女性同士のラブストーリー。女性が惚れる佇まいを持つ女優、主演のケイト・ブランシェットが最高!
アカデミー賞では主演女優賞、助演女優賞を含む6部門にノミネートされた映画です。
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精妙で端正なメロドラマ演出と、その裏に浮かびあがらせた時代相
男が男を好きになったり、女が女を愛したからといって、個人的には「それが何か?」と思う。別に、リベラルを気取っているわけではなくて。
なもんだからこの女性同士のラブストーリー『キャロル』も、何らセンセーショナルには感じなかった。そう、そんなことはどうでもいいのだ。
観るべきは精妙で端正なメロドラマ演出と、その裏に浮かびあがらせた時代相であろう。
1952年のニューヨーク。高級百貨店のおもちゃ売り場のバイト嬢、若きテレーズの視界に“運命の人”たるキャロルは飛び込んでくる。
毛皮を身にまとい、背が高く金髪で、見るからにハイソな彼女は娘のクリスマスプレゼントを探しに来たのだが、目と目が合った瞬間、二人のあいだで何かが通じ合う。
キャロル役にケイト・ブランシェット、テレーズ役にルーニー・マーラという実力派の競演。
監督は『エデンより彼方に』でも1950年代アメリカを題材にしたトッド・ヘインズである。
『エデンより彼方に』もメロドラマの傑作。ゲイを隠していた夫が去ったあと庭師と恋に落ちるものの、庭師が黒人であるために居場所をなくす女性が描かれます。
劇中、テレーズは(恋人を含む)男友だちと、スターの光と影、ハリウッドの裏側を描いたビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』を鑑賞する。
そこで作家志望の男がメモを取っている。「登場人物のセリフとホンネの違いを分析するため」だと言うのだが、本作『キャロル』もまた、表向きのセリフとホンネの違いを読み込みつつ味わうタイプの映画だ。
さて、アメリカで『サンセット大通り』が初公開されたのは1950年8月。6ヶ月前には“反共産主義”の急先鋒ジョセフ・マッカーシー上院議員の台頭により、「赤狩り(レッドパージ)」=マッカーシズムが全米に広がり、さらにマッカーシーは同性愛者も弾圧、その旋風は『キャロル』の舞台である1952年にも吹き荒れていた。
逆風に向かっていくテレーズとキャロル、二人の人生の選択の物語。だからこそヒロイック、かつドラマチックな作品になったのだ。
それもこれも、もとはといえば原作者のパトリシア・ハイスミスが自身の経験を小説『The Price of Salt』に結実させたからで、1952年の初版は変名“クレア・モーガン”で刊行し、後に『キャロル』と改題、正式にハイスミス名義で復刊を果たしたのだった。
原作ではテレーズは、舞台芸術家の卵という設定で、映画は新進のフォトグラファーに変えており、キャロルに対する彼女の“視線”が肝となっている。憧れから紆余曲折を経て、対等の目線へ。
ところで、メロドラマの「メロ」とは歌を意味するギリシャ語「melos(メロス)」が由来なのだが、テレーズがキャロル邸を初めて訪れたとき、居間にあるピアノを弾く。
キャロルは背後に立ち、肩に両手を伸ばして優しく触れる。
瞬間、鍵盤上の指が止まって無音になり、その手が肩から離れるとテレーズは再び弾きだす。
見事なラブシーンだ!
曲はテデイ・ウィルソン楽団の演奏でビリー・ホリディが唄った「イージー・リヴィング」。
こちらビリー・ホリディ
(ここでは聴こえないが)歌詞は、愛する相手への熱烈なる思い。これは単なる一例だ。映画『キャロル』は紛う方なく、秀でたメロドラマである。
ケトル2016年2月号掲載記事を改訂!