「好き」という感情がいかに野放図で暴力的かを飄々と綴る、モト冬樹生誕60周年記念映画!『こっぴどい猫』

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Photo by Manja Vitolic on Unsplash
館理人
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『こっぴどい猫』(2012年)は、監督:今泉力哉、出演:モト冬樹、小宮一葉、他

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レビューをどうぞ!

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誰が言ったか「日本のニコラス・ケイジ」モト冬木がバッハにハマる!

 映画が始まると眼前にはいきなり、「モト冬樹生誕60周年記念映画」と出る。その仰々しさがちょっとオカしみを醸し出す。誰が言ったか「日本のニコラス・ケイジ」。

 そもそもはバンドマンであり、長年、バラエティでもハっちゃけてきた彼の顔が勝手に脳内にオーバーラップしてきやがる。

 が、いざ画面に登場するや否や、「これはマジだな」と姿勢を正すことに。何とも渋い味わい。

 モト冬樹が演じるのは、高田則文という名の小説を書かない……いや正確に言うなら、小説を書けなくなった作家。理由は、愛妻を亡くして以来、どうにも空っぽの毎日だから。

 と、そこに“猫”が現れる。

 行きつけのスナックで働いている小夜(扮する小宮一葉の“こっぴどい猫”ぶりが素ン晴らしい!)。店終わりに一緒に呑む運びが、あれよあれよと家に誘われ、恋愛相談に乗ってほしいと。

「奥さんがいる人とばかり付き合ってしまう」だの「求められると断れない」だのと告白され、しかも、相手の素振りは完全に“寝る”モードだ。

 だが、そんな彼女を高田は諌め、部屋にあったピアノを弾かせる。そして、小夜の指先から聴こえてくるのがバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻より第7番変ホ長調BWV852」。美しき対位法。音が音を追いかけてゆく。

 映画の“モード”が変わる(と同時に、この文章のノリも変わる)。

 名指揮者のハンス・フォン・ビューローが、ピアニストの「旧約聖書」と呼んだことでも知られる「平均律クラヴィーア曲集」。

 ちなみに「新約聖書」は「ベートーヴェンのピアノソナタ全集」なのだという。

 さて、ご存知のとおり、ビューローは、フランツ・リストの娘コジマと結婚するも親友ワーグナーに寝取られ、奪われた男でもある。

 これなど、本作の監督、今泉力哉に描かせてみたい色恋沙汰だ。

 彼はドキュメンタリー『たまの映画』でデビューを飾ったが、自主映画時代から、二股三股をかけあう男女の爛れた関係を“おもしろ痛いラブコメ”に仕立て上げる才能として注目されていたのだった。

館理人
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『たまの映画』は、90年代のバンドブームに人気を集めた4人組「たま」の元メンバーを追ったドキュメンタリーです。

 劇中、狂言回し的に、驚くべきナビをする役の今泉は、高田則文の小説「その無垢な猫」の一節を読みあげる。すなわち──「体裁とか、不謹慎とか。友情とか、家族とか。生活とか、夢とか。社会とか、身分とか。そういう類いのものは、好きという気持ちの前では無力だ」──。

 本作は「好き」という感情がいかに野放図で暴力的かを飄々と綴っていく。

 高田だけでなく、その娘や息子ら総勢15人の男女が、込み入った恋愛模様を見せてゆく。

 最初は分別が勝っていたが、眠っていた高田の欲望もむくむくと起きだし、それは終盤、彼の「60歳のお祝いパーティ」で爆発する(ここは演出的にはもう少し、人物ひとりひとりのリアクションがほしかったが)。

 追いかければ、逃げ、すれ違っていくフーガの風雅。

『こっぴどい猫』とはさながら、ダンスシーンのない『ロシュフォールの恋人たち』だ。ミシェル・ルグランの音楽の代わりに、バッハの遁走曲が使われているのである。

館理人
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ミュージカルラブコメ『ロシュフォールの恋人たち』はカトリーヌ・ドヌーブ主演!

 アンコール以上の意味合いで最後に響く聖なるピアノの音色。背徳的な映画ほど、バッハはよく似合う。

轟

キネマ旬報2012年8月下旬号掲載記事を改訂!