の“東宝ニューアクション”の旗手としての須川栄三、それを語るにはまず、彼の前史に当たる必要がある。つまり、東宝の名プロデューサー・金子正且との出会い。

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東宝ニューアクションの映画というと、加山雄三主演の『狙撃』(1968年)、黒沢年男主演の『野獣都市』(1970年)といった作品があります。ちなみにこの頃の日本映画は斜陽産業と言われ、観客減少が激しくなってきた時代です。

 助監督時代、須川がシナリオの同人誌アンデパンダンに寄せた「危険な英雄たち」が金子プロデューサーによりピックアップされ、鈴木英夫監督、石原慎太郎主演で『危険な英雄』(1957年)になったのだった。

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元都知事の石原慎太郎は役者で主演もしていたのでした。『危険な英雄』にはほかに司葉子、仲代達矢、三船敏郎も出演しています。

 これは誘拐事件をネタに、アメリカ映画さながらに、功名心に走るピカロな新聞記者を描いた傑作。ここから金子プロデューサー との付き合いは始まっており、大藪春彦の小説デビュー作「野獣死すべし」の映画権を獲得した際、金子プロデューサーは脚本に白坂依志夫、監督には須川栄三を指名したのだ。

館理人
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白坂依志夫の脚本作品に『曽根崎心中』(1978年、監督:増村保造、出演:梶芽衣子、宇崎竜童)などがあります。

 1959年、公開された『野獣死すべし』は、和製ピカレスクロマンの嚆矢こうしとなった。

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ピカレスクロマンとは、16〜17世紀のスペインを中心に流行した小説の形式で、悪漢小説のこと。日本ではハードボイルドやダンディズムと結びつけて語られることが多いです。

 劇中、大学院生役で出演もしている白坂依志夫はこんなふうに滔々と述べる。「日本の犯罪者っていうのは、大なり小なり湿っぽいね。痴情、怨恨、金銭……みんなケチくさい。(略)ハードボイルドの“ハ”の字もない」

 そう、主人公の大学院生・伊達邦彦はそいつをクールにやってのけるのだ。刑事を射殺、裏カジノの金を巻き上げ、大学の入学金を強奪し、まんまとアメリカへと旅立つことに成功する。

 主演の仲代達矢は『人間の條件』の第1、2部終了後、第3部が始まるまでの撮影休止期間に出演。ラストシーンは映倫並びに東宝の実力者、藤本真澄プロデューサーの苦言によってやや手心を加えたが、須川は期待に応えてピカレスクな世界を確立してみせた。

 黛敏郎作曲のジャズもいい。本作はいわば「日本映画からのアメリカン・カルチャーへの返答」でもあった。

館理人
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黛敏郎(まゆずみとしろう、1929年2月20日〜1997年4月10日)は作曲家。映画音楽もたくさん手掛けています。『幕末太陽傳』『黒蜥蜴』『黒部の太陽』『日本の首領』など。

 翌1960年、須川は、大藪春彦の原作を寺山修司が脚色した『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』を発表。人気歌手の水原弘を主演に据え、兄(平田昭彦)の遺品である拳銃ワルサーP38 に魅了され復讐に走る役をあてがい、ノワール路線を追求した。

館理人
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ノワール路線…つまりフィルム・ノワールですね。いわゆる犯罪映画を指すことが多いです。『第三の男』『キッスで殺せ』などのほか、『ブレードランナー』のような映画もそう呼ばれることがあります。

 音楽はやはりジャズ畑の中村八大。で、数年後、須川は和製シネ・ミュージカル『君も出世ができる』(1964年)でアメリカ、さらにはハリウッド映画への対抗に一応のケリをつける。そうして1973年の『野獣狩り』で活劇の荒野に舞い戻ってきたとき、彼はいっそう尖鋭化した“東宝ニューアクション”の担い手になっていた。

館理人
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中村大八は作曲家でジャズピアニスト。坂本九の「上を向いて歩こう」の作曲もしています!

 過激派グループの挑戦を受けた警視庁。ベテラン刑事を父(伴淳三郎)に持ち、自らも刑事である藤岡弘(現・弘、)扮する主人公は、反体制で同世代の敵にシンパシーを感じてしまい、大いに心乱される。身代金をめぐって銀座の往来で展開される攻防が素晴らしい! カメラは木村大作。音楽は村井邦彦。

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日本を代表する撮影監督のひとり、木村大作。監督もしています。『劔岳 点の記』や『春を背負って』など。

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村井邦彦は作曲家でプロデューサー。映画音楽では『悪魔の手毬歌』など。プロデューサーとしては松任谷由美(荒井由実)のデビューにも関わってます。

 1974年、この布陣で三たび大藪春彦の原作にチャレンジした『野獣死すべし 復讐のメカニック』。以前『野獣死すべし』では最後、女には手をかけなかったが、ここでの伊達邦彦は自分の計画のためには躊躇なく非情を貫き、誰をも殺していく。

 金子正且プロデューサー との最後の仕事になった本作は、アームズテクニカル・アドバイザーで参加しているトビー門口(出演も)の手腕も特筆に値する。そして須川は、つぎに井上ひさしの原作を映画化、『日本人のへそ』 (1977年)で和洋折衷のシネ・ミュージカルにも自分なりのケリをつけたのであった(……それが大成功したかどうかは別として)。

 ちなみに『野獣死すべし』の団令子、白川由美、『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』の島崎雪子、岸田今日子、『野獣狩り』の渚まゆみ、中村まり子、『野獣死すべし 復讐のメカニック』の緑魔子、(実の妻である) 真理明美……と、須川栄三が「妖艶な女優」たちを起用し続けたのはまことに趣味性が出ており、微笑ましく思う。

轟

映画秘宝2011年4月号掲載記事を改訂!