大泉洋が「水曜どうでしょう」の企画「対決列島西日本編」(2001年)内で歌っていた「自動車ショー歌」は、日活映画『投げたダイスが明日を呼ぶ』(1965年)の主演、マイトガイこと小林旭が歌った挿入歌。
ちなみにマイトガイとは、ダイナマイトみたいなガイ、という意味合いの愛称です! 「NARUTO」のキャラクターのマイト・ガイとは違います。
ここでは小林旭とはどんなスターかがわかる記事をご紹介。インタビューコメントを織り込んだ記事となります。芸能生活40年の節目、1996年当時の記事を蔵出しです!
十年一周期で、次々と栄光(&挫折)の歴史を刻んだスター
「思い出すっていうのは忘れているからだろ。オレは忘れたことはない。だから思い出すこともないさ」
かつて小林旭は、映画『ギターを持った渡り鳥』(1959年)の中で流れ者のヒーローを颯爽と演じ、こんなイキな台詞をつぶやいた。
いまになってみればそれは、1995年に芸能生活40周年を迎えたこの大スターがあらかじめ自らに宛てた最大の賛辞のようにも思えてくる。
というのも小林旭とは、常に大スターでありつづけているからだ。実際彼は十年一周期、ともいえるスパンで、次々と栄光(&挫折)の歴史を刻みこんできた。
日活アクション黄金期での活躍、美空ひばりとの結婚(事実婚)と理解離婚、事業に失敗すれば「昔の名前で出ています」が起死回生の大ヒット。
1980年代には大瀧詠一プロデュースの「熱き心に」がある。
転がるダイスの目のごとく丁半勝負を繰り返すその生きざまは、常に時代を象徴し、決して懐かしさだけで回顧されるものではない。
「オレはずーっとオレのまま。いつでも変わらないよ。物事に対しても何も気にしないんだ。カメラだって自由に撮ってくれよ。ただ人からボーズをつけてくれって言われるのは大嫌いなんだ。そういうのにはうるせえ、このヤローって(笑)」
無意識過剰の天性のグルーブが真骨頂
ソファーに深々と腰掛けたアキラはこう気炎をあげた。デカい。人間がデカい。芸能生活40周年とはいえ全然守りになど入っていない。記念ディナー・パーティで披露された、東京スカパラダイスオーケストラを携えてのゴキゲンなアキラ節。
「ダイナマイトが百五十屯」、「自動車ショー歌」、「アキラのジーンときちゃうぜ」。
「1990年代のマイトガイ」の誕生である。むろん本人は「スカパラのことはほとんど知らなかった」という。それでいいのだ。この世代を超えたライブ感覚の競演。
考えてみるなら小林旭の真骨頂とは無意識過剰(小林信彦)とも名付けられた、天性のグルーヴ感にこそある。
例えばそれは、数々の主演映画で見せた軽快なアクションにおいても言えることだ。画面にみなぎる肉体の素晴らしき躍動。
彼はアクションシーンでもほとんどスタントを使わなかった。そのため時には失敗して、死線を彷徨うこともしばしばだった。
あくまでライブ感にこだわっていたアキラ。彼の流儀は相変わらずだ。
「やりすぎたな、とかはいまも思わないね。あの当時はビルの9Fから飛び下りても絶対助かる感じがしてたんだ。そのぐらいの自信があったんだな(笑)。せいぜい着地する時に足を折るぐらいだろうと。何がそうさせたのかといえば、役者としての正義感だろうなあ。お金を頂戴して映画を観てもらってることへのさ」
いやあスターとは、やはりこうでなければいけない。フィクションの世界であっても目の前に広がるのはどこまでもリアルな躍動感。アキラのグルーヴとは肉体を駆使した超仮想現実のことなのだ。
このリアリティへの渇望は、かの『仁義なき戦い』シリーズでもいかんなく発揮された。
『仁義なき戦い』シリーズについては、こちらに関連記事があります! 監督・深作欣二の記事にも詳しいですよ。
それもそのはず、彼の凄味を帯びたヤクザ像は「役者として必要不可欠な方法だった」と実在の広島ヤクザの組長に1ヵ月ほど張りつき寝起きをして獲得したものであったのだ。
マイトガイとはじつは現実と虚構の境界をぶっ壊してしまう男のことであった。その爆弾は、ロマンを求め、日本というフィクションに満ちた世界にも仕掛けられる。
初の監督作『春来る鬼』(1989年) には、彼のマイトガイな世界観が示されていた。
「騎馬民族か狩猟民族か農耕民族か、日本人のルーツを辿ってみると凄く面白いよ。それを見つけた時、現在の日本が求めてやまぬ、空虚な心の隙間が埋まるんだと思う。本当のヒーローも生まれるし日本の社会もきっと変わるよ。対外的にももっとオープンで芯があって、両手を広げながらちゃんと顔を突きだして話のできる日本人が誕生するはずだよ」
そんな彼を先日、一人の映画監督が訪れた。『男たちの挽歌』の、というよりも『ブロークン・アロー』でハリウッドにて快進撃中のジョン・ウーである。
『渡り鳥』シリーズが映画の原体験(当時日活映画は香港に輸出されていた)というウー監督は、そこで長年の夢を口にしたのだ。
『渡り鳥』シリーズは、『ギターを持った渡り鳥』を皮切りに全8作が作られています。
「うん、オレと一緒にやりたいって言うんだ。僕が育てたあなたの絶大な信奉者、チョウ・ユンファとハリウッドの俳優と組んでって。具体的にはまだまだだけど、タイトルだけ決まっていて、『義』だという。また壮絶なアクション映画らしいよ」
ニヤッと両手を腰に構えて、二丁拳銃風にするアキラ。もはや日本という島国は、彼の住みかとしては小さすぎるのか。夢の競演が実現した時、僕らはきっとこうつぶやくだろう。一度だってアキラのことを忘れたことなどない。だから、彼のことを思い出にすることもないのだ、と。
(取材・文/轟夕起夫)
宝島1996年5月1日号掲載記事を改訂!