『パラサイト 半地下の家族』のアカデミー賞受賞で、韓国映画に注目が集まってます!
ありますよ、たくさん!いい韓国映画が。
例えば『カンチョリ オカンがくれた明日』(2014年)は、ごま油の香る韓国風のりまきを食べたくなります。または、おふくろの味を思い出します。
轟の復刻レビューでご紹介です。
愛する人を助手席に走れ、人生という一本道!
全身白づくめ! ゴージャスなつば広の帽子とドレスで身を包み、好物の棒付きキャンディを舐めながら銭湯の煙突を登っていくぶっ飛びおばさん(キム・ヘスク)が画面中央に……。後を追うのは彼女の息子カン・チョル、通称カンチョリ(ユ・アイン)だ。
地上にはどんどん野次馬が集まってくる。警察もやってきた。
この“人騒がせなヒロイン”はてっぺんの物見台に座り、優雅に下界を眺めはじめる。目の前に広がるのは韓国の湾岸都市・釜山の街並み。追いついた息子のほうは毎度のお約束なのか、差し出された棒付きキャンディを慣れた手つきでマイクに見立て、彼女に促されて国民的な歌謡曲「釜山カモメ」を熱唱する!
ちょっと変わった──いや、なかなか他に類のない母と子の物語、『カンチョリ オカンがくれた明日』の印象的な冒頭シーンである。
ぶっ飛びおばさん、もとい、天真爛漫なオカン、スニは長いあいだ認知症を患っており、すでに夫を亡くし、今はひとり息子の世話になっている。
主人公カンチョリは、マグロが水揚げされる釜山の漁港で働く青年だ。彼の未来には希望がない。次から次へとトラブ ルを起こす母親の存在は正直重荷で、心が休まる暇などないのだ。
が、しかし、いかなる窮地に陥っても“オカンへの強い愛情”によってカンチョリは、日々を健気に生きてみせる。
と、そんな分かちがたい関係を示すのに、映画の中で象徴的に使われているのが彼の所有するサイドカー。どんなに苦しくてもカンチョリは助手席に母親を乗せ、なかば一体化しながら(人生という!)道を走ってゆくのである。
さて本作は、母と子の、いびつだが固い結びつきを描いていき、さらにあと2人、その助手席に乗ることとなる人物にもフォーカスを合わせていく。
1人は、冒頭のシーンで見物人の中に混じってカメラのシャッターを切っていたスジ(チョン・ユミ)という可憐な女性。
ソウルから旅行で釜山にやってきて、例 の“煙突騒動”の現場に遭遇。後にカンチョリと再会を果たす。
もう1人は、幼なじみのジョンス(イ・シオン)で、気のいい奴なのに、街のチンピラにすっか り落ちぶれてしまっている。
この2人が、一体どういうシチュエーションでカンチョリのサイドカーへと乗り込むのか、どうか注目していただきたい。
開幕早々、映画は先に記した通り、小道具の棒付きキャンディを使って視覚的におもしろい試みをしていたが、食のシーンに目を配ればいろいろと語りたくなるシークエンスが盛り込まれている。
一例を挙げると母スニが朝、カンチョリのためにキンパブ(韓国風のりまき)をこさえてやる場面。ほんのり、ごま 油の香りがしてきそうな、おふくろの味。
だが認知症のその人は、とうに大きくなった息子に場違いにも幼稚園のカバンを背負わせ、お弁当としてそれを持たせようとするのだ(主演のユ・アインは「すごく感情を入れ込んで撮影した、一番好きなシーン」とインタビューで答えている)。
あるいは、幼なじみのジョンスの兄貴分、釜山裏社会の首領サンゴン(キム・ギョンテ)が経営している日本料理店でのこんなエピソード。
やむを得ず 母親の手術代を借りに単身訪れたカンチョリに対し、サンゴンは自らカウンターに立ち、極上の生ウニ(韓国語では「ソンゲ」)をふるまって、そしてこう諭す。
「ウニは、外はトゲなのに中は甘くて滑らかだ。ところで人々はヤクザを人間のクズだと言う。それは外面(そとづら)だけ見て、中身を見ないからだ」
詭弁のようだが一理あり。これは、いろんなところに応用できる教え。実は『カンチョリ オカンがくれた明日』もまた、“感動の親子愛もの”の外面を持ちつつ、シビアな人間描写や壮絶なハードアクションが内包されており、しかも、王道の「ボーイ・ミーツ・ガールもの」でもあるという、極めて多様な魅力を持った作品なのであった。
なお劇中、日本のヤクザも顔を出す厳かな屋敷は、釜山の有名な韓国伝統レストラン「東菜別荘」。
もとは1940年代、日本統治時代に大富豪の実業家・迫間(はざま)房太郎によって建てられた別荘で、戦後は高級料亭となり、現在の宮中韓定食の店となったのは2000年から。映画を観て訪れれば興趣は倍に。
あのシーン、このシーンを反芻しながら、歴史的な建造物で美味なフルコース料理を楽しむことができる。
ぐるなびpro掲載記事より!
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