池松壮亮と菅田将暉が高校二年生を演じた青春映画があります。会話で展開していく異色作。
実力あるふたりの本格初共演、しかも会話劇って、これだけで、もうゾクゾクの見ものです!
さっそくレビューでご紹介!
ふたりの高校生の真剣な暇つぶし
『セトウツミ』。こいつはクセになる映画だ。高校2年の瀬戸小吉と内海想、すなわちセトとウツミが放課後、大阪のとある河辺の階段に腰掛け、とりとめもない駄話をするだけの小品なのだが、終始、目が離せず、耳も「一言も聞き逃すまいぞ!」と研ぎ澄まされる。
つまり完全に、気持ちを持っていかれるのだ。
それもこれも、セトとウツミを(学ランに身を包み)演じきった池松壮亮、菅田将暉の見事なセッションがあってこそ。掛け値なしに素晴らしい。
先輩とモメたらしくサッカー部を辞め、単なる暇人となったセトと、塾までの空き時間を過ごそうと、そこにやって来るウツミ。性格は真逆。
ツンツン頭でお調子者、気性は少々荒っぽいが心根はやさしいセトに対し、眼鏡をかけたウツミはシニカルな視点で周囲を眺め、的確だが尖ったワードをチョイスし、ぼそっとクールに鋭いツッコミを入れてくる。
二人の関西弁の掛け合いがおもしろく絶妙で、思わず吹き出してしまうこと、しばしば。
と、ここまで瀬戸とセト、内海とウツミをあえて分けて書いてきた。
ちょっと面倒な物言いをすると、瀬戸は初めはセトではなく、内海もウツミではなかった。ではいつから瀬戸はセトに、内海もウツミになったのか?
本作は「第1話」から「エピローグ」まで、全部で8つのショートストーリーで構成されている、のだけれども、真ん中に配されたエピソード0的な「第0話」=「内海想の出会い」が重要なのである。
河辺の階段の、いつもの定位置に内海がひとり、座り込んで文庫本を読んでいる。
と、「誰やねんお前」と頭上からぶっきらぼうな声が。瀬戸だ。が、目の前に立つその男を見上げ、まったく動ずることなく平然と「わりとこっちのセリフでもあるぞ、それ」と言い放つ。
しばしの沈黙。
カメラが引きの画で二人を捉える。一触即発のフンイキ……すると、「今日、聞いてくれや」といきなりフレンドリーなトーンで、瀬戸は内海の左どなりに座り込む。
セトウツミの誕生である。
その「聞いてくれや」にかぶせ気味に「えっ?」と驚くウツミに構うことなく、「ほらあ、俺めっちゃ虫嫌いやん」と出し抜けにセトが語り始めると、相方は長年のコンビのごとくすばやく、抜群の間(ま)で「知らんがな」と返すのであった。
まるで漫才のようなグルーヴを有する2人の会話だが、大森立嗣監督は本番前、さらには撮影現場でも二人に何度も、「漫才にはしないでガチで芝居をして欲しい」と伝えたのだとか。
「笑わせようとしなくていいから」と。
そうなのだ。彼らは、誰かを笑わそうと思って喋っているのではない。お互い、別段やることはなく、けれども「ここ」にしか行き/生き場所はなく、真剣に暇をつぶしているのだ。
以前、大森監督は『まほろ駅前』シリーズでも瑛太と松田龍平の醸し出す特別なコンビ感を巧みに演出していたが、今回も二人のあいだの絶妙な距離と空気、間合いをつくり出してみせた。
“タンゴ”を踊る池松壮亮と菅田将暉
ところでこの『セトウツミ』、ほぼ会話劇で全篇が成立しているが、口先だけで演じているわけではない。
池松壮亮も菅田将暉も全身全霊を注いでいる。もっと言えば、本作には要所要所に抒情的なタンゴ調の音楽が流れ、いいアクセントになっているのだが、二人もまた“タンゴ”を踊っているのだ。
男同士がペアのタンゴ……何もおかしなことはない。
そもそもアルゼンチンタンゴとは、ラプラタ川の河口にさまざまな人種の移民がひしめき、フラストレーションのはけ口として男同士が酒場で荒々しく踊ったのが始まりなのだそう。
しかも今でも“サロンタンゴ”は振り付けがなく、リードする男性とパートナーの女性とで即興的に、自由に踊るものである。
かように、言葉で踊る二人を陰ながら見守っているのは(中条あやみ扮する)同級生の樫村一期。
彼女はウツミに好意を抱き、でもウツミはつれなく、一方のセトは樫村さんのことが好き、という三角関係。立派に青春しているではないか。
「第0話」で「内海くんもなんか部活やったら」と樫村さんに声をかけられたあと、内海は「この川で暇をつぶすだけのそんな青春があってもええんちゃうんか」と心の中で呟くが、そこに瀬戸が現れて“セトウツミ”になったのは先ほど書いたとおり。
あの河原の階段は、二人の青春のステージなのだ。
放課後に友だちと、無為にダラダラと過ごすことの贅沢さ。社会人になってから振り返ると、その貴重さがわかってくる。
誰にでも思い当たるフシがあるだろう。
筆者の場合は高3の秋、受験期にもかかわらず、野郎4人で教室に残り、机を端に動かしスペースをつくって、掃除道具の箒をラケット代わりにミニテニスにひたすら興じていた。バカだなあ〜、けれども楽しかったなぁ〜。
しかし! 物事には確実に終わりがある。
何がキッカケだか思い出せないが、ある日を境に野郎4人は解散した。このセトとウツミもいつかは、河辺の階段でおちあうことを止めてしまうだろう。そんな一抹の寂しさも映画から滲む。
いや、つるむ場所を変えて、また一緒に何かをやっているのかも……想像はどこまでもふくらみ、季節は移り変わり、河の水は、どこかへと流れていく。
キネマ旬報NEXT2016年7月号掲載記事を改訂!